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カプシーヌ通りの<ル プティ ヴァンドーム Le Petit Vendôme>にて。2023.04.13.
シャルキュトリー Charcuterie (ハム・ソーセージ・ベーコン等)や田舎のチーズを扱う郷土料理 Cuisine de Terroir 店。
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カプシーヌ通りの<ル プティ ヴァンドーム Le Petit Vendôme>にて。2023.04.13.
シャルキュトリー Charcuterie (ハム・ソーセージ・ベーコン等)や田舎のチーズを扱う郷土料理 Cuisine de Terroir 店。
ポンヌフ Pont Nuef (1578-1607) の公共照明は1854年からガス灯として始まった。
ガス灯の管理口を隠す装飾が今も残っている。
パリのリヴォリ通りに面したフランス料理店<インペリアル リヴォリ L’Impérial Rivoli>の例。
それぞれ、肉料理と魚料理を選択、ドリンクを付けて合計60€。161¥/€で約1万円。別にアントレとデザートも。
この冬は海外旅行を敬遠する人が多いと伝わるのももっともと‥
メトロ1号線のチュイルリー駅のホームを飾っていた<1950年代のRATP>にあったマリリン・モンローが居なくなっていた(2023.10.16.)。
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英国の書店 WH Smith (1792) が初めて国外に設立した(1903)リヴォリ通りの<Smith &Son>。
昼食でもと入ったものの、あいにくの定休日だったので、故エリザベス女王記念グッズを買って、<L’Impérial Rivoli>で昼食した。
パリの商事裁判所の登記所 Greffe du Tribunal de Commerce de Paris を訪れました。
パリの南北軸、セバストポール大通り正面にドームが来るように設計された。ナポレオン3世のもとで「パリ改造」を実行したオスマン知事の意向によるそう。
8角形のドーム下のアトリウム。中央階段踊り場にナポレオン3世の<N> 、その真上(タンパン)ティンパン Tympan にパリの市章。そのうえで16体のカリアティード Cariatide がドームを支えています。
ドームから北方向の眺め。真正面樹木の位置にセバストポール大通り、左シャトレ広場のナポレオン1世の戦勝記念碑、右にパリ市立劇場。セーヌ川とシャンジュ橋。
大法廷で案内を受ける。
文化省 Ministère de la Culture が企画したスペクタクルはアクロバット (スポーツ) と芸術の融合を表現してたみたいです。とにかくパリの素敵な建物を背景に繰り広げられる劇に久しぶりに心底感動しました。2023.09.17.
文化省が入っているパレ ロワイヤルと<ビュランの円柱>のある中庭 Cour d’Honneur が舞台です。
今年の文化遺産の日 Journée du Patrimoine のテーマはスポーツでした。
ヴァンドーム広場22₋24番地<ヴァンクリーフ&アーペル>の店内。春のお花がきれい。2023.04.13.
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パリのルイ・ヴィトン本部前に画家<草間彌生の巨像>が置かれ、本部建物に水玉を描いています。
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サン ジェルマン ロクセロワの鐘塔の右にサン ジェルマン ロクセロワ教会、左に(旧)パリ1区区役所((現)カルチェ ジュネス:青年地区 QJ – Quartier Jeunes (2021.09.01.))。2021.09.12.
パリ1区~4区はパリセンター Mairie de Paris Centre となっている。この範囲はほぼ、シャルル5世の城壁 Enceinte de Charles V にルイ13世の城壁 Enceinte de Louis XIII を合わせた範囲内。センターの本部(メイリ―)は旧パリ3区の区役所に置かれている。1~4区がなくなったわけではない。グループ化による簡素化。
フランスでは今、年金改革を巡ってデモが繰り返されている。フランスの下院に当たる<国民議会>での審議報道を見て一昨年見学した議場を思い浮かべた。
Aux armes, citoyens !
Formez vos bataillons !
Marchons ! marchons !
Qu’un sang impur abreuve nos sillons !
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ジェームズ・プラディエ James Pradier (1790-1852) の彫刻、<三美神 Les Trois Grâces (1831)>。
ギリシャ神話の三美神。
ルーヴル美術館にて (2022.07.14.)
恐らく真ん中が末っ子のアグライアー Aglaé で、左にエウプロシュネー Euphrosyne 、右にタレイア Thalie だと思われる。
アントニオ・カノーヴァ (1757-1822) による三美神(1814₋17)も同じ並び。
宝石箱を踏みつけているアグライアーは肩を寄せ合う姉たちが持つ花束のロープで背後を結ばれている。
漫画「のだめカンタービレ」が原作のテレビドラマ「のだめカンタービレ 」(2008)のロケ地、<ラ ホーズ ド フランス La Rose de France>。シテ島のドフィーヌ広場にあるレストラン。
のだめと千秋がクロワッサンを食べながらフランス語の勉強をする場面に使われた。
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古代エジプト第22王朝・23王朝並立時(BC745₋730頃)の石碑の前面、<タペレ夫人の石碑 Stèle de la dame Tapéret>。「タペレは花の形で彼の光線を彼女に照らす太陽神レ Dieu Soleil Re (Re-Horakhty) に祈ります」と案内されている。ルーヴル美術館にて(2022.07.14.)
太陽神 Re-Horakhty は”周りをコブラが囲った太陽の円盤”を冠したハヤブサの頭を持つ男で表される。手に「ヘカの杖 Sceptre Héqa とアンク Ânkh」と「ウアスの杖 Sceptre Ouas と鞭 flagellum」を持つ。
頂部の中心に「2匹のコブラの首にアンクをぶらさげた太陽の円盤」、両側に「天空の神ホルス Horus の目(ハヤブサの目)を表すウェジャットの目 Oeil Oudjat」。
側方には天を支える柱として「上下エジプトの百合の花 Lis、底部に「地上の神ゲブ Geb の頭」。
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カッシート(バビロニア第3)王 メリシパック2世 (BC 1186-1172) のクドゥル(境界石) kudurru 。
メリシパックが娘のフンヌバット ナンナヤに土地を寄付したことと灌漑用水路を修理したことを記している。
「カルトの香炉」の左側に座っている女神ナンナヤに王が娘を紹介している場面。
その上にイナンナ(イシュタル)を表す八芒星(金星)、ナンナ(シン)を表す月(三日月)、ウツ(シャマシュ)を表す太陽。
バビロニア(シュメール)からエラム(シュトルキッド朝)のスサへ紀元前12世紀に持ち込まれた戦利品で、その上下は削られている。
* スサノオはスサの王という都市伝説がある。
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ポンパドール夫人が注文した<友情 ポンパドール夫人の姿で L’Amitié sous les traits de Madame de Pompadour (1753)>。
「友情」の寓意像。ルーヴル美術館所蔵。
彼女 Madame de Pompadour (1721-1764) がルイ15世から譲渡を受けたムードン Meudon の土地に建設したベルビュー城 Château de Bellevue (1750) に置くためにジャン=バティスト・ピガール Jean-Baptiste Pigalle (1714-85) に依頼したもので、ルイ15世像と対になっていたらしい。
足元の四季の花々が(ルイ15世と夫人の)友情は人生の様々な場面で開花することを仄めかしている。
ポンヌフの街燈の間にエッフェル塔。
街燈(1853₋55)はヴィクトール・バルタール Victor Baltard (1805-74) による。ネプチューンとイルカ。下には照明用ガスボックス。バルタール様式のレ アールのパヴィリオンで有名。
コンコルド橋の下流、セーヌ川沿いにオルセー美術館。コンコルド橋の上流に架かる河川信号 Signalisation fluviale が多数掛けられているポンデザール Pont des Arts の左岸にフランス学士院とパリ国立高等美術学校 Beaux-Arts de Paris (1816) の展示宮殿 Palais des expositions des Beaux-Arts。
エッフェル塔の右にサント・クロチルド聖堂の尖塔。 2022.07.02.
セーヌ川右派流に架かるポンヌフ(橋)の上流左岸詰めから・・中央と右に2棟のサマリテーヌ Samaritaine (2021リニューアル)、左にサンジェルマン ロクセロワ教会と鐘楼。
ポンヌフ橋の床版には多数のマスカホン(魔除け)、橋上の街燈の装飾はアーバンファニチャー Mobilier urbain のオブジェ。
百貨店サマリテーヌの間、13世紀以来の歴史を持つモネ(貨幣)通り Rue de la Monnaie の奥にサントゥスタッシュ教会が見える。
ベルナール・ポイエ Bernard Poyet (1742-1824) の作品。彼は立法府:国民議会の北正面(セーヌ川側)の建築で有名。
ナポレオンが皇帝であった時(1804-14)には、ペディメントの月桂樹輪にはナポレオンの N、今は松ぼっくりの位置には皇帝のカタジロワシ Aigle impérial があったという。
ひじ掛けには有翼のライオン、背もたれには正義の手と剣と天秤があり、皇帝の権力と法の力と正義・公正の執行を寓意しています。
ルーヴル宮殿の一角、装飾美術館にて。
装飾美術館の西端、ルーブル宮殿と消失して再建されなかったチュイルリー宮殿の角、マルサン館 Pavillon de Marsan から見たエッフェル塔。
チュイルリー庭園(公園)越しに左から、サント・クロチルド聖堂の尖塔・グルネル高層地区の煙突 Cheminée du Front de Seine・エッフェル塔・グラン パレが突出しています。
7月14日、カトルズ(キャトーズ)・ジュイェ14 Juillet はフランスの革命記念日。
無料で開放されるルーヴル美術館への入館狙いで出かけた。右端に少々の行列。9時開館の47分前。
時間予約制のため、予約なしでの入館の保証はない。が、9時22分に入館できた。
14 Juillet の締めはエッフェル塔の花火。France 2 で視聴。
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デビッド ハモンズ David Hammons (1943-) の作品<無題 Untitled (2000)>。ピノーコレクションの1点。鑑賞者が多かったので‥ 2021.08.15.
元銃器職人 (1716) で今は皮革製品で知られる<フォレ・ル・パージュ FAURÉ LE PAGE>は鱗:エカイユ écaille 模様が特徴。モノグラム monogram は銃器職人当時からの FLP です。2012年にリシュリュー通りから移転。金色の武具が伝統を窺わせて。
帽子職人からスタートした(1910)ココ・シャネル Coco Chanel (1883-1971) が最初に借りたのがこのコンボン通り21番地でした。右の23番地にはシャネルのモノグラムが見えます。その右25・27・29・31番地及び左側19番地はいずれもシャネルです。
コンボン通り21番地で帽子屋からスタートした(1910)ココ・シャネル Coco Chanel (1883-1971) は大繁盛してコンボン通り31番地を丸ごと購入して事業を拡大しました(1918)。以来シャネルの本店です。
彼女は前にある「オテル・リッツ・パリ Ritz Paris」に移るまでここに住みました。
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ネルソンマンデラ公園側から改装なった証券取引所-ピノー・コレクション と コロン・メディシス Colonne Médicis(1574) をバルタール小径とアンドレ・ブルトン小径との交差点から望む。
ベランダのある2階の中央から公園とキャノピー(天蓋) La Canopée を見ると‥
円形の商品取引所 Bourse du Commerce の左に見える塔は< Colonne Médicis (1574) >と呼ばれる。カトリーヌ・ド・メディシス Catherine de Médicis (1519-89) が建てて居住した Hôtel de Soissons (王妃の館 l’ hôtel de la reine / 1575 竣工、 1748 破壊) 唯一の名残りだ。
夫のアンリ2世 (1519-59) はノストラダムス (1503-66) の最大の讃美者であったといわれるが、彼の予言があった後に亡くなった。コロンは占星術に興味を持っていた彼女のアンリ2世への贈り物であったと信じられている。コロンの内部は螺旋階段、サミットにはガラスの屋根があって、占星術を行なえるようになっていたという。
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ネルソンマンデラ公園側から改装なった証券取引所-ピノー・コレクション と コロン・メディシス Colonne Médicis(1574) を望む。
コロン・メディチには「パリの市章と銘板」(1812) の下に泉、柱の上方にアンリ2世王妃:カトリーヌ・ド・メディシス (1519-89) のモノグラムHCCが見られる。
* 1945年3月13日から14日にかけて「大阪大空襲」。津守にあった工場で焼け残ったコンクリート建ての屋上から焼け野原になった大阪の街を見た記憶がよみがえる。
「東京大空襲」は3月10日。
ウクライナの戦禍はキエフまで・・。
** 3月14日から、フランスのレストラン・美術館・長距離鉄道などで求められていた Passe vaccinal (ワクチンパス) の提示義務が解除。
パリの百貨店<サマリテーヌ Samaritaine>のリヴォリ通り側。
「歩道、双方向の自転車等専用道、片方向自動車道(1車線)、歩道」の道路構造。1車線を自転車道に転用した。
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チュイルリー庭園の風景。
刈り込まれたマロニエの並木に囲まれた芝生の上に女流彫刻家 ジェルメーヌ・リシエ Germaine Richier (1902-59) の作品<でっかい チェス盤 L’Échiquier,Grand (1946)>。
パリのカラスはハシボソなのが良い。
シテ島の北面セーヌ川沿いに残るシテ宮 Palais de la Cité の痕跡、中世の塔 (左視界外にもう一基時計の塔 Tour de l’Horloge がある) 。
左側にフィリップ4世治世下(1285-1314)に補強されたツインの塔、左が銀の塔:トゥル・ダルジャン Tour d’Argent 、右にシーザーの塔:トゥル・セザー Tour César、そして右側にルイ9世治世下(1226-70)に建設されたボンベックの塔:トゥル・ボンベック Tour Bonbec 。
後者には砲門のある狭間胸壁 Créneau が付属している。2本の尖塔の間にサント・シャペル Sainte-Chapelle の尖塔が見えている。
シャルル5世(在位:1364₋80)はシテ宮を放棄(1360)し、<シャルル5世の城壁>で守られたサン・ポール宮殿を経てヴァンセンヌ城内の要塞王宮で執務した。
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クール ナポレオン(ナポレオンの中庭) の翌日夕方7時半頃の様子。手前のカルーゼル広場から。
毎週末行われているワクチン接種に反対する等政権批判のデモのため、一部の路線バスを除いて交通規制があったため手前の車道に車が見えない。2021.09.04.
写真中央のコーナーの屋上にある彫像(細部が見えないが)はアントワーヌ=オーギュスタン・プレオー Antoine Auguste Préault による<平和 Paix (1857)>で、視覚外の右側コーナーにある<戦争>と対になっている。
パヴィリオン リシュリューのペディメントには<科学と芸術を保護するフランス France protégeant la Science et l’Art (1857)>、フランシスク・デュレ Francisque Duret の作品。
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ナポレオン3世が皇帝になって手掛けたルーヴル宮の拡張。後にピラミッドが置かれたクール ナポレオン(ナポレオンの中庭) Cour Napoléon を取り囲む部分がそれ。
北(左)にパヴィリオン リシュリュー、東にパヴィリオン シュリ―(向こうクール キャリー Cour carrée 側は以前からの時計パヴィリオン) 。ペディメントを支える柱は全てカリアティード Cariatide を使っている。
ジラルドンが飾り付けを加えたベルニーニによるルイ14世像 Statue de Louis XIV du Bernin agrémentée par Girardon の左右にPCR 検査用のテント。パスサニテールを所持していない人はここで陰性を証明できないと美術館には入れなかった(私は所持していたが)。2021.09.03.
これほど閑散とした光景は記憶にない。
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カルーゼル広場の車道側越しにエッフェル塔。カルーゼル凱旋門とその右にアントワーヌ・フランソワ・ジェラール Antoine-François Gérard (1760-1843) 作の彫像<勝利を収めたフランス La France victorieuse (1814)>。
パリ交通公団 RATP が運行する TO-OT BUS と路線バスが目の前を左右に通過中。
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バトー・パリジャン Bateaux Parisiens が運航するトリマランのクルーズ船カトリーヌ・ドヌーヴ号がセーヌ川を上る。2021.09.05.
Covid-19 のため行動に制限のある中、満員の乗客が・・カルーゼル橋 Pont du Carrousel の左にルーヴル美術館、上流にシテ宮の時計の塔、サント・シャペルの尖塔、ノートルダム大聖堂のノースタワーが見えているシテ島。
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ヴァンドーム広場19番地の Hôtel d’Évreux で催されたヴァンクリーフ&アーペルによる展示会< Florae >から出ると猛烈な雨でしたので、出口直ぐの23~25番地のブルガリ ヴァンドーム広場店のウインドウ前で腰掛けて一時雨宿りをしました。2021.09.15.
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1607年から1608年の冬のパリは非常に寒くてセーヌ川が凍った。その光景を描いた<セーヌ川のスケーター Patineurs sur la Seine (1608頃)>。ホッケーに興ずる人、スケートをする人、馬が引くそりなどが描かれている。カルナヴァレ美術館所有。
ルーヴル宮(右)付近のセーヌ川で、セーヌ左岸堤に今はないネスレ(ネール)塔 Tour de Nesle (フィリップ・オーギュストの城壁の角塔(監視塔) 1200頃-1665) が見える。
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ヴァンクリーフ&アーペルによる展示会< Florae >が開かれたヴァンドーム広場19番地 Hôtel d’Évreux (1710) 。
左隣17番地 Hôtel Crozat と15番地 Hôtel de Gramont はホテル リッツパリ Ritz Paris 。
ヴァンドーム広場19番地の Hôtel d’Évreux で催されたヴァンクリーフ&アーペルによる展示会< Florae >の様子。
真っ暗な会場の中で、写真家 蜷川美香の移り変わる写真のオブジェがヴァンクリの宝石に色を添えていた。
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ナポレオンがレカミエ夫人への贈り物としてジャック=ルイ・ダヴィッド Jacques-Louis David (1748-1825) に制作を依頼した<マダム レカミエの肖像 Portrait de madame Récamier (1800)> 。
受け取るつもりのなかった彼女はダヴィッドの弟子のフランソワ・ジェラール François Gérard (1770-1837) に依頼して(1801)<ベルナール生まれのジュリエット・レカミエの肖像 Portrait de Juliette Récamier, née Bernard (1777-1849)(1805)>を描かせた。これを知ったダヴィッドはこの絵に署名せず未完として生涯手元に置いた。
背もたれのない両端のあるこのタイプの長椅子:シェーズ・ロング Chaise longue は ”レカミエ Récamier” と呼ばれることとなった。寝室用ではなく居間用の長椅子なので、裸足で座るのははしたないとされていた。
ピノーコレクション Bourse de Commerce – Pinault Collection (2021) のオープニング展示で観たケリー ジェームズ マーシャル Kerry James Marshall (1955-) の作品<これも愛?Could This Be Love (1992)>。
ポンヌフ右岸上流のメギッスリー河岸からセーヌ川河川敷を見下ろすと・・(8月8日)
例年のパリプラージュとは趣が異なる気がした。COVID-19 対策の一環で、屋外での飲食場所を確保しているのだろうと推察した。
燦燦と日を浴びて気持ち良い。パラソルは開いていない。セーター等何かしら上着を持っている。
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8月8日のBoutique de LOULOU。サマリテーヌのポンヌフ側。右側の入り口はポン・ヌフ通りのこちら側モネ通り Rue de la Monnaie 。この黄色い自転車が買いたかったです。
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ヴァンドーム広場19番地の Hôtel d’Évreux で催されているヴァンクリーフ&アーペルによる展示会< Florae >に出かけた。写真家 蜷川美香の写真がヴァンクリの宝石に色を添える。
朝から今回の滞在で恐らく初めてのぐずついた天気。会場を出たところで土砂降り。20分ほどで上がったが、その後再び。ヴァンクリーフ&アーペルとロレックス Dubail の軒下で2度の雨宿りをした。
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行政の最高裁判所の位置づけにある国務院 Conseil d’État 前のパレ・ロワイヤル広場での 衛生パス Pass sanitaire や義務的ワクチン接種に反対するデモに出くわした(9月4日⁽土⁾)。リヴォリ通りはこの前後で封鎖。Bus 69 系統等にも影響。
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今年再開したサマリテーヌはアーネスト・コニャックによって創立⁽1870⁾されてから150+1年目。ポンヌフに面したショウウインドウを店内から見たところ。先月はオリエント急行のミニチュア車両があった。店内のオブジェも様変わりしていた。野菜の種を買いに行く途中で立ち寄ってみた。
EUデジタルCOVID証明書 EU Digital Covid Certificate の QRコードを提示して⁽スマホ⁾瞬時に入店。
サン=トノレ通りに特設のテラス席を設けたブラッセリー Le Café de la Régence 。コロナ対応でこの様なカフェが目立つ。通りの向こうがアンドレ・マルロー広場。プラタナスの大木に隠れているのがコメディー・フランセーズ La Comédie Française 。
日本国証明のワクチンパスポートを基に交付申請していた外国人向けのパス・サニテール Pass sanitaire を取得しました。一度目(8月12日から数度)は結局混雑してる旨の自動応答のみでしたが、二度目の申請ではすんなり。
70系統バスの車窓からセーヌ川シテ島左派流。右にシテ島の Tribunal Correctionnel de Paris 。通常はポンヌフを通るので、サン ミッシェル橋からは初めてかも。パリ市内は相変わらず PARIS 2024 に向けて大改修工事中。バスルートも関連で変更が多くて利用が難しい。
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ナポレオン Napoléon Bonaparte (1769-1821) の没後200周年を記念して国旗で飾られたヴァンドーム広場のオーステルリッツ記念柱。マクロン大統領はアンヴァリッドのナポレオン廟に花輪を捧げたと聞く。
ブルスデコマース – ピノーコレクションからパリの東方向を望む。
正面奥にポンピドゥー・センター、眼前にネルソンマンデラ公園、その向こうにウェストフィールド・フォーラムデアール (2019) の大屋根。初めて見る景色。
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サマリテーヌの正面玄関からの眺め。Conciergerie が地上階正面に。
パリのブルス・デ・コマース Bourse de Commerce de Paris を改装した現代美術アートのピノーコレクション Pinault Collection の円形展示室から対面の展示室の様子を窺ったところ。
フランソワ=アンリ・ピノー François-Henri Pinault (1962-) はパリ市と50年のリース契約を結び、ブルス・デ・コマースに手を加えて私設美術館を開設した。
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旧パリ商品取引所が美術館:ブルスデコマース – ピノーコレクション Bourse de Commerce – Pinault Collection として再生オープンした⁽2021⁾。
「日本政府証明のワクチンパスポート」の有効性を確かめてからチケットを購入した。
地上階の様子。円形のコンクリートの壁が安藤忠雄の設計で加えられた。旧壁との間は通行路。従来との違いは上記のリンクをクリックして。
中央に置かれた彫像はジャンボローニャ Jean Bologne (1529-1608) による<サビニの女たちの略奪 Enlèvement des Sabines (1574-82)>のレプリカ。昔、フィレンツェのシニョリーア広場で見ました。
Pass sanitaire 衛生パスが必要な”まつだ”に行ってみました⁽8月12日⁾。店長が宇和島出身の寿司店。日本のワクチンパスポートを提示して入店。QRコードがないので戸惑いがあった様だったが説明していると店長がOKと。
店内から店の前の道路上に特設されたテラス席を見たところです。その分店内の蜜を緩和しているのでしょう。
イートインでなく、テイクアウトであればPass sanitaire 衛生パスは必要ありません。
サマリテーヌ Samaritaine の<ルイ・ヴィトンのオブジェ・ノマド Louis Vuitton Objets Nomades>のコーナー。憧れだったルイ・ヴィトンの旅行鞄も置かれています。2021.08.08.
* 8月14日から、フランス等からの帰国者・入国者に3日間の強制隔離。水際対策強化。
長らく休眠していた老舗百貨店 (1870-2005) の”サマリテーヌ La Samaritaine“が再生オープンした (2021) 。”100%電気バス”の車窓から見たところ。ガラス窓が一段多く、視界が広いのがわかる。その窓から、鉄とガラスのアール・ヌーヴォー建築を・・
オンデット Ondet が出版した作曲家 デジレ・ディハウ Désiré Hippolyte Dihau (1833-1909) の音楽に合わせた作詞家 ジャン・グーデツキ (1866-1934) の詩集 Poésies de Jean Goudezki、ヴィエイル・ヒストリア Les Vieilles Histoires (昔話) の表紙 (1893)。ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) が描いた。
左腕でファゴットを抱えた奏者で作曲家のディハウが、クマで表したグーデツキをひもで引っ張って対岸のフランス学士院 Institut de France に連れて行くイラストをポン・ デ ・ザール Pont des Arts の右岸詰の視点で。
ディハウはロートレックの従兄。グーデツキは植民地政策を公然と批判した唯一の作詞家。
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新古典主義からロマン主義への過渡期の彫刻家フランソワ・リュード François Rude (1784-1855) の作品、<タラリア Talaria (有翼のサンダル) を付け直すメルキュール Mercure rattachant ses talonnières (1834)>。
ルーヴル美術館所蔵。
ローマ神話のメルキュール / メルクリウスはギリシャ神話の神々の伝令使であり旅人や商人の守護神であるエルメス / ヘルメース。
有翼の帽子 / 羽根兜:ペタソス Pétase と蛇の巻き付いた有翼の杖 / エルメスの杖:カドケウス Caducée もともにエルメスのアトリビュート / 属性。
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アンリ・マティスと共に野獣派を代表する画家だったアンドレ・ドラン Andre Derain (1880-1954) は妻アリス・ジェリーの妹の娘:ジュヌヴィエーヴ・ジェリー Geneviève Géry (1919-) をモデルに多数の作品を残した。
<画家の姪 La Nièce du peintre (1931)>は彼女が12歳の頃の等身大の肖像だが、フォービズムの画家だったとは思えない作品。オランジュリー美術館。
12年後(1943)、ジョルジュ・ブラック Georges Braque (1882₋1963) の立会いの下で結婚しジュヌヴィエーヴ・タイラーデ Geneviève Taillade となる。
”ジャヴォット Javotte”として知られる女優で歌手のジュヌヴィエーヴ・タイラーデは彼女の娘だ。
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オランジュリー美術館で開催された石橋コレクション展 (2017) で。
<縞ジャケット La Jacqutte rayée (1914)>と題するアンリ・マティス Henri Matisse (1869-1954) によるこの作品のモデルは彼の長女:マルグリッド (モデルの一人だったCaroline Joblaudとの子、結婚してMarguerite Duthuit Faure (1894-1982) ) 。
20歳を迎える娘への愛情が溢れている肖像だ。
当時建て替え工事中だったブリジストン美術館はアーティゾン美術館と改称してオープンしている (2019) 。
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ルーヴル美術館のリシュリュー翼から国務院とパレ・ロワイヤル広場を見たところ。2019.07.14.
国務院 :コンセイユ・デタ Conseil d’État は政府の諮問機関であり、行政訴訟の最高裁判所でもある。
ケースで保護されているテラコッタはオーガスティン・パジュー Augustin Pajou (1730-1809) 作の<大河 Fleuve (1761)>。ルイ15世の公妾ポンパドール候爵夫人 Jeanne-Antoinette Poisson, marquise de Pompadour の名付け親ジャン・パリ・ド・モンマルテルが注文し屋敷ブルノイ城(革命後解体)の庭園に置かれていた彫像の縮小版。
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アルルのローマ劇場跡:アルルの古代劇場で発見された (1651) <アルルのヴィーナス Vénus d’Arles:アルルのヴィーナスとして知られるアフロディーテ Aphrodite dite Vénus d’Arles>。
ギリシャの彫刻家プラクシテレス (BC 395₋326) に帰着するアフロディーテ像:テスピエスのアフロディーテ (BC 360頃) のローマンコピーではないかとされている。
フランソワ・ジラルドン François Girardon (1628-1715) がルイ14世の命を受けて修復し、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間に置かれた (1685₋1797) 。アフロディーテを示すリンゴと右腕と左前腕は追加された。
ギリシャ神話の神々の女王ヘーラー・知恵の女神アテーナー・愛と美の女神アプロディーテーの三美神の美を審判した”パリスの審判”で勝利して得たリンゴを右手に掲げ左手に持った鏡(柄のみ)に映して見ているアプロディーテー:ローマ神話ではヴィーナス。
奥の人だかりの場所には<ミロのヴィーナス Vénus de Miro>が置かれている。