ナンシーのアール・ヌーヴォー建築 2

   depuis  2001

Immeuble Génin-Louis (1901) / Henri Gutton (1851-1933) / Art Nouveau / Oriel / Nancy

アンリ・ギュトン Henri Gutton (1851-1933) によるアール・ヌーヴォー建築:ジェニン・ルイ ビル Immeuble Génin-Louis (1901) 。ジョセフ・ホーネッカー Joseph Hornecker (1873-1942) と Henry Gutton (1874-1963) と共に。
オリエル Oriel (出窓・バルコニー) の付け根には錬鉄製のケシの花と実が付けられている。出窓を含む3階から上の住宅部分は鋼製の梁と支柱で支えられている。

* 「ロレアル パリ」のメイクと「エッシー」が年内に日本撤退を発表。

ナンシーのアール・ヌーヴォー建築 1

   depuis  2001

エミール・アンドレ Émile André(1871-1933) が建築したロンバードビル Immeuble Lombard (1903)。4階のベランダ部分はパリのアール・ヌーヴォー建築家 ジュール・ラヴィロット Jules Lavirotte (1864-1928) の作品 Lavirotteビル (1901) を参考にしたとされる。

Immeuble Lombard (1903) / Émile André(1871-1933) / Nancy

ロートレックの従兄 デジレ・ディハウ

オンデット Ondet が出版した作曲家 デジレ・ディハウ Désiré Hippolyte Dihau (1833-1909) の音楽に合わせた作詞家 ジャン・グーデツキ (1866-1934) の詩集 Poésies de Jean Goudezki、ヴィエイル・ヒストリア Les Vieilles Histoires (昔話) の表紙 (1893)。ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) が描いた。
左腕でファゴットを抱えた奏者で作曲家のディハウが、クマで表したグーデツキをひもで引っ張って対岸のフランス学士院 Institut de France に連れて行くイラストをポン・ デ ・ザール Pont des Arts の右岸詰の視点で。
ディハウはロートレックの従兄。グーデツキは植民地政策を公然と批判した唯一の作詞家。

Les Vieilles Histoires (1893) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Département des estampes et de la photographie de la Bibliothèque nationale de France

ライオンのポルチコ アンヴェール動物園

アンヴェール(アントウェルペン)動物園の門 Porte d’entrée du zoo d’Anversを通って少し歩くと4体のライオンが支える柱廊式玄関:ポルチコ Portique à l’entrée du zoo d‘Anvers がある。ライオン像は Alphonse Van Beurden (1854-1938) による彫刻。
チケット売り場は右。左が管理棟。

Portique à l’entrée du zoo d‘Anvers / Zoo d‘Anvers / Anvers

* エッフェル塔のライトアップに燃料電池が導入された旨の報道があった。今夏の訪仏が楽しみ。

<ヒトコブラクダに乗った少年>の像

Négrillon qui avec son dromadaire / Place Reine Astrid / Zoo d’Anvers / Gare d’Anvers-Central / Anvers

アンヴェール(アントウェルペン)中央駅前のアストリッド女王広場 Place Reine Astrid に面したアンヴェール動物園 Zoo d’Anvers (1843) 入口横の管理棟の角にある、胡椒入れの台座の上に載っている<ヒトコブラクダに乗った黒人の少年 kameeldrijver (1900)>の像が目を引く。入口の鳥の像と共にジョシュエ・デュポン Josué Dupon (1864-1935) の作品。
この建物は、列強の空白地だったコンゴを私領 (コンゴ自由国) としてではあったが植民地化に成功した (1884)(1908 ベルギー国家に譲渡) レオポルド2世 Léopold II (在位:1865-1909) の指揮のもとに建築された。

タックスフォードのロコモビル

農業用の可搬式蒸気機関 Locomobile 。ロンドンで開かれた万国博に出展されたボストンのタックスフォード社製のロコモビル Locomobile de Tuxford (1851)
蒸気機関からの動力をベルトで農業機械に伝達するためのブーリ(滑車)が付いている。設置場所への移動は馬車に曳かせたか荷車に載せたかで自走式ではない。前面の右に見える丸い計器はウジェーヌ・ブールドン Eugène Bourdon (1808–1884) が発明(1849)したブルドン管圧力計
フランス国立工芸院 Conservatoire national des arts et métiers (アーサー・モラン Arthur Morin (1795-1880)) が購入した (1851)。パリ工芸博物館 Musée des Arts et Métiers にて。

Machine à vapeur dite Locomobile de Tuxford (1851) / Manomètre à tube de Bourdon / Eugène Bourdon (1808–1884) / Musée des Arts et Métiers

パリ市内の走行を許可された最初の自家用車

   depuis  2001

アメデー・ボレー AmédéeBollée (1844-1917) が製造した蒸気自動車「従順 L’Obéissant」(1873)。走行速度・操縦性・安定性等の面から初めての自動車であり、自家用車の祖であるとされている。最高時速40km、ギアチェンジで12%の登坂可、12人乗り。ルマンからパリ230kmを18時間で走破(1875)、パリ市内の走行を許可された最初の自家用自動車となった。
パリ工芸博物館 Musée des Arts et Métiers に保存されている。

Voiture à vapeur dite L’Obéissante (1873) / AmédéeBollée (1844-1917) / Musée des Arts et Métiers

ロッテルダムの中心 ロイヤル・ハーバー

   depuis  2001

嘗ての(1927-93)鉄道昇開橋コーニングスハーフェン橋 (王の港の橋) Koningshavenbrug とその手前の跳開道路橋コーニンギンネ橋 (女王の橋) Koninginnebrug (1929) を下流側新設のエラスムス橋 Erasmusbrug (1996) から見たところ。
エラスムス橋の斜張橋部分はすぐ左側からで、眼下のライン川の派流の一つニューウェ・マース川 Nieuwe Maas / La Nouvelle Meuse のコーニングスハーフェン (王の港) 部分は二連の跳開橋になっていてすぐ右に遮断機が設置されている。鉄道は今は地下トンネルとなっていて左にすぐロッテルダム中央駅だ。

Koningshavenbrug / Koninginnebrug / Koningshaven / Erasmusbrug / Nieuwe Maas / La Nouvelle Meuse / Rotterdam

ルイ・ヴィトン展 LOUIS VUITTON &

原宿の JING で行われていたルイ・ヴィトン展 LOUIS VUITTON & に行ってきました。2021.05.16.
7年ぶりのルイヴィトンとコム デ ギャルソンの川久保玲とのコラボによるトートバッグ「モノグラムキャンパスのバッグウィズホール 」などが目に入りました。

モノグラムキャンパスのバッグウィズホール / コム デ ギャルソン COMME des GARÇONS の川久保玲デザインによるトートバッグ

ジェフ・ウォールによる遺失物保管庫        ウィルヘルミナ女王埠頭の記念碑

ロッテルダム港のウィルヘルミナ埠頭 Wilhelminakade の西端 (北海側) は”女王の頭”と呼ばれている。そこにオランダ、東欧からアメリカへの多くの移民がここ”ウィルヘルミナ女王埠頭”からニューヨークに向けて出発したことを記念するモニュメントが置かれている。
視覚芸術家 ジェフ・ウォール Jeff Wall (1946-) による<遺失物保管庫 Lost luggage depot (2001)>。生まれ育った大陸との別れを移民たちが残していった生活用具の保管庫で視覚化した作品。
左前方がライン川の派流の一つニューウェ・マース川 Nieuwe Maas / La Nouvelle Meuse 河口の北海。 40km ほど先だ。前方のタワーはヘットパーク Het Park にあるオランダ一の高さのユーロマスト Euromast (185m 1960) 。

Lost luggage depot (2001) / Jeff Wall (1946-) / Wilhelminakade / Nieuwe Maas / La Nouvelle Meuse / Euromast / Rotterdam

ウィルヘルミナ埠頭からエラスムス橋

   depuis  2001

オランダ女王だったウィルヘルミナ Wilhelmina (1880-1962、在位:1890-1948) の名を冠したロッテルダム港のウィルヘルミナ埠頭 Wilhelminakade 。20世紀初頭から特に第一次大戦後までの間(1900-1925)東欧からアメリカへ多くの移民がニューヨークに向けて出航した岸壁 (ホーランドアメリカライン (1901-71)) だ。
 今はクルーズ船 (ロッテルダム号が着岸中) の発着埠頭になっていて、ライン川の派流の一つニューウェ・マース川 Nieuwe Maas / La Nouvelle Meuse に架かるエラスムス橋 Erasmusbrug (1996) 斜張橋とその向こうにウィレム橋 Willemsbrug (1981) 斜張橋が見えている。工事中の建物はデ・ロッテルダム (2013)。
白鳥 De Zwaan の首に見えるエラスムス橋の跳開橋部分はクルーズ船の陰で見えない。エラスムス (1466-1536) はロッテルダム生まれの哲学者の名。

Erasmusbrug (1996) / De Zwaan  / Wilhelminakade / La Nouvelle Meuse / Port de croisière de Rotterdam / Rotterdam

”リストランテ ニシシゲ” のフランス産シャロレー牛肉

   depuis  2001

四国中央市にあるイタリア料理店”リストランテ ニシシゲ” のメインの肉料理にフランス(原)産シャロレー牛 Charolaise が使われていました。シャロレーはリムーザン Limousine と共にフランス牛の代表種。柔らかい赤身が好まれています。

Charolaise / リストランテ ニシシゲ / 四国中央市

* Buon Compleanno Tanti Auguri .

オランダのテーマパーク「マドローダム Madurodam」

   depuis  2001

オランダのデン・ハーグにあるテーマパーク「マドローダム Madurodam」(1952)。60周年の2012年に見学。
一目で分かったのは中央奥のエラスムス橋 Erasmusbrug (1996) 。ロッテルダムのニューウェ・マース川に架けられた斜張橋 (802m) 。
目の前にブラバントゴシック様式のセルトーヘンボス大聖堂 (聖ジャンス聖堂) Cathédrale de Bois-le-Duc (1220-1530)。1ブロック置いた右隣に平和宮 Palais de la Paix 。聖堂の向こうのドームがアムステルダムの王宮Palais royal d’Amsterdam 。
いずれも 1:25 のミニチュア模型。

Madurodam / Erasmusbrug / Cathédrale de Bois-le-Duc / Palais de la Paix / Palais royal d’Amsterdam / Den Haag

ウィレム1世 生誕400周年記念 / デルフト焼き

   depuis  2001

「ネーデルラント連邦共和国」の実質上初代君主、祖国の父とされるウィレム1世 Willem I (1533-84) の生誕400周年記念のデルフト焼き (1933) 。
ナッサウ=ディレンブルク伯ヴィルヘルム1世の長子ウィレムは1544年に、ネーデルランドの所領とオランジュ公国を相続してオラニエ公ウィレム1世 Willem de Zwijger となる。オランジュ(オラニエ)公国 Principauté d’Orange はフランスに存在した (1181-1713) 主権公国 principauté souveraine 。
左に、1533・24 April・1933 (4月24日生まれ) のリボン。W vOWillem van Oranje オラニエ公ウィレム。紐付きホーン Cor de chasse はオラニエ公国の紋章。(ウィレム1世ではなく)オラニエ公ウィレム生誕400周年のプレート。
右は、ウィレム1世の肖像。
プレートの縁にはオレンジの花、実、葉。デルフトブルー Bleu de Delft

400e anniversaire de la naissance de William le Silencieux / Armoiries des princes d’Orange / Royal Delft / Delft

カタリナ=アマリア (オラニエ女公) 誕生日入り記念プレート

オランダ国王 (2013 即位) の第一王女:カタリナ=アマリア Catharina-Amalia (2003.12.07-) の誕生日入りのデルフト焼きプレート。現オラニエ女公 Prinses van Oranje (2013) 。オランダ王女 Prinses der Nederlanden 、オラニエ=ナッサウ公女 prinses van Oranje-Nassau の称号も持つ  。王立デルフト陶器工房 Royal Delft (1653) にて。 
オレンジの実付き小枝で囲まれている紋章はオラニエ女公となって以降使用しているもの。シールドの左上と右下にオランダ国王の紋章、右上と左下にオラニエ公の紋章:紐付きホーン Cor de chasse、中心に王女の紋章。

Catharina-Amalia (2003.12.07-) / Armoiries de la princesse d’Orange : princesse héritière des Pays-Bas / Royal Delft / Delft

ウィルヘルミナ(オランダ)女王のシルバージュビリー    デルフト焼き

   depuis  2001

オランダのウィルヘルミナ女王 Wilhelmina Koningin der Nederlanden 親政25周年:シルバージュビリー Jubilé d’argent (1898-1923) 記念のデルフト焼きプレート。王立デルフト陶器工房 Royal Delft (1653) にて。 
左:”右手に剣・左手に矢束を握る起立ライオン”のシールドの下にフランス語で<Je Maintiendrai 我守り続けん>とあるオランダ王国の紋章(1815) の両側にオレンジの実が付いた小枝。
右:オレンジの実の付いた木と周りにオレンジの葉模様。
オレンジは「ネーデルラント連邦共和国」の実質上初代君主とされるウィレム1世 Willem I (1533-84) オラニエ公 (オレンジ公ウイリアム) に由来するもので、オランダのナショナルカラーは今もオレンジだ。

Jubilé d’argent de Wilhelmine Reine des Pays-Bas / Royal Delft / Delft

* Buon Compleanno Tanti Auguri .

アレクサンドル・デュマ・フィスの記念碑

   depuis  2001

カトゥルー将軍広場 Place du Général Catroux に置かれたモニュメントの一つ<アレクサンドル・デュマ・フィスの記念碑 Monument à Alexandre Dumas fils (1906)>。ルネ・ド・サン・マルソー René de Saint-Marceaux (1845-1915) の作品。2012.08.02.
モンテクリスト伯の作者アレクサンドル・デュマ・ペールの息子アレクサンドル・デュマ・フィス Alexandre Dumas fils (1824-95) の出世作は「椿姫 La Dame aux camélias」1848小説・1849戯曲・1850上演。高級娼婦 / クルチザンヌのマリー・デュプレシ Marie Duplessis (1824-47) と自身との恋物語。

Monument à Alexandre Dumas fils (1906) / René de Saint-Marceaux (1845-1915) / Place du Général Catroux

ノールドアインデ宮殿とアイビーゼラニウム

   depuis  2001

ナポレオンの侵攻によって崩壊した(1795)ネーデルラント連邦共和国はナポレオン失脚後のウイーン会議(1815)によりオランダ王国(ネーデルラント連合王国)となる。初代国王となったウィレム1世 Willem I (共和国最後の提督の息子) が執務したのがデン・ハーグ / ラ・エーにあるノールドアインデ宮殿 Paleis Noordeinde。左に彼の騎馬像 (1845) の台座が。臨時政府によって与えられた(1813)称号プリンス・ウィレムの名で。
”右手に剣・左手に矢束を握る起立ライオン”のオランダ王国の紋章(1815)にはフランス語で<Je Maintiendrai 我守り続けん>とある。2012.08.11.

Paleis Noordeinde / Den Haag:La Haye / Armoiries des Pays-Bas

女性射手 アマゾーン / パリ植物園

「コーカサスサワグルミ」の樹の下で弓を持つ女性射手はギリシャ神話の女性部族アマゾーヌ Amazones の乙女。処女だけが戦士だったとされる。ピエール・ヴィグルー Pierre Vigoureux (1884-1965) のブロンズ作品<アマゾーン Amazone (1927)>。

Amazone (1927) / Pierre Vigoureux (1884-1965) / Ptérocaryer du Caucase / Jardin des Plantes

パリのメッセンジャー像 / オルセー通り

Le Messager (1937) / Ossip Zadkine (1890-1967) / Esplanade Habib Bourguiba / Quai d’Orsay

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オルセー通りのアンヴァリッド橋下流左岸詰め、ハビーブ・ブルギーバ遊歩道 Esplanade Habib Bourguiba にオシップ・ザッキン Ossip Zadkine (1890-1967) 作の<メッセンジャー Le Messager (1937)>は置かれている。

台座の裏面に、エキゾチックな木造パヴィリオンを飾る木彫としてパリ万博1937に出品されたもののブロンズキャストとの説明がある。
2012.08.05.

シラク パリ市長がパリ(セーヌ川)・東京(隅田川)友好の記念として寄贈した(1992)のと同じキャストかと。

メッセンジャー像と隅田川 (と永代橋とスカイツリー)

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メッセンジャー Le messager (1937) / Ossip Zadkine (1890-1967) / 隅田川 / 中央大橋 / 中央区新川2丁目・佃2丁目

 中央大橋から隅田川の上流方向を見ました。永代橋の向こうに東京スカイツリーが見えています。
上流を向く手前の像はオシップ・ザッキン Ossip Zadkine (1890-1967) 作の<メッセンジャー Le Messager (1937)>
パリの市章にある帆船を抱いた航海の守護神を表したもの。ジャック・シラクパリ市長が寄贈(1992)。
パリ(セーヌ川)と東京(隅田川)の友好記念。
右側の墨田川河畔は<パリ広場 Place de Paris>と呼ばれています。

パリには、セーヌ川のオルセー河岸通り(アンヴァリッド橋下流左岸)に置かれています。

カナダの命名者ジャック・カルチエの像 / サン=マロ

カナダの命名者ジャック・カルチエ (1491-1557) はサン=マロの出身。その顕彰碑 Monument à Jacques Cartier (1905) がオランダ稜堡 Bastion de la Hollande の広場にある。
ジョルジュ・バロー Georges Bareau (1866-1931) の作品。フランソワ1世の命によりサン=マロを出港し、セントローレンス川を遡りケベック、モントリオールに到った (1535) 2回目の探検に使った外航帆船 La Grande Hermine舵柄かじづかを握る姿。
サン=マロの城壁 Remparts de Saint-Malo に囲まれた城内の建物(左)はこの地の岩石の多様性を示すポリリシズムの建物 Maison polylithique。

Monument à Jacques Cartier (1905) / Georges Bareau (1866-1931) / Bastion de la Hollande / Maison polylithique

ランス川河口とソリドール塔

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ブルターニュ(地域圏) の首府レンヌ Rennes と「イル・ランス運河 Canal d’Ille-et-Rance」で結ばれているランス川の河口。右岸(右)仏英海峡の要衝サン=マロ Saint-Malo を監視するためブルターニュ公ジャン4世Jean IV (在位:1364-99) によって建造された Tour Solidor (1369-82) 。現在は ホーン岬 Cap Horn を航行した帆船の船長達の国際博物館 Musée international du Long-Cours Cap-Hornier になっている。
15mもある干満差を利用したランス潮汐発電所がすぐ上流にある。潮が引き始めているようなので発電間もなくかも。

La Rance / Tour Solidor (1369-82) / Saint-Malo

ブルターニュ橋からレンヌの市街を

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ブルターニュ(地域圏) の首府レンヌ Rennes の中心部を西側から見たところ。
レンヌ美術館は奥右側。真ん中を流れるヴィレーヌ川の上部は覆われて共和国広場や駐車場等になっている。
前に見えるミシオン橋 Pont de la Mission の左岸橋詰 (ブルターニュ広場) から斜めに横切るブルターニュ橋 Pont de Bretagne が右岸堤にぶつかるところに閘門があり、北方向へ「イル・ランス運河 Canal d’Ille-et-Rance」が始まる。仏英海峡 La Manche の要衝サン=マロ Saint-Malo へ。

Ville de Renne /  La Vilaine / Pont de Bretagne / Canal d’Ille-et-Rance

ヴィレーヌ川 沿いに建つレンヌ美術館

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ヴィレーヌ川 la Vilaine 沿いに建つレンヌ美術館 Musée des Beaux-Arts de Rennes (1794)。レンヌ大学も入っていたレンヌ大学宮殿 Palais universitaire de Rennes (1855) と呼ばれる建物。フォンテーヌブロー派の画家(作者不詳) による作品 <若い男性と老人の間の女性 La femme entre deux âges (1580-90)>を見るにはここ。
レンヌの中心を流れるヴィレーヌ川は10,882 km²の流域面積を持ち、右側(下流)でイル川を合わせて流下し、北大西洋のビスケー湾に注ぐ。イル川はイル・ランス運河 Ille-et-Rance Canal を通して仏英海峡の要衝サン=マロを流れるランス川とも結ばれている。

Musée des Beaux-Arts de Rennes (1794) / La Vilaine / Rennes

* 今日から 1/2 減煙に挑戦。