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有栖川宮記念公園にある東京都立中央図書館前の広場からの風景。
左の白い建物が図書館。その奥に六本木ヒルズ森タワー (238m:2003)、その右木陰に東京ミッドタウン Tokyo Midtown (248m:2007)、右端に六本木グランドタワー ( 230m:2016)。20年前は青空だった。広場中央に笛吹き少年の像 (舟越保武 (1912-2002) 作)。
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有栖川宮記念公園にある東京都立中央図書館前の広場からの風景。
左の白い建物が図書館。その奥に六本木ヒルズ森タワー (238m:2003)、その右木陰に東京ミッドタウン Tokyo Midtown (248m:2007)、右端に六本木グランドタワー ( 230m:2016)。20年前は青空だった。広場中央に笛吹き少年の像 (舟越保武 (1912-2002) 作)。
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パリの古物を扱っている ”Antiques Brocante PARIS” の看板。パリの古物市で見かける馴染みの文字。昨年は訪仏を見送ったこともあって懐かしく感じた。手前は ”National Azabu Supermarket” で、外人客が目立つ。後方の建物はドイツ連邦共和国大使館。
左に南部坂と有栖川宮記念公園。
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明治神宮外苑の聖徳記念絵画館にあるなんじゃもんじゃの木。三代目。
正式名はモクセイ科ヒトツバタゴ属のヒトツバタゴ。絶滅危惧種。
<ギャラリー・イグレック>にあるクロガネモチの木も所によっては”ナンジャモンジャの木”と呼ばれたりする。
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明治神宮外苑の聖徳記念絵画館 (1926) とその前広場。影はユニコーン像の台座にある日章旗。
明治神宮内苑の和風に対して明治神宮外苑は洋風に設計された。その象徴が聖徳記念絵画館。鉄筋コンクリート造りに花崗岩貼り (岡山県産万成花崗石) 。2階建てで、西洋風に一階を地階、二階を主階と呼んでいる。
2021.02.22 (月).は20度を超える陽気で、ぶらぶら散歩するには絶好の日だった。
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明治神宮外苑の聖徳記念絵画館前広場にある阿吽のユニコーン像。
狛犬(獅子とユニコーン)に代えてスコットランド王国の象徴であるユニコーンを用いたものかと。額に一角を持ち、牡ヤギの顎鬚、ライオンの尻尾、二つに割れた蹄が特徴。
制作者の記載は見当たらない。
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昨日の日曜日は絶好の行楽日となって、新大久保界隈の人出はすごかったです。何年か振りに韓国料理店に入ってみました。
冷麺専門店 ”コサム”の日本本店です。コスパがいいと評判のビビン冷麺を注文しました。自家製 つくば美豚炭火焼き肉付きです。2Fの”カンホドンチキン”をテイクアウトしました。
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上野恩賜公園の花園稲荷神社横、五条天神社の寒桜が咲き始めた (2021.02.12) 。左に見えるのは合祀されている道真公の紅白の梅の白梅。
京都の五条天神社 (天使の宮) から分霊を勧請したものらしいが、ヤマトタケル東征の折に少彦名を祀って創建したとも。
五条天神社は平安京遷都に際し空海が大宇陀から少彦名を勧請した洛中最古社 (伝 794) で、唐への船出の際にも祈願し医道の祖神とされるようになった。天神とは天つ神を意味する。
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歌舞伎座の正面。中央に唐破風に本蟇股が見えている。鉄骨鉄筋コンクリート造りなので構造材ではなく装飾材かと。その手前に、唐破風の桁隠し(懸魚)である兎毛通が付いている (左右にも) 。
歌舞伎座は鳳凰円文 が定紋。房付きの (玄関) 幕、提灯、唐破風、屋根瓦に見える。
法隆寺の宝物で、東京国立博物館にある<鳳凰円文螺鈿唐櫃 (重文) >にある文様の右向きのもの。
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日光東照宮陽明門から東に延びる回廊にある、奥宮に通じる潜門:坂下門の蟇股 (荷重伝達構造材) に左甚五郎作と伝わる”眠り猫”の木彫があります。
牡丹と猫から、禅問答<牡丹花下眠(睡)猫児>に着想を得たとする説を採りたいです。
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日光東照宮の陽明門 (1636) を背面左端隅から見上げました。
上層の二段の尾垂木の上段に龍、下段に息、その下、頭貫木鼻に龍馬が横一列に装飾されています。
下層には二種の阿吽の唐獅子が並んでいます。 2021.02.13.
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下野國一之宮である日光二荒山神社の楼門、鳥居、拝殿です。
男体山(二荒山)等神奈備の日光三山のほか日光連山、いろは坂、華厳滝、中禅寺湖を含む3,400ha を境内地としています。
祭神は大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の親子三神です。
* 田心姫:タキリヒメはスサノオの子。その子アジスキタカヒコネは八咫烏であるタケツノミ(賀茂建角身命)とする説を支持。
昨年末 (2020年12月26日 (土) ) 東武鬼怒川線 (下今市~鬼怒川温泉) で運行開始した ”C11 325” (1946) です。これまでの ”C11 207″ (1941) と共に2機体制に。
新橋駅前に静態保存されているSLは ”C11 292” (1945) 。
C11 形蒸気機関車は鉄道省向けに381台製造されたそうです (1932₋47) 。
フランス人のムッシュー Monsieur H. を案内して先週末日光に出かけました (13日~14日) 。
少し雪の残っている華厳滝です。
男体山の噴火による堰止湖である中禅寺湖 (中宮祠湖) から97m落下します。
”二荒山神社 中宮祠 大鳥居”からの中禅寺湖、男体山はカメラ後方になります。
13日(土)の夜地震で目が覚めました。震度5弱だったようでした。ひどく揺れました。
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銀座4丁目の”銀之塔”で昼食した後、銀座5丁目の”東京銀座 ギャラリー向日葵”で開催中の<墨州院 第34回 東京展>を覗いてきました。
数年前から四国中央市在住の書家 金崎峰萃氏の出展作品を見に行っています。今年は「雲の彼方はいつも青空~大船渡の空~」です。
氏が紙の資料館館長時代に寄付した和紙を、墨州院の主宰が卒業証書に使用された縁だそうです。
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上野の森美術館を出て東京メトロ銀座線で銀座へ。歌舞伎座近くの和式洋食レストラン“銀之塔”で昼食をとりました。歌舞伎座関係者に親しまれているお店です。写真はミックスビーフシチューです。
”銀之塔 (1955) ”のロゴはアヒルです。鴨料理で有名なパリのトゥール・ダルジャン Tour d’Argent (銀の塔) を連想しました。
23時08分頃に福島県沖を震源とするマグニチュード7.1 (確定値:7.3) 、最高震度6強の地震がありました。新宿の震度は3でしたが、4に近かった体感でした。
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上野の森美術館で開催中の<第26回 日本の美術 全国選抜作家展>に行って来ました。四国中央市の書家・画家金崎峰萃氏が紙本墨画「四季 ふり返れば、そこに・・・」を出展されているので‥
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リーガロイヤルホテル東京に入っている”中国料理 皇家龍鳳”での昼食です。これに紹興酒など選択できるドリンクが付いています。
行き帰りは高田馬場からの送迎バスを利用しました。
今日は天気は良かったですが風がきつかったです。
コニャック=ジェイ美術館 Musée Cognacq-Jay として使用されているオテル・ド・ドノン / ドノン館 Hôtel de Donon とパイエンヌ通り Rue Payenne に面したその庭園:ラザール=ラッシュリーヌ庭園 Jardin Lazare-Rachline 。美術館の入り口は反対側。
当時流行だったフランスルネサンスの建築家フィリベール・デ・ロルム Philibert de l’Orme (1514₋70) 風の高屋根建築で、王の建物の総監だった Médéric de Donon (1521-90) の邸宅として建築された。
食用としてジャガイモをフランスに定着させたのは食品化学と農業生物学のパイオニアとされるアントワーヌ・パルマンティエ Antoine Augustin Parmentier (1737-1813) 。
フランス革命の遠因にもなった七年戦争 (1756-63) でプロイセンの捕虜となった経験からジャガイモの栄養学的研究をし、瘦せ地や天候不良に強いジャガイモの食用普及に努めた。アッシ・パルマンティエ hachis Parmentier:ジャガイモ料理。
パリ大学薬学部のキャンパスに置かれた顕彰碑 Monument à Parmentier (1866) ではジャガイモを持ち、研究対象だったモロコシ、麦、栗、芥子などが置かれている。
ピエール・エベール Pierre Hébert (1804-1869) による:<Statue d’Antoine Parmentier>。
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ジャック・リュフ広場 Place Jacques Rueff にあるシャン・ド・マルスの池 Bassins du Champ de Mars の手前からのエッフェル塔。
エッフェル塔を車窓観光する最高のポイントで、L’Open Tour と BIGBUS PARIS とその後ろにシクロポリタン Cyclopolitain 等2台の三輪自転車タクシーが観光中 (2017.07.11.) 。
エッフェル塔の下に、3日後に迫った革命記念日 14 Juillet (Fête nationale française) のコンサートイヴェント会場(特設)が見えている。
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アンドレ・ドラン Andre Derain (1880-1954)による<ジュヌヴィエーヴと林檎 Geneviève à la pomme (1937-38)>。パリ市立近代美術館で開催されたドラン バルテュス ジャコメッティ 展 Derain Balthus Giacometti Une Amitié Artistique にて (2017.08.11.) 。
生後間もなくから同居していた、ドランの妻アリス・ジェリーの妹の娘:ジュヌヴィエーヴ・ジェリー Geneviève Géry (1919生まれ) が18歳頃の肖像で、展示会のポスターとして使用された。
ジョルジュ・ブラック Georges Braque (1882₋1963) の立会いの下で結婚し (1943) 、ジュヌヴィエーヴ・タイラーデ Geneviève Taillade となる。
”ジャヴォット Javotte”として知られる女優で歌手のジュヌヴィエーヴ・タイラーデは彼女の娘だ。この絵は彼女の個人コレクション Collection Geneviève Taillade 。
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アンリ・マティスと共に野獣派を代表する画家だったアンドレ・ドラン Andre Derain (1880-1954) は妻アリス・ジェリーの妹の娘:ジュヌヴィエーヴ・ジェリー Geneviève Géry (1919-) をモデルに多数の作品を残した。
<画家の姪 La Nièce du peintre (1931)>は彼女が12歳の頃の等身大の肖像だが、フォービズムの画家だったとは思えない作品。オランジュリー美術館。
12年後(1943)、ジョルジュ・ブラック Georges Braque (1882₋1963) の立会いの下で結婚しジュヌヴィエーヴ・タイラーデ Geneviève Taillade となる。
”ジャヴォット Javotte”として知られる女優で歌手のジュヌヴィエーヴ・タイラーデは彼女の娘だ。
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イエナ広場 Place d’Iéna に面した経済社会環境理事会の前庭(イエナ宮殿 Palais d’Iéna)に置かれている彫像。
ヌーヴォー・リアリズムの創始者であるマルシャル・レイス Martial Raysse (1936-) による<国土と平和あるいは思索の誕生 Sol et Colombe ou La naissance de la Pensée (1992)>と題される作品。広場を向く男性は正義の杖と知識の球を持っている。台座は八芒星。マロニエの並木が美しい。2017.08.09.
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イエナ広場 Place d’Iéna に面したアール・デコ Art Déco の建物<イエナ宮殿 Palais d’Iéna (1937)>は”パリ万博1937”終了後に「国立公共事業博物館 (1939-55) 」として使用することを前提に建築された。
”コンクリートの父”と呼ばれるオーギュスト・ペレ Auguste Perret (1874-1954) による鉄筋コンクリート造りの建物で、縦溝を穿った円柱に見られるように、砂気に富むコンクリートの表面をプッシュハンマーで打つことにより表面加工を施して劣化が目立たない工夫をしている。
現在は経済社会環境理事会 Conseil Economique Social et Environnemental (1959~) が使用している。
前庭に置かれている彫像<Sol et Colombe ou La naissance de la Pensée (1992)>はヌーヴォー・リアリズムの創始者であるマルシャル・レイス Martial Raysse (1936-) の作品。男性は正義の杖と知識の球を持っている。台座は八芒星。
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オランジュリー美術館で開催された石橋コレクション展 (2017) で。
<縞ジャケット La Jacqutte rayée (1914)>と題するアンリ・マティス Henri Matisse (1869-1954) によるこの作品のモデルは彼の長女:マルグリッド (モデルの一人だったCaroline Joblaudとの子、結婚してMarguerite Duthuit Faure (1894-1982) ) 。
20歳を迎える娘への愛情が溢れている肖像だ。
当時建て替え工事中だったブリジストン美術館はアーティゾン美術館と改称してオープンしている (2019) 。
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アメリカのコレクターとして知られバーンズ財団の設立者である Albert Coombs Barnes (1870-1951) の求め (1930) に応じて、財団旧館 / 私邸 (1922) の壁を飾るためにアンリ・マティス Henri Matisse (1869-1954) がニースで制作した。が、現地の寸法に合わず手元に残ることとなった<ラ・ダンセ・ド・パリ La Danse de Paris (1931-33)>。パリ市立近代美術館 Musée d’Art moderne de Paris で観れる。
財団にはサイズを合わせ、ニンフ Nymphes を8人にするなどした別バージョンの<The Dance (1932-33)>が納入された。
彼はこの制作を通じ、大型のキャンバスで色彩を含むニンフの配置構想を練るために”カットガッシュ gouaches découpées”の技法を生み出した。
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セーヌ川のサン=ミシェル河岸通り Quai Saint-Michel のアトリエを描いたアンリ・マティス Henri Matisse (1869-1954) の作品<アトリエの画家 Le peintre dans son atelier (1916-17)> 。
ポンピドーセンターの国立近代美術館にて。
窓からセーヌ川左派流に架かるサン=ミシェル橋とシテ島のパリ矯正裁判所 Tribunal Correctionnel de Paris が見えている。
この構図はニューヨークのMoMAにある<インテリア、金魚鉢 Intérieur, bocal de poissons rouges (1914)>と同じ。