トゥールーズは今、ラグビー一色

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メルケス Mercuès のシャトー ド メルキュエス Château de Mercuès での夜会を終え、翌日(9月12日)はトゥールーズ=ロートレックの生誕地、アルビへ。
ロートレックの生家サント=セシル大聖堂 Cathédrale Sainte-Cécileトゥールーズ=ロートレック美術館を見学。夕刻トゥールーズに戻りました。
☆☆☆☆☆ホテル プルマン トゥールーズ センター Pullman Toulouse Centre Ramblas ではラグビーボールのお菓子 Bonbons Ballon de Rugby がお出迎え。2023.09.12.
トラム1号線の車体にも。チーズのザビエル Xavier も特別メニューを用意。

トゥールーズはフランスでももっともラグビーがさかんな都市で代表選手の3割はこの辺りの地域出身。

巡礼者が通る カオールの要塞橋<ヴァラントレ橋>

サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼:フランスのサン=ジャックの道 Chemins de Saint-Jacques en France の一つ、ポディエンシスの道 Via Podiensis がガロンヌ川の右支流ロット川を渡る石橋、<ヴァラントレ橋 Pont Valentré>。
右側(右岸)がロット県の県庁所在地であるカオール Cahors の街。仏英戦争:百年戦争(1337₋1453)の最中に要塞橋として建設されました(1308₋78)。左右岸と中央のゴシック塔は監視塔。中央に6基のゴシック尖頭アーチ。世界遺産。

魔法にかけられた村<サン=シルウ=ラポピー>

フランスの最も美しい村の一つ、魔法にかけられた村と呼ばれるサン=シルウ=ラポピー Saint-Cirq-Lapopie 。
この地の領主だったラポピーが礼拝堂として建てた(12世紀後半)サンシルウ=ラポピー教会 Église de Saint-Cirq-et-Sainte-Juliette de Saint-Cirq-Lapopie と村の風景。村人は55人だとか。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼:フランスのサン=ジャックの道 Chemins de Saint-Jacques en France の一つ、ポディエンシスの道 Via Podiensis上にあります。ガロンヌ川 La Garonne の右支流ロット川 Le Lot 沿いにカオール Cahors まで進みます。

シャトー ド メルキュエス に泊まりました

Château de Mercuès / Mercuès

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「ラグビーワールドカップ 2023」日本対チリ戦を観戦した(2023.09.10)トゥールーズに2泊して後、STHの専用バスでフランスの最も美しい村の一つ、魔法にかけられた村と呼ばれるサン=シルウ=ラポピー Saint-Cirq-Lapopie へ。
散策後、ロット県の県庁所在地 カオール Cahors で昼食と散策。
メルケス Mercuès のワイナリー(Château de Mercuès) を訪れてから本日の宿、☆☆☆☆シャトー ド メルキュエス Château de Mercuès にチェックイン。
夕食はホテルで。2023.09.11.
いずれも、ガロンヌ川 La Garonne の右支流ロット川 Le Lot 沿いのコミューンです。

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トゥールーズ スタジアム にて / ラグビーワールドカップ2023

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<ラグビーワールドカップ2023>、日本対チリ戦が行われたトゥールーズ スタジアム付近での光景。
オクシタニー地域圏 Occitanie の首都がトゥールーズ Toulouse 。車体にあるオクシタニー地域圏のロゴはトゥールーズ伯爵の紋章:オック十字とルシヨンの紋章を組み合わせたもの。
カップには来場する「日本、チリ、ニュージーランド、ナミビア、ジョージア、ポルトガル、サモア」の7ヶ国の国旗。日本は再びここでサモアと予選最終戦を戦います(9月29日)。

トゥールーズで<対チリ戦>を応援しました

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「ラグビーワールドカップ2023フランス大会 Rugby World Cup France 2023」。
プールDでの予選第1戦、対チリ戦をトゥールーズのトゥールーズ スタジアム Stadium de Toulouseで応援・観戦しました。いきなりトライ・コンバージョンで先行されひやりとしましたが、その後順調に6トライ・コンバージョンを決めて <JPN42 vs 12CHI>と快勝しました。

Bienvenue a Toulouse Métropole / Stadium de Toulouse / Toulouse // Rugby World Cup France 2023
Japon contre Chili / Stadium de Toulouse / Toulouse // Rugby World Cup France 2023

<トゥールーズ スタジアム>はトゥールーズの中心部からやや上流、ガロンヌ川の中州<ラミエ島 Île du Ramier>にあります。

サポーター達 どこかに写っているかも・・/ 公式サイト映像から転写

再訪したかったモンペリエのレストラン

丁度8年前モンペリエ滞在初日、ホテルのコンシェルジェに薦められたレストラン<快楽の同盟 L’Alliance des Plaisirs>。2015.07.18.
肉塊のステーキとワインフラスコに入ったモンペリエ産のワインが秀逸でした。以降再訪したいと思い続けて実現できていないお店です。地元の人に人気のお店だったようです。

L’Alliance des Plaisirs / Rue du Petit Saint-Jean / Monpellier

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モンペリエのだまし絵 サンロック(教会)広場

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モンペリエ旧市街の中心部、サン・ロック(教会)広場のだまし絵(フレスコ画)(2005)。「サンティアゴ デ コンポステーラ」への南ルート<カマン ルーミュー Camin Roumieu>の巡礼者はここを通るでしょう。
ネオ ゴシックの教会(1867)は偽のガラス窓に写っている。5枚の窓だけが本物かと‥
聖ロック Saint Roch (1350頃‐1379頃)はモンペリエ生まれの巡礼者・魔術師。ペストの治癒でも知られる。自らも罹った腺ペストの横房を見せるサン・ロックの肖像をだまし絵の垂れ幕に。その下にサン・ジャック4枚。2015.07.18.
パリのサン・ロック教会(1653-1722)はサン=トノレ通りにあります。

Fresque en trompe-l’œil / Place Saint-Roch / Monpellier

<サンティアゴ デ コンポステーラ>巡礼の道

モンペリエ Monpellier は、サンティアゴ デ コンポステーラへの 4 つの巡礼の道の 1 つ (南ルート)、アルルから始まる <カマン ルーミュー Camin Roumieu>の通過都市。
サン=ジャックの道 Chemin de Saint-Jacques をオクシタニ―地域で使われる
オック語表示した青銅の鋲の道標。コメディ広場を通るロジェ通りからルイ14世の騎馬像のある Promenade du Peyrou を通る。
地元の彫刻家ピエール・フルネル Pierre Fournel (1924-) の作品。2015.07.19.

Camin Roumieu・Monpellier / l’un des quatre Chemins de Saint-Jacques de Compostelle

<7月革命記念柱>と<サン・ムレーヌ教会の鐘楼>

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ブルターニュのレンヌの丘にあるタボール公園のデュゲスクリン広場 (ローンボーリング場(1825)) に置かれた7月革命記念柱 Colonne de Juillet とサン・ムレーヌ教会の鐘楼。
7月革命記念柱には<1830年憲章 Charte constitutionnelle de 1830>を持つ自由の女神像 Génie de la liberté (1837) が載る。自由のために戦い落命した二人の若いブルトン人に捧げたJean Baptiste Barré (1804-1877) の作品を復元(2014)した。
6世紀に起源を持つサン・ムレーヌ教会の鐘楼は1676年に改変、1855年に街のどこからでも見えるように黄金の聖母 Vierge dorée が載る8角形の尖塔が加えられた。

Colonne de Juillet / Clocher de Église Notre-Dame-en-Saint-Melaine / Carré Du Guesclin / Parc du Thabor / Rennes

レンヌで見かけた ルイ・フィリップ1世のモノグラム

Monogram de Louis-Philippe I / Salle des Pas Perdus / Parlement de Bretagne / Rennes

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ブルボン朝の復古王政が7月革命(1830)で倒れ、立憲君主制のオルレアン朝が成立、ルイ=フィリップ1世 Louis-PhilippeIer が2月革命(1848)で第2共和政が発足するまでフランス最後の国王となった。
レンヌ Rennes のブルターニュ高等法院(元ブルゴーニュ国会議事堂) Parlement de Bretagne の旧待合室 Salle des Pas Perdus の時計付き扉に「ルイ=フィリップ1世のモノグラム LP」があった。
格子にはナポレオン1世のエンブレム:ミツバチが散りばめられている。
レンヌはナポレオン1世帝政時 ボンヴィル Bonne ville であり紋章にミツバチの使用が認められていた。

 

レンヌ市庁舎 / ジャック ガブリエルによるバロック建築

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レンヌ市庁舎 Hôtel de Ville de Rennes (1743) もルイ15世の主席建築家 ジャック ガブリエル Jacques Gabriel (1667-1742) の作品(1742)。
鐘楼、時計塔、レンヌの紋章のあるペディメントの下のニッチにはルイ15世の像があったがフランス革命で破壊された。

Hôtel de Ville de Rennes / Jacques Gabriel (1667-1742) / Rennes

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ブルターニュ高等法院広場 / レンヌ

ブルターニュ高等法院前の「ブルターニュ高等法院広場 Place du Parlement-de-Bretagne」。1720年のレンヌ大火後に広場を囲む建物と共に建設された。
正面左隅のデザインと高さが異なるイザーク・ロブラン Isaac Robelin (1660-1728) による Hôtel de Mucé (1730頃) を除いて ルイ15世の主席建築家ジャック・ガブリエル Jacques Gabriel (1667-1742) が担当した。
当初「ルイ・ル・グラン広場」と呼ばれていて、中央にルイ14世の騎馬像が置かれた(1730)が革命時に溶融された。               2019.08.12.

Place du Parlement-de-Bretagne / Jacques Gabriel (1667-1742) / Hôtel de Mucé / Isaac Robelin (1660-1728) / Rennes

聖ミカエル勲章 と 聖霊勲章 のネックレス

Collier de l’ordre de Saint-Michel / Collier de l’ordre du Saint-Esprit / Parlement de Bretagne / Rennes

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レンヌ Rennes のブルターニュ高等法院(元ブルゴーニュ国会議事堂) Parlement de Bretagne の旧待合室 Salle des Pas Perdus の天井にある<フランス王国とブルターニュの紋章>。
王冠を載せた二つのシールド(盾)を聖ミカエル勲章 Collier de l’ordre de Saint-Michel (1469:ルイ11世) と聖霊勲章 Collier de l’ordre du Saint-Esprit (1578:アンリ3世) のネックレスが囲っている。

 

 

* Slava Ukraine!

ジャック・グリュベール のステンドグラス

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ムルト=エ=モーゼル商工会議所 Chambre de commerce et d’industrie de Meurthe-et-Moselle (1909) の会議室の三連のステンドグラス。アンリ=ポワンカレ通りに面した地上階にあるので、窓の上部から採光し下部を遮蔽する形を採っている。ジャック・グリュベール Jacques Gruber (1870-1936) の作品。
中央には、ガラス製造に使用される無水炭酸ナトリウムの製造法であるソルベイ法(1861)の考案者エルンスト・ソルヴェイ Ernest Solvay (1838-1922) の Dombasle-sur-Meurthe 工場でソーダーを製造している様子。両サイド下にはナデシコ科のサボンソウ。彼も息子(ヴィクトール・オルタ設計のソルヴェイ邸 Hôtel Solvay (1898))もアール・ヌーヴォーの愛好家だった。
左には、パリソン paraison と 2 人の労働者によるガラス細工の様子。

Espace Gruber / Jacques Gruber (1870-1936) / Chambre de commerce et d’industrie de Meurthe-et-Moselle (1909) / Nancy

ナンシーのアール・ヌーヴォー建築 7

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ルイ・マルシャル Louis Marchal (1871-1954) とエミール・トゥーサン Émile Toussaint (1872-1914) との共同アール・ヌーヴォー建築:ムルト=エ=モーゼル商工会議所 Chambre de commerce et d’industrie de Meurthe-et-Moselle (1909) のファサードをシャンジー通りから。
ルイ・マジョレル Louis Majorelle (1859-1926) による鉄製の正面入り口の庇(日除け):マーキス Marquise にはセイヨウカジカエデ(シカモアカエデ) Érable sycomore (Faux Platane) の細工が使われている。
左側地上階にはジャック・グリュベール Jacques Gruber (1870-1936) によるステンドグラスの窓がある。

Chambre de commerce et d’industrie de Meurthe-et-Moselle (1909) / Louis Marchal (1871-1954) / Émile Toussaint (1872-1914) / Louis Majorelle (1859-1926) / Jacques Gruber (1870-1936) / Nancy

ナンシーのアール・ヌーヴォー建築 6

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ヴィラ・マジョレル Villa Majorelle (1898-1902) の建築家ルシアン・ヴァイセンブルガー Lucien Weissenburger (1860-1929) が自らの工房兼住宅として建設したヴァイセンブルガービル Immeuble Weissenburger (1904) 。鉄細工はルイ・マジョレル Louis Majorelle (1859-1926) が担当した。右方、入口のステンドグラスはジャック・グリュベール Jacques Gruber (1870-1936) による。
左方にはロレーヌの建築家の自負を窺わせる「ロレーヌの十字 Croix de Lorraine」を形成するバルコニーと屋根を超える塔。装飾模様は海藻類。

Immeuble Weissenburger (1904) / Lucien Weissenburger (1860-1929) / Louis Majorelle (1859-1926) / Jacques Gruber (1870-1936) / Nancy

ナンシーのアール・ヌーヴォー建築 5

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Immeuble Margo (1906) / Eugène Vallin (1856-1922) / Nancy

ウジェーヌ・ヴァラン Eugène Vallin (1856-1922) が ポール・シャボニエ Paul Charbonnier (1865-1953) と共同で建築したマルゴビル Immeuble Margo (1906)。
ルイ・マルシャル Louis Marchal (1871-1954) とエミール・トゥーサン Émile Toussaint (1872-1914) との共同アール・ヌーヴォー建築:ムルト=エ=モーゼル商工会議所 Chambre de commerce et d’industrie de Meurthe-et-Moselle (1909) のスタニスラス通りに面した中庭から見たところ。

ヴィラ・マジョレル の寝室

家具職人でナンシー派のアールヌーヴォー運動の装飾家 ルイ・マジョレル Louis Majorelle (1859-1926) がナンシー最初のアール・ヌーヴォー様式で建築したヴィラ・マジョレル Villa Majorelle (1898-1902)。その寝室にあった家具・調度品。本人が完成に合わせて制作したチェスト(左)とベッドサイドキャビネット(右)。現在は元の場所に戻されているが、当時(2014.04.11.)はナンシー派美術館に展示されていた。

Chambre à coucher dans la Villa Majorelle / Musée de l’École de Nancy / Nancy

ナンシーのアール・ヌーヴォー建築 3

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ナンシー最初のアールヌーヴォー建築:ヴィラ・マジョレル Villa Majorelle (1898-1902)。家具職人でナンシー派のアールヌーヴォー運動の装飾家 ルイ・マジョレル Louis Majorelle (1859-1926) の別荘(宅)としてアンリ・ソヴァージュ Henri Sauvage (1873-1932) の設計に基づきルシアン・ヴァイセンブルガー Lucien Weissenburger (1860-1929) が建築した。2014.04.12. 撮影。右側部分は2017年に修復。
アレクサンドル・ビゴ Alexandre Bigot (1862-1927) によるセラミック製のフクシア Fuchsia の花模様の帯状装飾。鋳鉄で作られた雨水の縦樋は水生植物の葉を模倣した金属の留め具によって保持。ナンシー派創設者の一人ガラス工芸家ジャック・グリュベール Jacques Gruber (1870-1936) によるステンドグラスの窓。その右下の窓には成功と繁栄の象徴であるルナリア・アヌナ(ギンセンソウ)のモチーフの鉄格子(壁の上の鉄柵のモチーフもか)。
パリの新進気鋭の建築家だったアンリ・ソヴァージュはこの作品で注目を集めアール・ヌーヴォー建築の旗頭となる。その後、サマリテーヌ等のアール・デコ建築、廉価な集合住宅に進化し近代建築の先駆者となった。

Villa Majorelle (1898-1902) / Henri Sauvage (1873-1932) / Lucien Weissenburger (1860-1929) / Jacques Gruber (1870-1936) / Nancy

Allez le Japon !

ナンシーのアール・ヌーヴォー建築 2

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Immeuble Génin-Louis (1901) / Henri Gutton (1851-1933) / Art Nouveau / Oriel / Nancy

アンリ・ギュトン Henri Gutton (1851-1933) によるアール・ヌーヴォー建築:ジェニン・ルイ ビル Immeuble Génin-Louis (1901) 。ジョセフ・ホーネッカー Joseph Hornecker (1873-1942) と Henry Gutton (1874-1963) と共に。
オリエル Oriel (出窓・バルコニー) の付け根には錬鉄製のケシの花と実が付けられている。出窓を含む3階から上の住宅部分は鋼製の梁と支柱で支えられている。

* 「ロレアル パリ」のメイクと「エッシー」が年内に日本撤退を発表。

ナンシーのアール・ヌーヴォー建築 1

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エミール・アンドレ Émile André(1871-1933) が建築したロンバードビル Immeuble Lombard (1903)。4階のベランダ部分はパリのアール・ヌーヴォー建築家 ジュール・ラヴィロット Jules Lavirotte (1864-1928) の作品 Lavirotteビル (1901) を参考にしたとされる。

Immeuble Lombard (1903) / Émile André(1871-1933) / Nancy

カナダの命名者ジャック・カルチエの像 / サン=マロ

カナダの命名者ジャック・カルチエ (1491-1557) はサン=マロの出身。その顕彰碑 Monument à Jacques Cartier (1905) がオランダ稜堡 Bastion de la Hollande の広場にある。
ジョルジュ・バロー Georges Bareau (1866-1931) の作品。フランソワ1世の命によりサン=マロを出港し、セントローレンス川を遡りケベック、モントリオールに到った (1535) 2回目の探検に使った外航帆船 La Grande Hermine舵柄かじづかを握る姿。
サン=マロの城壁 Remparts de Saint-Malo に囲まれた城内の建物(左)はこの地の岩石の多様性を示すポリリシズムの建物 Maison polylithique。

Monument à Jacques Cartier (1905) / Georges Bareau (1866-1931) / Bastion de la Hollande / Maison polylithique

ランス川河口とソリドール塔

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ブルターニュ(地域圏) の首府レンヌ Rennes と「イル・ランス運河 Canal d’Ille-et-Rance」で結ばれているランス川の河口。右岸(右)仏英海峡の要衝サン=マロ Saint-Malo を監視するためブルターニュ公ジャン4世Jean IV (在位:1364-99) によって建造された Tour Solidor (1369-82) 。現在は ホーン岬 Cap Horn を航行した帆船の船長達の国際博物館 Musée international du Long-Cours Cap-Hornier になっている。
15mもある干満差を利用したランス潮汐発電所がすぐ上流にある。潮が引き始めているようなので発電間もなくかも。

La Rance / Tour Solidor (1369-82) / Saint-Malo

ブルターニュ橋からレンヌの市街を

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ブルターニュ(地域圏) の首府レンヌ Rennes の中心部を西側から見たところ。
レンヌ美術館は奥右側。真ん中を流れるヴィレーヌ川の上部は覆われて共和国広場や駐車場等になっている。
前に見えるミシオン橋 Pont de la Mission の左岸橋詰 (ブルターニュ広場) から斜めに横切るブルターニュ橋 Pont de Bretagne が右岸堤にぶつかるところに閘門があり、北方向へ「イル・ランス運河 Canal d’Ille-et-Rance」が始まる。仏英海峡 La Manche の要衝サン=マロ Saint-Malo へ。

Ville de Renne /  La Vilaine / Pont de Bretagne / Canal d’Ille-et-Rance

ヴィレーヌ川 沿いに建つレンヌ美術館

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ヴィレーヌ川 la Vilaine 沿いに建つレンヌ美術館 Musée des Beaux-Arts de Rennes (1794)。レンヌ大学も入っていたレンヌ大学宮殿 Palais universitaire de Rennes (1855) と呼ばれる建物。フォンテーヌブロー派の画家(作者不詳) による作品 <若い男性と老人の間の女性 La femme entre deux âges (1580-90)>を見るにはここ。
レンヌの中心を流れるヴィレーヌ川は10,882 km²の流域面積を持ち、右側(下流)でイル川を合わせて流下し、北大西洋のビスケー湾に注ぐ。イル川はイル・ランス運河 Ille-et-Rance Canal を通して仏英海峡の要衝サン=マロを流れるランス川とも結ばれている。

Musée des Beaux-Arts de Rennes (1794) / La Vilaine / Rennes

* 今日から 1/2 減煙に挑戦。