ウイーンでの「クリムト展」に豊田市美術館から

Eugenia Primavesi (1913-14) / Gustav Klimt (1862-1918) / 豊田市美術館

ウイーンのローワー ベルヴェデーレ宮殿のオーストリア・ギャラリーで開かれていた<ゴッホ、ロダン、マティスにインスピレーションを得たクリムト展 Klimt inspired by Van Gogh・Rodin・Matisse>に、豊田市美術館 Toyota Municipal Museum of Art 所蔵のグスタフ・クリムト Gustav Klimt (1862-1918) の作品が参加していました。
<オイゲニア・プリマフェージの肖像 Eugenia Primavesi (1913-14)>です。
元女優で妻のオイゲニアの肖像を依頼した銀行家のオットー・プリマフェージは、クリムト等が設立に協力したウイーン工房のパトロンでした。

ゴッホ、ロダン、マティスにインスピレーションを得たクリムト展  オーストリア・ギャラリー

<ゴッホ、ロダン、マティスにインスピレーションを得たクリムト展 Klimt inspired by Van Gogh・Rodin・Matisse>がウイーンのローワー ベルヴェデーレ宮殿のオーストリア・ギャラリーで開かれていました。

2023.04.25.

サンフランシスコ近代美術館 SFMOMA からアンリ・マティス Henri Matisse (1869-1954) 作<緑の瞳の少女 La fille aux yeux verts (1908)>が来墺していました。

ピカソ 新古典主義時代の作品<立っている女性>

イタリア旅行(ローマ・ナポリ・ポンペイ、1917)の影響を受けた第一次大戦後、ピカソ Pablo Picasso (1881-1973) の新古典主義の時代(1917₋25)の作品<立っている女性 Femme debout (1921)>。テンペラ画。
どっしりと量感のある、身体に比べて大きい手足、彫刻のような肉体、額から続く高い鼻。
モデルは最初の妻オルガ(1891₋1955、1918結婚)だと思われます。
プラハ国立美術館 Galerie nationale de Prague (エキシヴィジョン宮殿)にて

旧松方コレクションでポンピドーセンターの国立近代美術館 Musée national d’Art moderne 所蔵の<読書灯 La liseuse (1920)>。灰色の服を着た女性、座って本を読む女性とも。
オルガ・ピカソを描いた油絵です。

マティスの<ホアキナ>                      ナショナル ギャラリー プラハ

   depuis  2001

アンリ・マティス Henri Matisse (1869-1954) がセビリア、コルドバ、トレドの旅(1910-11)でセルビア滞在中に描いた作品<ホアキナ Joaquina (1910)>。
彼女はセルビアのジプシーでダンサーのようです。
プラハ国立美術館 Galerie nationale de Prague (エキシヴィジョン宮殿)にて

現在パリのポンピドーセンター所蔵の作品を中心とする「マティス展」が東京都美術館で開催中です。

新宿区38℃。過去最高温度。

聖ヴィート大聖堂と南塔 プラハ城第3の中庭

プラハ城第3の中庭に入ると目の前に聖ヴィート大聖堂の正面、一対のゴシック尖塔とロゼット(バラ窓)(1873-1929)。
右側(南)に進めば、「聖ヴィート大聖堂の南塔(鐘楼)」のある南面。
中庭には、プラハ城のオベリスク(ムラコティンの一枚岩)(1928)と聖ゲオルギオス像(1373)があります。

 

南塔のゴシックの<黄金の門 Porte dorée>の上部に<最後の審判>のガラスモザイク(1370₋72)。
中央、マンドウラにキリスト、その下に聖ヴィート・聖ヴァツーラフ等の聖徒たち、その下にカール大帝(カレル4世)と妻。

プラハ城第2の中庭から第3の中庭の聖ヴィート大聖堂を

Deuxième cour du Château de Prague / Fontaine Kohl et Bien / Prague

<タイタン門>と<マティアス門>を通ってプラハ城第2の中庭から。第3の中庭にある聖ヴィート大聖堂正面の2基の尖塔と(大)南塔が見えてます。
中庭の右に、バロック様式のコールの噴水(1686)、左に井戸があります。

プラハ城への入り口<タイタン門>と<マティアス門>

   depuis  2001

プラハ城への入り口です。バロック建築に囲まれたフラッチャニ広場の東端です。
タイタン像(1761)の門柱を持つロココ調格子の<タイタン門>を入ると第1の中庭(名誉の中庭)、神聖ローマ帝国皇帝マティアス建立の<マティアス門 (1614)>を抜けると第2の中庭。
ウクライナ国旗を掲げている門柱はオーストリア帝国を象徴する王冠と笏を持つ鷲。反対側にチェコ王国を象徴する王冠と笏を持ったライオン。

Porte des Titans / Porte Matthias / Place Hradčany / Château de Prague / Prague

「プチ広場」の水飲み場(手押しポンプ式)と古い家並み

プラハの旧市街広場隣接の「プチ広場 Petit Place」の井戸(手押しポンプ式)(1560) と古い家並み。
ボヘミアの紋章<白銀の起立ライオン>を戴いています。
手押しすると、2つの水盤の上にあるパイプから水が出ます。
ホワイトライオンの家(写真左、右端)
ウ・モドリー・ジェレナの家(写真中、左端)
その右、U ズラテ ユリの家と U ズラテホ オルラの家。
写真下、ロットの家。

Petit Place / Prague / Une Puits orné d’une grille Renaissance et surmonté d’un lion de Bohême doré

<聖ヴァーツラフ>のモザイク

プラハ旧市庁舎の天井に見る<聖ヴァーツラフ Sanct Wenceslaus (907₋35) のモザイク>。
ボヘミア公ヴァ―ツラフ1世で、チェコの守護聖人。
ボヘミア王の紋章、白銀の起立ライオンの盾を持っている。

<わが祖国> ベドルジハ・スメタナの星

Bedřich Smetana (1824-84) / Praha

ベドルジハ・スメタナ Bedřich Smetana (1824-84) はボヘミアの作曲家。
オーストリア=ハンガリー帝国下にあったチェコの国民学派の先駆者でチェコ音楽の祖とされていて、<わが祖国 Má Vlast (1874₋79)>が代表作。中でも、ヴルタヴァ(川)が有名。

アントニン・ドヴォルザーク (1841-1904) とともにボヘミア学派とも呼ばれます。

再訪したかったモンペリエのレストラン

丁度8年前モンペリエ滞在初日、ホテルのコンシェルジェに薦められたレストラン<快楽の同盟 L’Alliance des Plaisirs>。2015.07.18.
肉塊のステーキとワインフラスコに入ったモンペリエ産のワインが秀逸でした。以降再訪したいと思い続けて実現できていないお店です。地元の人に人気のお店だったようです。

L’Alliance des Plaisirs / Rue du Petit Saint-Jean / Monpellier

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モンペリエのだまし絵 サンロック(教会)広場

   depuis  2001

モンペリエ旧市街の中心部、サン・ロック(教会)広場のだまし絵(フレスコ画)(2005)。「サンティアゴ デ コンポステーラ」への南ルート<カマン ルーミュー Camin Roumieu>の巡礼者はここを通るでしょう。
ネオ ゴシックの教会(1867)は偽のガラス窓に写っている。5枚の窓だけが本物かと‥
聖ロック Saint Roch (1350頃‐1379頃)はモンペリエ生まれの巡礼者・魔術師。ペストの治癒でも知られる。自らも罹った腺ペストの横房を見せるサン・ロックの肖像をだまし絵の垂れ幕に。その下にサン・ジャック4枚。2015.07.18.
パリのサン・ロック教会(1653-1722)はサン=トノレ通りにあります。

Fresque en trompe-l’œil / Place Saint-Roch / Monpellier

<サンティアゴ デ コンポステーラ>巡礼の道

モンペリエ Monpellier は、サンティアゴ デ コンポステーラへの 4 つの巡礼の道の 1 つ (南ルート)、アルルから始まる <カマン ルーミュー Camin Roumieu>の通過都市。
サン=ジャックの道 Chemin de Saint-Jacques をオクシタニ―地域で使われる
オック語表示した青銅の鋲の道標。コメディ広場を通るロジェ通りからルイ14世の騎馬像のある Promenade du Peyrou を通る。
地元の彫刻家ピエール・フルネル Pierre Fournel (1924-) の作品。2015.07.19.

Camin Roumieu・Monpellier / l’un des quatre Chemins de Saint-Jacques de Compostelle

銀座 伊東屋 <ラーソン・ジュール>の額縁

<銀座 伊東屋>で<ラーソン・ジュール LARSON・JUHL>の額縁を見たのを思い出した。”万年筆のペン先の吊るし看板”を掛けた伊東屋別館の地下1階だった記憶。

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* 今日はフランスの革命記念日。Narendra Modī インド首相が招待されている。

『18/40~ふたりなら夢も恋も~』               TBS 緑山スタジオ

   depuis  2001

TBS 火曜ドラマ:福原遥&深田恭子主演の『18/40~ふたりなら夢も恋も~』の製作が行われている<TBS 緑山スタジオ>に行って来ました。
額縁(LARSON・JUHL)のある左下2葉はTBSのサイトから借用しました。

ストラホフ庭園からプラハ市街を展望する

ストラホフ修道院図書館のあるストラホフ修道院の北東端、ストラホフ庭園からプラハ市街を展望しました。
左側に<プラハ城>内の<聖ヴィート大聖堂>、その右下にヴルタヴァ川と<チェフ(チェコ)橋(1908)>。ヴルタヴァ川は右に蛇行して眼下を流れていて、中央やや右に見えている3つの塔の内手前の2塔<マラー ストラナ橋塔>と<旧市街橋塔>を結んだ位置に<カレル橋>が架かっています。右奥にジシコフ・テレビ塔(216m)。
左岸のバロック様式の<聖ニコラス教会>のドーム、その斜め奥に旧市街広場近くのゴシック様式の<ティーン前の聖母教会>と<火薬塔>。

レトナ公園の巨大メトロノーム

プラハ城の東側、レトナ公園に置かれている<巨大メトロノーム(1991)>をカレル橋の二つ下流に架かるアール ヌーヴォー様式のアーチ橋<チェフ橋(1908)>越しに見上げたところ。
ヴラチスラフ・カレル・ノヴァーク (1942-2014) の作品。
メトロノームの台座には世界最大のスターリン像を置いていた(1955₋62)過去があります。

ビロード革命の舞台に <レドゥタ ジャズ クラブ>

プラハ最古のジャズクラブ<レドゥタ ジャズ クラブ(1957)>はチェコスロバキアの民主化への「ビロード革命(1989)」の中心地の一つナーロドニー(・トジーダ)通りにあります。

Reduta Jazz Club (1957) / Praha

カレル・ゼマン博物館 に立ち寄る

カレル・ゼマン博物館 Muzeum Karla Zemana (2012) に立ち寄って、チェコ(スロヴァキア)のアニメーション映画の創始者とされるカレル・ゼマン Karel Zeman (1910-89) の映画作品を見てきました。
<先史時代への旅(1955)>を撮影するカレル・ゼマンとサイン。

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<ミスター・プロクーク、動物の友達 (1954)>で使用されたオリジナルのおじいちゃんと馬の操り人形。

Original puppets from the Tales of Mr. Prokouk

カレル・ゼマン博物館の外観

Muzeum Karla Zemana (2012) / Praha

YouTube で、例えば Karla Zemana で検索すれば、彼の映画を見ることができるでしょう。

<聖母ヨーロッパ>の地図 

   depuis  2001

プラハ生まれのヴェレスラヴィン出身のダニエル・アダム Daniel Adam de Veleslavin (1546-99) が印刷出版した<聖母ヨーロッパ La Vierge Europe>の地図 (1592)。
頭部は”太陽の没することなき帝国”スペイン、胸はフランス、心臓がボヘミアです。英国は圏外にあります。
ストラホフ修道院図書館にて

Carte de l’Europe en Figure symbolique d’une Vierge (La Vierge Europe) / Daniel Adam de Veleslavin / Monastère de Strahov

原本はハインリヒ・ビュンティング Heinrich Bünting (1545-1606) による「聖書による旅行の本(1581初版)」という名の木版画の地図の本です(転載)。

<ムーラン・ルージュで踊る二人の女性>ロートレック

Deux femmes dansant au Moulin-Rouge (1892) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / National Gallery Prague

<ムーラン・ルージュで踊る二人の女性 Deux femmes dansant au Moulin-Rouge (1892)>。トゥールーズ=ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) の作品。
女性同士で踊っている右側の女性が「チャ・ウ・カオ Cha-U-Kao 」 、その右後ろ向きの女性が「ジェーン・アヴリル Jane Avril 」。ロートレックお気に入りの女性です。

プラハ国立美術館(エキシヴィジョンパレス)に展示されていました。右から2点目。

アンリ・ルソーによる<私自身、肖像=風景>

Moi-même, portait-paysage (1890) / Henri Rousseau (1844-1910) / Galerie nationale de Prague

アンリ・ルソー Henri Rousseau (1844-1910) が第6回アンデパンダン展(Paris 1884₋)に出品した作品<私自身、肖像=風景 Moi-même, portait-paysage (1890)>です。
背景をエッフェル塔(1889)のあるパリ万国博覧会(1889)として、手前にアーチ橋の(前)カルーゼル橋付近のセーヌ河岸に立つ巨大なルソーの自画像を置きました。
この万国博覧会に強烈な刺激を受けた彼がその思いを絵にしたと言われています。
日曜画家等と揶揄され、まだ画壇で認められる前の作品です。
プラハ国立美術館 Galerie nationale de Prague (エキシヴィジョン宮殿)にて

プラハの恋人で「願いの壁」に ヤン フスの記念碑

   depuis  2001

韓流ドラマ「プラハの恋人」の「願いの壁」の場を設営した旧市街広場の<ヤン フスの記念碑>。
この裏側の台座を利用したようです。右に時計の塔、左にキンスキー宮殿が見えてましたから。
最後の願いは、ジェヒは「カプトルとカプスンはずっと幸せに暮らしました」、サンヒョンは「僕の心はいつでもミルユーテ」でした。

プラハの恋人

プラハの天文時計 旧市街広場

プラハの旧市庁舎(1338)の(時計の)塔(1364以前)に取り付けられた<プラハの天文時計(1410)>。
その左に後期ゴシック様式のエントランス。塔の右側に張り出して取り付けられた礼拝堂(1381)も見えてます。この部分が最古の部分です。
ゴシック様式のティーン前の聖母教会(1380₋)、バロック様式の聖母マリアの柱像(1650・2020再建)、左端にキンスキー宮殿(プラハ国立美術館)。

 

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プラハの旧市庁舎 旧市街広場

プラハの旧市庁舎。旧市街広場にあります。カール4世の父、ヤン ルクセンブルグ第10代ボヘミア王(在位1310-46)治世下でボヘミア初の市庁舎として設立(1338)。
その東面、ウルフリン ドゥム部分が現存最古で、市庁舎の塔(1364以前)・ゴシック様式の出窓のある市の礼拝堂(1381)。
左に、バロック様式の聖母マリアの柱像(1650・2020再建)。右に、ルター、カルヴァンに先立つ中世チェコの宗教思想家ヤン フスの記念碑(火刑500周年の1915)、アール ヌーヴォー様式。