エコール ミリテール (旧陸軍士官学校 1751) の正面中央のドーム付近。新古典主義建築。
設立者であるルイ15世の紋章(フルールドリス3つの盾を聖ミカエル騎士団の鎖と聖霊騎士団の鎖が囲む)がペディメントに、その上左端にローマ皇帝に扮して月桂冠を持つルイ15世(勝利)と右の女性(フランス)とでフランスの勝利を暗喩。
右端にはヘラクレス(強さ)と女性(平和)、足元にはフランスの国鳥雄鶏がいる。
「永続的な平和を実現するには洞察力を持った武力の行使が必要」という彼の信念を表現しているとされる。
— パリの建物
修復工事中のノートルダム大聖堂
depuis 2001
2019年の4月15日~16日の火災(改修工事中の失火による)を受けてその修復工事が行われている現状(2023.10.13.)。
サン=ルイ島とシテ島を結ぶサン=ルイ橋付近から。
エッフェル塔百態 184 ラグビーワールドカップ 2023
「ラグビーワールドカップ 2023 フランス大会 Rugby World Cup France 2023」は本日夜決勝戦が南アフリカとニュージーランドとで行われ、RSA 13-12 NZL で「2019 日本大会」に引き続き南アフリカが連覇した。準々決勝 29-28 FRA、準決勝 16-15 ENG に次ぎ、またもや1点差の勝負強さを見せつけた。
アイルランドに敗れて2位通過だったが、フランス戦を制して優勝に繋げた。
金曜日夜の3位決定戦はイングランドが ENG 26-23 ARG で勝利、日本が属したプールDから3位と4位。
2023.10.20.のエッフェル塔
凱旋門からシャンゼリゼ大通りへ
エトワール凱旋門からシャンゼリゼ通りをぶらぶらと。
凱旋門の屋上には多数の観光客が・・
シャンゼリゼ通りのまだ葉が残るプラタナスの並木には<ノエル Noël >の飾り付けが・・
傘さす人が多くなったパリ オペラ・ガルニエ
depuis 2001
シャワー Douche や小雨 Pluie légère 程度ではフード付きの雨具で凌ぎ、傘をさす人を見かけなかったものだが、近年傘さすフランス人が増えてきた。
オスマン大通り・ディアギレフ広場越しの「ガルニエ宮」と右に「ギャラリー ラファイエットのグルメ館 Galeries Lafayette Le Gourmet」。
この付近は観光客が多いので、例示として適当ではないが・・
ラグビー 2023 と オリンピック 2024 / パリ市庁舎
パリ市庁舎 Hôtel de Ville de Paris の正面。
中央にパリオリンピック 2024 のオブジェ、ラグビー 2023 の垂れ幕<フランス 2023 & パリへようこそ Bienvenue à Paris>。
上院議長公邸から見るリュクサンブール宮殿
上院議長公邸 Hôtel de la Présidence du Sénat ou Petit Luxembourg からの眺め。2023.09.16.
中庭 Cour de la Présidence du Sénat の左にリュクサンブール宮殿の西翼。
宮殿の南側はリュクサンブール公園(庭園)として公開されています。
庭園側から<リュクサンブール宮殿>に入ったら・・
リュクサンブール宮殿のリュクサンブール庭園 Jardin du Luxembourg 側正面から宮殿に入ったところ。
上院 Sénat スペースの拡張のため、アルフォンス・ジゾール Alphonse de Gisors (1796-1866) が7月王政期に設計したもの。クエスターズ ギャラリー Galerie des Questeur と名付けられ、上院の議会事務局が入っています。1階は上院図書室 Bibliothèque du Sénat です。
庭園側からの日差しが入っています。
* 現地サポートした対チリ戦で勝利したトゥールーズスタジアムにおいて、日本時間早朝に行われた対サモア戦に28-22で辛勝。残るアルゼンチン戦に予選通過を賭ける。がんばれニッポン。
アカデミー・フランセーズ へも
アカデミー・フランセーズ Académie française のメンバーが毎週集まる会議室。創設者(1635)リシュリュ―の肖像画があり、「リシュリュ―の会議室」とも。フランス語の標準化・純正化が目的とか。40名の会員は終身、「不死の存在 les Immortels」との異名を持つ。
パリの商事裁判所 を訪問しました
パリの商事裁判所の登記所 Greffe du Tribunal de Commerce de Paris を訪れました。
パリの南北軸、セバストポール大通り正面にドームが来るように設計された。ナポレオン3世のもとで「パリ改造」を実行したオスマン知事の意向によるそう。
8角形のドーム下のアトリウム。中央階段踊り場にナポレオン3世の<N> 、その真上(タンパン)ティンパン Tympan にパリの市章。そのうえで16体のカリアティード Cariatide がドームを支えています。
ドームから北方向の眺め。真正面樹木の位置にセバストポール大通り、左シャトレ広場のナポレオン1世の戦勝記念碑、右にパリ市立劇場。セーヌ川とシャンジュ橋。
大法廷で案内を受ける。
シャルル ドゴール財団にて
ヨーロッパ文化遺産の日 Journée du Patrimoine の9月17日、レジョン ドヌール宮殿に次いでお隣の<シャルル ドゴール財団 Fondation Charles de Gaulle>を訪れました。
ドゴールの私邸であり、執務室 Bureau du général de Gaulle でもありました。
シャルル ドゴールは自分が大統領(1959₋69)のときに行われた東京オリンピック(1964)で金メダルが一個しか取れなかったのでスポーツを教育課程にいれるようにしたなどスポーツの普及に貢献したそうです。
ドゴールの意思で遺品の多くが燃やされたそうです。自分の死後に物品が売買されるのを嫌ったそうなのでほとんど残っていないとのこと、なので、古文書で販売している偽のサインの手紙なども多いそうです。
財団が運営する「ドゴールの生家」にいったことがあるといったら熱烈に喜ばれました。
ドゴールが創設(1963)した<国家功労勲章 L’ordre national du Mérite>。ナポレオン1世が創設した<レジョン ドヌール勲章>が赤のリボンに対し青のリボン。<Desormais nous aurons deux ordres, L’un rouge, l’autre bleu, aux couleurs de notre drapeau.>創設宣言です。
レジオンドヌール宮殿の ロタンダの天井画
レジオンドヌール宮殿:サムル館 Hôtel de Salm の丸屋根 Rotonde の天井のドームに描かれた天井画。
<レジオンドヌール勲章の創設 L’institution de l’ordre de la Légion d’honneur >、テオドール・マイヨ Théodore Maillot (1822-86) の作品。帝国の偉大な軍人と民間人に囲まれたナポレオン1世を描いています。
その周辺、ティムパン tympan には、ナポレオン1世と左へ(写っていないが)シャルルマーニュ、フランソワ1世、ルイ14世をアシル・シルイ Achille Sirouy (1834-1904) が描きました。
ヨーロッパ文化遺産の日 Journée du Patrimoine (9月の第3土曜日と日曜日)に(公開されたので)訪問しました(9月17日)。
本日夕刻、JAL046便で帰国します。ラグビーワールドカップ 2023 フランス大会、<日本対チリ戦>のサポートをメインにした18日間でした。
エッフェル塔百態 181 フォンダシオン ルイ・ヴィトン 美術館
ブーローニュの森にある<フォンダシオン ルイ・ヴィトン 美術館>からのエッフェル塔。
モミの木模様の<オテル ラリック>
ルネ・ラリック René Lalique (1860-1945) が自宅・仕事場としてアールヌーヴォー様式で自ら設計した(建築はルイ・フィーヌ Albert et Louis Feine)<オテル ラリック Hôtel Lalique (1903)>。
玄関ドアのステンドグラスはラリックの作品。「二本のモミの木」をドア縁の浅浮彫の彫刻とガラスの模様とで連続一体として描いています。
* 35℃以上の日が続いてひきこもっていたのだが、今日は31℃だったので外出した。
ジョルジュ・サンクのマロニエとルイ・ヴィトン
草間彌生とコラボしているルイ・ヴィトン本店横のジョルジュ・サンク大通りのマロニエが満開です。
入店規制による行列・・ウイーンに比べ人が多いです。
パリは憶えています Paris se souvient
パリでのユダヤ人の大量(13,152人)検挙事件<ヴェロドローム・ディヴェール事件 Rafle du Vélodrome d’Hiver>は1942年7月16日から17日に実行された。
パリ市庁舎中央には2024 PARIS 五輪のオブジェ、その上にはパリの市章⁽紋章⁾をフランス国旗とウクライナ国旗が包んでいる。
革命記念日 14 Juillet の昼 / ルーヴル美術館
depuis 2001
革命記念日 14 Juillet の午後2時過ぎ。ルーヴル美術館のシュリー翼からナポレオンの中庭とルーヴルのピラミッド、カルーゼルの凱旋門とエトワールの凱旋門。
予約なしの行列は続く⁽事前予約者はピラミッドの向こう側に⁾。
ヴァンセンヌ市庁舎にウクライナ国旗
ヴァンセンヌ市庁舎 Hôtel de Ville de Vincennes の正面にフランス国旗、ユーロ旗と並んでウクライナ国旗が掲揚されているのに気付きました。
* Gloire à l’Ukraine !
今日は神を信じてもいいかなと思った日でした。
フランス国立図書館と中庭 パリの建物 50
depuis 2001
1537年に起源をもつ国立図書館は1994年以来フランス国立図書館 (BnF) Bibliothèque nationale de France と呼ばれている。リシュリューサイト、フランソワ・ミッテランサイト等7サイトからなる。
ジャン=フランソワ・シャンポリオン Jean-François Champollion (1790-1832) が象形文字の解読に成功して200周年を記念した展覧会「シャンポリオンの冒険 象形文字の秘密に L’aventure Champollion dans le secret des Hiéroglyphes」が開催されているのはフランソワ・ミッテランサイト Site François Mitterrand。
図書室のベランダからの眺め、中庭の四方角に本を開いた形の建物(右:時間の塔 Tour des Temps、文学の塔 Tour des Lettres)。
ドミニク・ペロー Dominique Perrault (1953-) の作品(1995)。
シャネル本店 / コンボン通り31番地
コンボン通り21番地で帽子屋からスタートした(1910)ココ・シャネル Coco Chanel (1883-1971) は大繁盛してコンボン通り31番地を丸ごと購入して事業を拡大しました(1918)。以来シャネルの本店です。
彼女は前にある「オテル・リッツ・パリ Ritz Paris」に移るまでここに住みました。
足場で覆われたマドレーヌ寺院
サン・メダール教会の鐘楼 / ムフタール通り
depuis 2001
後期ローマ帝国時代からの古道ムフタール通りに面したサン・メダール教会の鐘楼 Tour-clocher をモンジュ通り越しにドーバントン通り方向にみたところ。前方の壁は教会の東面、ムフタール通りは鐘楼の向こうの西面。サン・メダール教会は6世紀の礼拝堂に起源するようだが、鐘楼は15世紀中頃の建設とみられ、<トルシェットとホヤウの地図 Plan de Truschet et Hoyau (1552)>に描かれている。
パリの市章 / ピエール アルビゼット中学校
モンジュ通りに面した「コレージュ(中学校) ピエール アルビゼット Collège Pierre Alviset 」にみられるパリの市章(紋章)。
ピエール アルビゼット Pierre Alviset (1924-44) は地元5区出身のソルボンヌ大学の学生レジスタンスで20歳の若さで親衛隊の拷問を受け銃殺された。
* 自由を勝ち取るための犠牲の数々。
紋章の頂部にある城壁は自由都市の象徴。
ウクライナに栄光を。
証券取引所-ピノー コレクションを公園側から
depuis 2001
ネルソンマンデラ公園側から改装なった証券取引所-ピノー・コレクション と コロン・メディシス Colonne Médicis(1574) をバルタール小径とアンドレ・ブルトン小径との交差点から望む。
ベランダのある2階の中央から公園とキャノピー(天蓋) La Canopée を見ると‥
円形の商品取引所 Bourse du Commerce の左に見える塔は< Colonne Médicis (1574) >と呼ばれる。カトリーヌ・ド・メディシス Catherine de Médicis (1519-89) が建てて居住した Hôtel de Soissons (王妃の館 l’ hôtel de la reine / 1575 竣工、 1748 破壊) 唯一の名残りだ。
夫のアンリ2世 (1519-59) はノストラダムス (1503-66) の最大の讃美者であったといわれるが、彼の予言があった後に亡くなった。コロンは占星術に興味を持っていた彼女のアンリ2世への贈り物であったと信じられている。コロンの内部は螺旋階段、サミットにはガラスの屋根があって、占星術を行なえるようになっていたという。
証券取引所-ピノー・コレクション と コロン メディシス
depuis 2001
ネルソンマンデラ公園側から改装なった証券取引所-ピノー・コレクション と コロン・メディシス Colonne Médicis(1574) を望む。
コロン・メディチには「パリの市章と銘板」(1812) の下に泉、柱の上方にアンリ2世王妃:カトリーヌ・ド・メディシス (1519-89) のモノグラムHCCが見られる。
* 1945年3月13日から14日にかけて「大阪大空襲」。津守にあった工場で焼け残ったコンクリート建ての屋上から焼け野原になった大阪の街を見た記憶がよみがえる。
「東京大空襲」は3月10日。
ウクライナの戦禍はキエフまで・・。
** 3月14日から、フランスのレストラン・美術館・長距離鉄道などで求められていた Passe vaccinal (ワクチンパス) の提示義務が解除。
リヴォリ通り側の サマリテーヌ
パリの百貨店<サマリテーヌ Samaritaine>のリヴォリ通り側。
「歩道、双方向の自転車等専用道、片方向自動車道(1車線)、歩道」の道路構造。1車線を自転車道に転用した。
国民議会の中庭をドラクロワの間から
ドラクロワの間 Salon Delacroix 前の通路から見た国民議会 Assemblée Nationale の中庭 Cour d’honneur 。ブルボン宮の南面になる鉄柵と門扉の向こうがパレ・ブルボン(ブルボン宮)広場。
中央に、ブルターニュ産の灰色の花崗岩のボールがあり周りに人権宣言 Déclaration des Droits de l’Homme 前文等のプレートがはめ込まれている。フランス革命200周年記念のモニュメントで、ウォルター・デ・マリア Walter De Maria (1935-2013) の作品 <人権の球体 La sphère des droits de l’homme (1989)>。
国民議会演壇に「カドゥケウス」
depuis 2001
カドゥケウス Caducée はエルメスの属性の一つ。エルメス Hermès は雄弁 Éloquence の神でもある。
フランスの国民議会(下院に相当) Assemblée Nationale の演壇には議会(演説)で必要な雄弁のアレゴリーとしてカドゥケウスが・・。
雄弁のアレゴリー「カドゥケウス」/ 国民議会
depuis 2001
カドゥケウス Caducée はエルメスの属性の一つ。エルメスは雄弁 Éloquence の神でもある。
国民議会 Assemblée Nationale の中庭 Cour d’honneur への出入り口、カシミール=ペリエの間 Salle Casimir-Perier 前の扉にあるカドゥケウス。有翼の杖に二匹の蛇が絡まる。議会(演説)で必要な雄弁のアレゴリーとして。
部屋中央の壁に置かれたジュール・ダルー Jules Dalou (1838-1902) 作の<1789年6月23日の三部会でドリューブレゼ侯爵に抗議するミラボー Mirabeau répondant au marquis de Dreux-Brézé dans la séance du 23 juin 1789>のミラボー Mirabeau (1749-91) は「人民の弁士 L’Orateur du peuple」とも呼ばれて、議会での雄弁(家)の第一号とされている。
国民議会の中庭をプジョールの間から
depuis 2001
プジョールの間 Salon Pujol 前の通路から見た国民議会 Assemblée Nationale の中庭 Cour d’honneur 。ブルボン宮の南面になる鉄柵と門扉の向こうがパレ・ブルボン(ブルボン宮)広場。
中央に、ブルターニュ産の灰色の花崗岩のボールがあり周りに人権宣言 Déclaration des Droits de l’Homme 前文等のプレートがはめ込まれている。フランス革命200周年記念のモニュメントで、ウォルター・デ・マリア Walter De Maria (1935-2013) の作品 <人権の球体 La sphère des droits de l’homme (1989)>。
この部屋の名はトロンプ・ルイユ Trompe-l’œil で装飾(着色はグリザイユ Grisaille)をした新古典主義の画家アベル・デ・プジョール Abel de Pujol (1785-1861) に因んでいる。
国民議会の中庭をカシミール=ペリエの間から
国民議会 Assemblée Nationale の中庭 Cour d’honneur をカシミール=ペリエの間 Salle Casimir-Perier から。ブルボン宮の南面になる鉄柵と門扉の向こうがパレ・ブルボン(ブルボン宮)広場。
中央に、ブルターニュ産の灰色の花崗岩のボールがあり周りに人権宣言 Déclaration des Droits de l’Homme 前文等のプレートがはめ込まれている。フランス革命200周年記念のモニュメントで、ウォルター・デ・マリア Walter De Maria (1935-2013) の作品 <人権の球体 La sphère des droits de l’homme (1989)>。
フランス共和国を象徴するマリアンヌ
depuis 2001
フランスの下院に当たる国民議会 Assemblée Nationale の4列柱の間に置かれている「第二次世界大戦で祖国のために亡くなった代議士の顕彰碑」にはフランス共和国を象徴するマリアンヌ Marianne が。
フリジア帽を被り、共和政の象徴としてのファスケス Faisceau de licteur に両手を添えている。
アルマン・マルシャル Armand Martial (1884-1960) による彫刻 Marianne (1947)。
ガリアの雄鶏と正義の手
depuis 2001
フランスの下院に当たる国民議会 Assemblée Nationale で観れる<ガリアの雄鶏 Coq gaulois>と<正義の手 Main de justice>。
第一次世界大戦で祖国のために亡くなった代議士の顕彰碑。
ガリアの雄鶏はフランスの国鳥。
正義の手は第3共和政(1870₋1940)で議員の記章として使用されていた (現在は上院議員の記章として使用) 。
コンスタン・ルー Constant Roux (1865-1942) による彫刻。
イタリアン大通りから オペラ=コミック座を
depuis 2001
オペラ=コミック座の裏側をイタリアン大通り側からみたところ。手前マリヴォー通り側に Opéra Comique の張り出し看板が見える。向こう側のファヴァール通り / リュ・ファヴァー Rue Favart に劇作家 Charles-Simon Favart (1710-92) の名が付けられている。オペラ=コミック座の別名サルファヴァール SalleFavart は彼に因んでいる。
パリの建物 49 オペラ=コミック座
depuis 2001
ルイ14世治世下(1714)に起源を持つオペラ=コミック座 Théâtre National de l’Opéra Comique (SalleFavart) はマリー・アントワネット臨席のもと、ここボワルデュー広場 Place Boieldieu に移って(1783)以来2度の火災があり、3代目の建物。
ルイ・ベルニエ Louis Bernier (1845-1919) によるネオバロック様式 Style néo-baroque 建築。コーニス Corniche (雨除けの突出部) は6基のカリアティード Cariatide によって支えられており、1階のニッチ/ 二―シュ Niche には音楽 La Musique (Denys Puech (1854-1942)作) と詩 La Poésie (Ernest Guilbert (1848-1913)作) のアレゴリー像。
オペラ=コミック座のモノグラム OCC も金色で。
オルセー美術館のコーニスに三都市の寓意像
オルセー美術館はパリ万博1900のために建設されたパリ・オルレアン鉄道のオルセー駅 Gare d’Orsay / Gare d’Orléans を転用したもの (1986)。
コーニス Corniche (雨除けの突出部)の上に載った手前から(オルレアンから三方向の大都市)ボルドー、トゥルーズ、ナントの3都市の寓意像を見たところ。
それぞれ、ジャン=バティスト・ユーグ Jean-Baptiste Hugues (1849-1930)、ローラン・マルケスト Laurent Marqueste (1848-1920)、ジャン=アントワーヌ・アンジャルベール Jean-Antoine Injalbert (1845-1933) の作品。
右下にセーヌ川に架かるレオポール・セダール・サンゴール人道橋とチュイルリー公園の緑が見えている。2021.09.05.
シテ島に残る中世の塔
シテ島の北面セーヌ川沿いに残るシテ宮 Palais de la Cité の痕跡、中世の塔 (左視界外にもう一基時計の塔 Tour de l’Horloge がある) 。
左側にフィリップ4世治世下(1285-1314)に補強されたツインの塔、左が銀の塔:トゥル・ダルジャン Tour d’Argent 、右にシーザーの塔:トゥル・セザー Tour César、そして右側にルイ9世治世下(1226-70)に建設されたボンベックの塔:トゥル・ボンベック Tour Bonbec 。
後者には砲門のある狭間胸壁 Créneau が付属している。2本の尖塔の間にサント・シャペル Sainte-Chapelle の尖塔が見えている。
シャルル5世(在位:1364₋80)はシテ宮を放棄(1360)し、<シャルル5世の城壁>で守られたサン・ポール宮殿を経てヴァンセンヌ城内の要塞王宮で執務した。
クール ナポレオン(ナポレオンの中庭)-2 COVID-19
depuis 2001
クール ナポレオン(ナポレオンの中庭) の翌日夕方7時半頃の様子。手前のカルーゼル広場から。
毎週末行われているワクチン接種に反対する等政権批判のデモのため、一部の路線バスを除いて交通規制があったため手前の車道に車が見えない。2021.09.04.
写真中央のコーナーの屋上にある彫像(細部が見えないが)はアントワーヌ=オーギュスタン・プレオー Antoine Auguste Préault による<平和 Paix (1857)>で、視覚外の右側コーナーにある<戦争>と対になっている。
パヴィリオン リシュリューのペディメントには<科学と芸術を保護するフランス France protégeant la Science et l’Art (1857)>、フランシスク・デュレ Francisque Duret の作品。
クール ナポレオン(ナポレオンの中庭) COVID-19
depuis 2001
ナポレオン3世が皇帝になって手掛けたルーヴル宮の拡張。後にピラミッドが置かれたクール ナポレオン(ナポレオンの中庭) Cour Napoléon を取り囲む部分がそれ。
北(左)にパヴィリオン リシュリュー、東にパヴィリオン シュリ―(向こうクール キャリー Cour carrée 側は以前からの時計パヴィリオン) 。ペディメントを支える柱は全てカリアティード Cariatide を使っている。
ジラルドンが飾り付けを加えたベルニーニによるルイ14世像 Statue de Louis XIV du Bernin agrémentée par Girardon の左右にPCR 検査用のテント。パスサニテールを所持していない人はここで陰性を証明できないと美術館には入れなかった(私は所持していたが)。2021.09.03.
これほど閑散とした光景は記憶にない。
エッフェル塔百態 173 カルーゼル広場
depuis 2001
カルーゼル広場の車道側越しにエッフェル塔。カルーゼル凱旋門とその右にアントワーヌ・フランソワ・ジェラール Antoine-François Gérard (1760-1843) 作の彫像<勝利を収めたフランス La France victorieuse (1814)>。
パリ交通公団 RATP が運行する TO-OT BUS と路線バスが目の前を左右に通過中。
ソルボンヌ大学(文学部)の北面
depuis 2001
ソルボンヌ大学(文学部)の北面をパンテオン前のスフロ通りからトゥリエ通り Rue Toullier を通して。
クジャス通りに向かって急な下り坂になっているのが分かる。
屋根裏部屋の半円形のペディメントに<鉱物学 Minbralogie >の表示がある。
パリの建物 48 サント・ジュヌヴィエーヴ図書館
depuis 2001
サント・ジュヌヴィエーヴの丘 Montagne Sainte-Geneviève の頂上にあるサント・ジュヌヴィエーヴ図書館 (1851) 。サント・ジュヌヴィエーヴ修道院の図書を引き継いだ。
アンリ・ラブルースト Henri Labrouste (1801-75) によるネオ・ルネサンス様式のファサード。パリ大学の芸術学部 Faculté des arts de Paris だったモンテギュ学校 Collège de Montaigu の跡地。化粧直しが終わったので・・2021.09.02.
ネスレ塔跡 / フィリップ・オーギュストの城壁
depuis 2001
フィリップ・オーギュストの城壁 Enceinte de Philippe Auguste (1190₋1215) の角塔の一つネール(ネスレ)塔 Tour de Nesle 跡を示すプレート。
塔があったのはフランス学士院の建物の左翼の位置で、右側がアンスティテュ広場(学士院広場) Place de Institut 、左側がコンティ広場 Place de Conti になっている。
マザラン枢機卿 (1602-61) は Collège des Quatre-Nations :現フランス学士院 Institut de France の建設を命じ、リシュリュー枢機卿に倣って学内の礼拝堂に埋葬されることを望んだ。コルベールはこの地を選び実行した(1662₋68)。塔は1665年に取り壊された。
アントニーとクレオパトラ タワー を ゴブラン通りから
バゼイユの噴水 Fontaine Bazeilles からゴブラン大通り Avenue des Gobelins を見上げたところ。丘の頂上にあるイタリア広場を少し下った位置にある超高層住宅:アントニーとクレオパトラ タワー Tour Antoine et Cléopâtre (1974 104m) が正面に。
噴水の後方はサント=ジュヌヴィエーヴの丘に上るムフタール通り。
この辺りがビエーヴル川 La Bièvre が流れていた谷筋(低地)。
マチス等のアトリエ 19 Quai St-Michel パリの街燈 45
depuis 2001
サン=ミッシェル通り19番地 19 Quai St-Michel のメゾンには多くの画家たちがアトリエを構えた。プレートにはアンリ・マティス Henri Matisse (1869-1954)、アルベール・マルケ Albert Marquet (1857-1947)をはじめ多くの画家の名が記されている。
マチスがこのアトリエを描いた<アトリエの画家 Le peintre dans son atelier (1916-17)>は紹介した。彼は3階(1895-1907)と4階(1913)にアトリエを構えていた。
グランダルシュをナンテール・プレフェクチュール駅前から
ナンテール・プレフェクチュール Nanterre-Préfecture 駅前からのグランダルシュ Grande Arche de la Défense 。
ぺサロ大通り Boulevard de Pesaro を真っ直ぐ進めばグランダルシュを経てエトワールの凱旋門 Arc de triomphe de l’Étoile に至る。
ブルボン宮殿<四列柱の間>入り口を<四列柱の庭園>から
ブルボン宮殿の西翼からの四列柱のある出入り口。前庭は<四列柱の庭 Jardin des Quatre-Colonnes>、入って直ぐの部屋は四列柱のある<四列柱の広間 Salle des Quatre-Colonnes>。真直ぐ進めば右側に宮殿南門前の中庭。左側に国民議会議場 Hémicycle de l’Assemblée nationale。
左右にコーカサスサワグルミ Ptérocarya du Caucase(1784にフランスに初めて持ち込まれた)が。
ブルボン宮殿とラッセイ公邸の接続
depuis 2001
ブルボン宮殿(右)とラッセイ公邸の接続部分。国民議会議長が議会に向かう通路:ギャラリー デ タピスリー Galerie des Tapisseries とパーティの間 Salle des Fêtes がある。
手前の庭園は右側にあるブルボン宮の四つの列柱の間の前庭で<四つの列柱の庭 Jardin des 4 collones>という。
国民議会のラッセイ公邸 正面玄関
depuis 2001
国民議会議長公邸であるラッセイ公邸 Hôtel de Lassay の正面玄関。ユニヴェルシテ通り Rue de l’Université の入り口から真直ぐの並木道を通って。
柵の向こうの建物は外務省 Ministère de l’Europe et des Affaires étrangères。
国民議会のラッセイ公邸 <グランド サロン>
国民議会議長公邸であるラッセイ公邸 Hôtel de Lassay の中心に位置するグランド サロン Grand Salon 。アンシャンレジームから王政復古を通してグランド サロンとして使われてきたこの部屋の骨格は議長公邸のために改造された(1845)時にも変更されなかった。
庭園側から見た正面玄関に通じる中央ドアの上にフランソワ=ジョゼフ・エイム François-Joseph Heim (1787-1865) が描いた<平和のアレゴリー Allégorie de la Paix>。セギンの暖炉やグローエの家具等は19世紀のもの。ジュール ド ジョリー Jules de Joly (1788-1865) の建築作品(1845₋48)。
四季の間から庭園を・・国民議会のラッセイ公邸
depuis 2001
国民議会(下院:衆議院に当たる)のラッセイ公邸の「四季の間 Salon des Saisons」から見える庭園。その向こうをセーヌ川が流れている。右隣りの部屋が邸の中心である「グランド サロン Grand Salon」で、庭園に降りる階段がある。
国民議会議長公邸 ラッセイ公邸 をガーデンサイトから
depuis 2001
ルイ3世 ド ブルボン=コンデ公夫人(ルイーズ フランソワーズ)の友達だったラッセイ候爵がブルボン宮建設を持ち掛け、隣接して建築したのがラッセイ公邸 (どちらも1722着工、28竣工) 。
セーヌ川側の庭 Côté Jardin から見た現在のラッセイ公邸 Hôtel de Lassay。当初は平屋だったが一階部分を継ぎ足して議長公邸となった(1843)。
国民議会と議長公邸をコンコルド広場から
コンコルド広場から斜めに国民議会 Assemblée Nationale を見たところ。国民議会のファサードはセーヌ川に架かるコンコルド橋 (1791) の真正面を向くように、ナポレオンがブルボン宮 Palais Bourbon (1728)のそれを新古典主義建築で改築した(1806-10)。そして、対面するマドレーヌ寺院のファサードとの調和を図った(1806-42)。また、広場から建物全景が見えるように階段を付けている。
右側に見えているのがオテル ド ラッセイ Hôtel de Lassay (1730) で、国民議会議長公邸として使用されている。前の緑は公邸の庭。
日・英・米の国旗 / フォーブール・サン=トノレ通り
日・英・米の国旗 が並ぶ フォーブール・サン=トノレ通り。写らない先にはエリゼ宮にフランス国旗がある。
手前が在仏日本大使公邸。その右に在仏英国大使館と大使公邸。次に在仏米国大使公邸。
大使公邸はネオルイ15世様式で建築された(1887)オテル・ピレ=ウィル Hôtel Pillet-Will の外観を残して改築された(1967)。
ソルボンヌのペリスタイルの階段を飾るパリ市章
ソルボンヌのペリスタイルの上下層を繋ぐ二基(科学と文学)の階段は1889年当時に大学を有していた都市の紋章で飾られている。
パリ市の紋章は科学の階段にある。
ソルボンヌのペリスタイルにパリ市章のステンドグラス
ソルボンヌのペリスタイルの天井中央にパリ市章を描いたステンドグラスがある。ペリスタイルの地上階 Péristyle bas からも見通せる仕掛けになっている。
現在の新ソルボンヌの建物(1884-1901)の内この部分はフランス革命100周年に間に合わせた。
リボンに1889の文字がある。上段には Académie de Paris 、下段には揺蕩えども沈まず。
ソルボンヌ中庭の日時計
depuis 2001
ソルボンヌの中庭 Cour d’honneur de la Sorbonne からソルボンヌの礼拝堂 Chapell de la Sorbonne を背にして北側を見ると屋根の中央に<ソルボンヌの日時計 Cadran solaire de la Sorbonne>に気づく。
建物の影でも分かる、日が少し傾いた夏時間13時42分。
* 帰国後14日間の自主隔離終了。真面目に対応したが、守らない人がいるのも当たり前のような気がした。
リシュリュー枢機卿の慰霊碑
ソルボンヌの礼拝堂に置かれているリシュリュー枢機卿の慰霊碑。
アンリ3世が創設した聖霊勲章に右手を置いている。
リシュリュー枢機卿の紋章。
フランソワ・ジラルドン François Girardon (1628-1715) の作品 (1675-94 頃)。
ソルボンヌの礼拝堂を中庭から
depuis 2001
ソルボンヌの校長だったリシュリュー枢機卿・公爵(ルイ13世の宰相) (1585-1642) がジャック・ルメルシエ Jacques Lemercier (1585-1654) に命じて建設し (1637) 、埋葬された (1642) 亡骸はフランス革命の際に暴かれた。
中庭からの入り口を臨んだところで、左にヴィクトル・ユゴー(ローラン・マルクエステ作)、右にルイ・パスツール(ジャン=バティステ・ユーグ作)の彫像が置かれている。
サン=ミッシェル通りに面したソルボンヌ広場は右側にあるので、ドームの右(西)面を見ていることに。
ソルボンヌの大円形講堂
気圧の実験をデカルトに説明するパスカル
depuis 2001
ソルボンヌのペリスタイル(柱廊) Péristyle の大壁面を飾る絵の一つ。<ソルボンヌ. パスカルとデカルト Sorbonne. Pascal et Descartes (1885-89)>、テオバルド・シャルトラン Théobald Chartran (1849-1907) の作品。
右端のルネ・デカルト (1596-1650) にブレーズ・パスカル (1623-62) が気圧の実験について話しているロワイヤル広場(現ヴォージュ広場)工事中の回廊での場面 (1643) 。左にジラール・デザルグ (1591-1671) とマラン・メルセンヌ (1588-1648) が同席している。4名は当時のフランスを代表する数学者。
ソルボンヌ の ペリスタイル
パリ大学”ソルボンヌ”に入ったところ
depuis 2001
エコール通りに面したパリ大学”ソルボンヌ”を入って玄関大ホールを抜け文学の階段 Escalier des Lettres で柱廊下層 Péristyle bas から上層に至るところを柱廊上層 haut から。ソルボンヌのロゴ S が門扉等に見られる。
9月18日(土)と19日(日)はヨーロッパ文化遺産の日 Journées européennes du patrimoine で普段は入れない施設を見学させてくれる。今回の滞在では国民会議とソルボンヌ大学を見せてもらった。パスポートの原本とCovid Passが予約の他に必要だった。
梱包された凱旋門 / クリストの作品
オテル ド ラ マリーヌ の一部屋
オテル ド ラ マリーヌからルイ15世広場を見る
depuis 2001
フランス革命後海軍省が使用していたオテル ド ラ マリーヌ Hôtel de la Marine は元々ルイ15世広場の北面を飾るツインの新古典主義建築物のロワイヤル通りの東部分で、王室の家具や装飾品を管理するガルド・ムーブル王室のために建築された (Hôtel du Garde-Meuble (1757-74) ) 。
その一階バルコニーから見たルイ15世広場 ⁽革命広場、ルイ16世広場を経てコンコルド広場⁾ 。ルクソールのオベリスクがある位置にルイ15世の騎馬像が置かれていた。
ノートルダム大聖堂前を通過
エリゼ宮前を通り抜ける
大きな三色旗 / オテル ド ラ マリーヌ
ル・モンド グループの新社屋の中庭から
パリ・オステルリッツ駅周辺
ブルスデコマース – ピノーコレクション
depuis 2001
旧パリ商品取引所が美術館:ブルスデコマース – ピノーコレクション Bourse de Commerce – Pinault Collection として再生オープンした⁽2021⁾。
「日本政府証明のワクチンパスポート」の有効性を確かめてからチケットを購入した。
地上階の様子。円形のコンクリートの壁が安藤忠雄の設計で加えられた。旧壁との間は通行路。従来との違いは上記のリンクをクリックして。
中央に置かれた彫像はジャンボローニャ Jean Bologne (1529-1608) による<サビニの女たちの略奪 Enlèvement des Sabines (1574-82)>のレプリカ。昔、フィレンツェのシニョリーア広場で見ました。
PARIS 2024 に向けて
セーヌ川とイエナ橋とシャイヨー宮
再生したサマリテーヌを”100%電気バス”から
今夏のパリ市庁舎前広場
オマール公のボックス SCARPA
17~18世紀には<王の馬 Cheval des rois>として知られたルシタニア (サラブレッドルシタニア) Lusitanien はポルトガル起源のサドル馬 / シュヴァル・デ・セル Cheval de selle の品種。
REMACHO と名付けられた2007年生まれのルシタニア種の川原毛色の騸馬(去勢された牡馬)。オマール公の仕切り Boxes du Duc d’Aumale の一つ ”SCARPA” に入っている。左隣には同じルシタニア種の灰色の牡馬(2004生まれ):ZAGALO がいる。生きた馬の博物館 (シャンティイ城の大厩舎) にて。
生きた馬の博物館 / シャンティイ城の大厩舎
depuis 2001
300年前に第7代コンデ公によって建設されたシャンティイ城の大厩舎 Grandes Ecuries du château de Chantilly の内部。
今は馬の博物館 Musée du cheval になっていて、仕切られた馬小屋にいる生きた馬 vivant du cheval も観察できる。コンデ公の遺産を相続し (1830)、その全てをフランス学士院に寄贈した (1884) オマール公:アンリ・ドルレアン Henri d’Orléans (1822₋97) に因んでオマール公の仕切り Boxes du Duc d’Aumale と呼ばれていて、今もオマール公の馬の名前が付けられている。
シャンティイ城の大厩舎 / 馬博物館
コンデ公 (ルイ4世アンリ・ド・ブルボン) が建設したシャンティイ城の大厩舎 Grandes Ecuries du château de Chantilly 、今は<馬博物館 Musée du Cheval>となっている。シャンティイ城側の入り口。
ジャン・オベール Jean Aubert (vers 1680-1741) による建築 (1719-35) で、同期間にパリのブルボン宮(国民会議)、オテル・ビロン (ロダン美術館) の建築も請け負っていた。
* 政府発行の 新型コロナウイルスワクチン接種証明書 の受付を7月中旬に開始予定。ロイター(共同通信)が報道(2021.06.17. AM2:10.)。
* 10都道府県に発令中の緊急事態宣言を沖縄を除いて解除、都道2府3県の重点措置の期限は6月21日から7月11日までの予定。
パヴィヨン・ブレザン / レモン・ポアンカレ病院
depuis 2001
ギャルシュ Garches にあるレモン・ポアンカレ病院 Hôpital Raymond-Poincaré もパリの公的支援病院の一つ。第一次大戦時の大統領の名。2017.08.02.
ミッシェル・ブレザン Michel Brézin (1758-1828) の遺言により創立(1836)された「感謝のホスピス Hospice de la Reconnaissance」(写真) の後方と右方に建設 (1936) されたレイモン・ポアンカレ病院に併合 (1954) されて以降は<パヴィヨン・ブレザン Pavillon Brézin>と呼ばれている。
正門の前に中庭、奥に礼拝堂、周りを複数の翼を持つ回廊が囲む様式はオテル=デュー・ド・パリ病院と同じ。
長らく鋳造に関わってきたブレザンがナポレオン1世により兵器庫の管理者に任命されて財を成し、感謝の念を込めて鋳造工場の高齢者や体の弱い労働者のためにこのホスピスを設立したのだという。
オテル=デュー・ド・パリ病院の中庭
パリの建物 47 コシャン病院 / パリの公的支援病院
depuis 2001
コシャン病院 Hôpital Cochin はこれまでに取り上げたオテル=デュー・ド・パリ、ピティエ=サルペトリエール病院、ユーロペアン・ジョルジュ・ポンピドー病院、サン=タントワーヌ病院、サン=ルイ病院と同様に「パリの公的支援病院 Assistance publique – Hôpitaux de Paris」の一つ。
Jean-Denis Cochin (1726-83) が設立した病院 (1780) に起源を持ち、レンガ造りのパヴィリオン型の建物に再建された (1926) 。前の通りはフォーブール・サン=ジャック通り Rue du Faubourg Saint-Jacques。
マッサ館 Hôtel de Massa / フランス文学者協会
depuis 2001
フランス文学者協会 Société des gens de lettres (SGDL) が使用しているマッサ館 Hôtel de Massa (1779)。パリ天文台庭園の一角にある。
(現)ギャラリー・ラファイエット・シャンゼリゼ店 Galeries Lafayette Champs-Élysées の場所に建設された当館を協会が使用することを条件として移築した (1928) もの。ネオクラシック様式。
協会は文学者を著作権により保護すること等を目的として、オノレ・ド・バルザック Honoré de Balzac 等によって設立された (1837)。
パリの建物 46 オテル・ド・ドノンと庭園
コニャック=ジェイ美術館 Musée Cognacq-Jay として使用されているオテル・ド・ドノン / ドノン館 Hôtel de Donon とパイエンヌ通り Rue Payenne に面したその庭園:ラザール=ラッシュリーヌ庭園 Jardin Lazare-Rachline 。美術館の入り口は反対側。
当時流行だったフランスルネサンスの建築家フィリベール・デ・ロルム Philibert de l’Orme (1514₋70) 風の高屋根建築で、王の建物の総監だった Médéric de Donon (1521-90) の邸宅として建築された。
パリの建物 45 イエナ宮殿
depuis 2001
イエナ広場 Place d’Iéna に面したアール・デコ Art Déco の建物<イエナ宮殿 Palais d’Iéna (1937)>は”パリ万博1937”終了後に「国立公共事業博物館 (1939-55) 」として使用することを前提に建築された。
”コンクリートの父”と呼ばれるオーギュスト・ペレ Auguste Perret (1874-1954) による鉄筋コンクリート造りの建物で、縦溝を穿った円柱に見られるように、砂気に富むコンクリートの表面をプッシュハンマーで打つことにより表面加工を施して劣化が目立たない工夫をしている。
現在は経済社会環境理事会 Conseil Economique Social et Environnemental (1959~) が使用している。
前庭に置かれている彫像<Sol et Colombe ou La naissance de la Pensée (1992)>はヌーヴォー・リアリズムの創始者であるマルシャル・レイス Martial Raysse (1936-) の作品。男性は正義の杖と知識の球を持っている。台座は八芒星。
ルーヴル美術館から国務院とパレロワイヤル広場を
depuis 2001
ルーヴル美術館のリシュリュー翼から国務院とパレ・ロワイヤル広場を見たところ。2019.07.14.
国務院 :コンセイユ・デタ Conseil d’État は政府の諮問機関であり、行政訴訟の最高裁判所でもある。
ケースで保護されているテラコッタはオーガスティン・パジュー Augustin Pajou (1730-1809) 作の<大河 Fleuve (1761)>。ルイ15世の公妾ポンパドール候爵夫人 Jeanne-Antoinette Poisson, marquise de Pompadour の名付け親ジャン・パリ・ド・モンマルテルが注文し屋敷ブルノイ城(革命後解体)の庭園に置かれていた彫像の縮小版。
勝利あるいは不滅の女神 と サン・ジャックの塔 – 2
depuis 2001
勝利あるいは不滅の女神 と サン・ジャックの塔を視点をずらして・・間にポンピドーセンターが見える。右側の建物はパリ市立劇場。
サン・ジャックの塔 の屋上には左から、サン・ジャック Saint Jacques le Majeur、鷲、天使、ライオン、雄牛の像が見えている。四隅に置かれた像はヨハネ、マタイ、マルコ、ルカの4伝道師のアトリビュート。
パリの建物 44 パヴィヨン・エリゼ
depuis 2001
シャンゼリゼ公園のエリゼ広場に”パリ万博1900”を見越して建てられたレストラン Pavillon Paillard (1896) 。
現 Pavillon Élysée でイヴェント会場等として使用されている。
アルベール・バル Albert Ballu (1849-1939) がネオ・ルイ15世様式で建築した。
砲塔のドームに載るキューピッド:愛の神 Amour はジュール・ブランシャール Jules Blanchard (1832-1916) の作品。