1997 FASHION BIG BANG のポスター

1997 FASHION BIG BANG / Palais Galliera

   depuis  2001

ガリエラ宮のガリエラ美術館で催された<1997 FASHION BIG BANG>展のポスター。
卒業式に着用したコム デ ギャルソン COMME des GARÇONS のドレスも展示されていました。

ロートレック美術館開設100周年記念ポスター

Musée Toulouse-Lautrec d’Albi / Salon de la rue des Moulins (1894-95)

アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館 Musée Toulouse-Lautrec d’Albi (1922) 開設100周年記念ポスター。
同美術館が所有している<ムーラン通りのサロン Salon de la rue des Moulins (1894-95)>が使われています。
STH (Sports travel & Hospitality) の海外募集型企画旅行<キャッスルステイパッケージ (2023.09.09-13)>を使用して、「ラグビーワールドカップ2023フランス大会」の日本初戦:対チリ戦をトゥールーズの Stadium de Toulouse で観戦・応援し(2023.09.10.)勝利した後、アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館にも立ち寄りました (2023.09.12.)。

ラウル・ラルシュによる<草原と小川>

La Prairie et le Ruisseau (1893) / Raoul Larche (1860-1912) / Hôtel de la Présidence du Sénat ou Petit Luxembourg

フランスの上院 Sénat の議長公邸・プチ リュクサンブール Hôtel de la Présidence du Sénat ou Petit Luxembourg に置かれているラウル・ラルシュ Raoul Larche (1860-1912) の作品<草原と小川 La Prairie et le Ruisseau (1893)>。
オルセー美術館所属になっています。購入時はルーブル美術館所属でリュクサンブール美術館にありました。

上院の議長公邸はリュクサンブール宮殿内にあります。

ドラクロワが心血注いだ天井画 上院図書室

   depuis  2001

ドラクロワ Eugène Delacroix (1798-1863) がつてを使って制作の機会を得たリュクサンブール宮殿の天井画<ダンテの地獄 Enfer de Dante>。上院の拡張で増築された図書室の中央、ドームに(1841₋46)。
4シーンの内の主部(写真の下部)には、「ギリシャの詩人ホメロスが詩人オウィディウス、ステイチェ、ホラティウスに囲まれ、ウェルギリウスが連れてきたダンテを歓迎している。また、武器を身に着けたピュロスはハンニバルに同行している」、<ダンテの辺獄への降下>を描いています。

Enfer de Dante / Eugène Delacroix (1798-1863) / Bibliothèque du Sénat / Palais du Luxembourg

ピカソ 新古典主義時代の作品<立っている女性>

イタリア旅行(ローマ・ナポリ・ポンペイ、1917)の影響を受けた第一次大戦後、ピカソ Pablo Picasso (1881-1973) の新古典主義の時代(1917₋25)の作品<立っている女性 Femme debout (1921)>。テンペラ画。
どっしりと量感のある、身体に比べて大きい手足、彫刻のような肉体、額から続く高い鼻。
モデルは最初の妻オルガ(1891₋1955、1918結婚)だと思われます。
プラハ国立美術館 Galerie nationale de Prague (エキシヴィジョン宮殿)にて

旧松方コレクションでポンピドーセンターの国立近代美術館 Musée national d’Art moderne 所蔵の<読書灯 La liseuse (1920)>。灰色の服を着た女性、座って本を読む女性とも。
オルガ・ピカソを描いた油絵です。

フォンダシオン ルイ・ヴィトン 美術館 にて

1984~85にかけて約160点のキャンバスを共同制作したジャン=ミシェル・バスキア Jean-Michel Basquiat (1960-88) とアンディ・ウォーホル Andy Warhol (1928-87) の展覧会 <BASQUIAT × WARHOL, À QUATRE MAINS> に行ってきた。

Fondation Louis Vuitton / BASQUIAT × WARHOL, À QUATRE MAINS

<1997 ファッションビッグバン>展 / ガリエラ宮殿

   depuis  2001

1997 年は 21 世紀のファッションの始まりと見なせるほど現代ファッションの歴史における決定的な年だったとの認識に基づいて、ガリエラ宮殿 Palais Galliera は<1997 ファッションビッグバン 1997 FASHION BIG BANG>展を開催しています。

卒業式の日に着たコムデギャルソンの洋服が展示してあった。

ドガの彫刻<浴槽 Le Tub> オルセー美術館

アドリアン・オーレリアン・エブラール (1865-1937) が ロストワックス鋳造した(1921~31) エドガー・ドガ (1834-1917) の<浴槽 Le Tub (1886-89)>。
スコットランド国立美術館所蔵のそれは紹介済み。

Le Tub (1886-89) / Edgar Degas (1834-1917) /  Adrien-Aurélien Hébrard (1865-1937) / Musée d’Orsay

6410

ジョルジュ・ド・フール の アール・ヌーヴォー

Allégorie d’un art appliqué (1900) / Georges de Feure (1868-1943) / Musée d’Orsay

1900年パリ万博において、美術商サミュエル(ジークフリート)・ビング (1838-1905) が出展した「アール ヌーボー」パビリオン “L’Art Nouveau Bing” のファサードを装飾したジョルジュ・ド・フール Georges de Feure (1868-1943) の作品<応用芸術のアレゴリー Allégorie d’un art appliqué (1900)>。
ビングは日本美術の紹介者、アール・ヌーヴォーの普及者として有名。
オルセー美術館にて

シモネッタ・ヴェスプッチの肖像 短命の美人貴婦人

Portrait de Simonetta Vespucci (1480頃) / Piero di Cosimo (1462-1522) / Musée Condé

 ボッティチェリがほれ込んで「ヴィーナスの誕生(1483頃)」のモデルにしたなどと言われたフィレンツェ一の美人貴婦人シモネッタ・ヴェスプッチ (1453-76)を、ピエロ・ディ・コジモ Piero di Cosimo (1462-1522)が描いた<シモネッタ・ヴェスプッチの肖像 Portrait de Simonetta Vespucci (1480頃・1490頃とも)>。
シャンティイ城にあるコンデ美術館で観れる。
髪型は既婚の三つ編み、額は(当時流行の)剃毛して高く見せている。暗雲は短命を暗示し、ネックレスに巻き付いた蛇が自らの尻尾を噛んでいるのは再生の暗喩とされる。裸体は貞潔、結婚を象徴しているらしい。

5866

クラナッハの<三美神>

Les Trois Grâces (1531) / Lucas Cranach l’Ancien (1472-1553) / Musée du Louvre

ドイツルネサンスの画家ルーカス・クラナッハ (父) Lucas Cranach l’Ancien (1472-1553) が描いた<三美神 Les Trois Grâces (1531)> 。
個人所有だった本作品を<誰もが芸術の庇護者Tous mécènes>のキャンペーンによって四分の一の購入費を得てルーヴル美術館が購入して(2011)話題になった。
購入に先立ち、海外流出を阻止するために国家財産 Trésor national に指定し輸出禁止の措置が取られた(2009)。
真ん中が末っ子のアグライアー Aglaé で、左にエウプロシュネー Euphrosyne 、右にタレイア Thalieだと思われるが、ルーヴルにそのような説明はない。エウプロシュネーのポーズはヴィーナス・カリピジュ Vénus callipyge のそれに似る。


ルーベンスの<三美神>

L’Instruction de la reine (1622-25) / Cycle de Marie de Médicis / Les Trois Grâces / Pierre Paul Rubens (1577-1640) / Musée du Louvre

ルーヴル美術館所蔵のルーベンス Pierre Paul Rubens (1577-1640) の大作<マリー・ド・メディシスの生涯 Cycle de Marie de Médicis>の内の<公女の教育 L’Instruction de la reine (1622-25)>に
三美神(真ん中が末っ子のアグライアー Aglaé で、左にエウプロシュネー Euphrosyne 、右にタレイア Thalie)を描き込んでいる。
中央の公女マリーに教育を授けているのは左からアポロ(アポロン:芸術、アテナ(ミネルヴァ:知恵)、エルメス(メルクリウス:雄弁)の神々。
マリーの上から伝令のエルメスが雄弁のカドゥケウスと三美神から託された美を授けている。

正式な肖像画の原型とされた <手袋をはめた婦人>

La Dame au gant (1869) / Carolus-Duran (1837-1917) / Musée d’Orsay

   depuis  2001

カロリュス=デュラン Carolus-Duran (1837-1917) の作品<手袋をはめた婦人 La Dame au gant (1869)>。
前年に結婚した画家のポーリン・クロワゼット Pauline Croizette (1839-1912):デュラン夫人:ポーリン・カロリュス=デュランの肖像画。
サロンで正式な肖像画の原型と評価されて人気の肖像画家となる。
片方の手袋は足下に。デュランの署名と。
オルセー美術館にて

猫を連れた女 ピエール・ボナール

La Femme au chat (Vers 1912) / Pierre Bonnard (1867-1947) / Marthe de Méligny (1869-1942) / Musée d’Orsay

今日は猫の日。
ピエール・ボナール Pierre Bonnard (1867-1947) の作品<猫を連れた女 La Femme au chat (Vers 1912)>。
女性は後に (1925) ボナール夫人となるモデルで画家のマルト・ド・メリニー Marthe de Méligny (1869-1942) 。

ジェームズ・プラディエ による「三美神」

Les Trois Grâces (1831) / James Pradier (1790-1852) / Musée du Louvre

   depuis  2001

ジェームズ・プラディエ James Pradier (1790-1852) の彫刻、<三美神 Les Trois Grâces (1831)>
ギリシャ神話の三美神。
ルーヴル美術館にて (2022.07.14.)
恐らく真ん中が末っ子のアグライアー Aglaé で、左にエウプロシュネー Euphrosyne 、右にタレイア Thalie だと思われる。
アントニオ・カノーヴァ (1757-1822) による三美神(1814₋17)も同じ並び。
宝石箱を踏みつけているアグライアーは肩を寄せ合う姉たちが持つ花束のロープで背後を結ばれている。

 

マヨルカ島から来た<ガウディのステンドグラス>

Les vitraux de Gaudí / Museu d’Art Sacre de Mallorca / Antoni Gaudí (1852-1926)

   depuis  2001

2022年にオルセー美術館で開かれた<ガウディ展>で観ることができた(2022.07.03.)。
アントニ・ガウディ Antoni Gaudí (1852-1926) がデザインしたマヨルカ島のパルマ大聖堂 La Seu のためのステンドグラス。
大聖堂の一角、マヨルカのサクレ美術館 Museu d’Art Sacre de Mallorca にあるもの。
地震(1851)被害の修復作業の一環として招聘された(1903₋14)時の作品。

 

* 今日は節分。今年の方位:南南東を向いて恵方巻を頂いた。

<半人半山羊のパンと子熊> エマニュエル フレミエ

ピラミッド広場に置かれたジャンヌ・ダルク騎馬像の彫刻家エマニュエル・フレミエ Emmanuel Frémiet (1824-1910) の作品<パンと子熊 Pan et oursons (1867)>。オルセー美術館所蔵。
子供のパンの頭には山羊の角があり、下半身は山羊で尻尾もついている。子熊は2匹(頭)。
パンは古代ギリシャ以前からの古い神。ギリシャ神話では「羊飼い・ヤギ飼いの神」、動物の保護者でもある。中国の盤古ばんこ、新羅の牛頭天王を経てスサノオに繋がるとする都市伝説がある。

Pan et oursons (1867) / Emmanuel Frémiet (1824-1910) / Musée d’Orsay

キルギス キルギスの国旗

エジプト太陽神に礼拝する タペレ夫人の石碑

   depuis  2001

古代エジプト第22王朝・23王朝並立時(BC745₋730頃)の石碑の前面、<タペレ夫人の石碑 Stèle de la dame Tapéret>。「タペレは花の形で彼の光線を彼女に照らす太陽神レ Dieu Soleil Re (Re-Horakhty) に祈ります」と案内されている。ルーヴル美術館にて(2022.07.14.)
太陽神 Re-Horakhty は”周りをコブラが囲った太陽の円盤”を冠したハヤブサの頭を持つ男で表される。手に「ヘカの杖 Sceptre Héqa とアンク Ânkh」と「ウアスの杖 Sceptre Ouas と鞭 flagellum」を持つ。
頂部の中心に「2匹のコブラの首にアンクをぶらさげた太陽の円盤」、両側に「天空の神ホルス Horus の目(ハヤブサの目)を表すウェジャットの目 Oeil Oudjat」。
側方には天を支える柱として「上下エジプトの百合の花 Lis、底部に「地上の神ゲブ Geb の頭」。

Stèle de la dame Tapéret / Re-Horakhty / Musée du Louvre

メリシパク2世のクドゥル(境界石) に<星と月と太陽>

kudurru / étoile (Ishtar) / lune (Sin) disque solaire (Shamash) / Musée du Louvre

   depuis  2001

カッシート(バビロニア第3)王 メリシパック2世 (BC 1186-1172) のクドゥル(境界石) kudurru 。
メリシパックが娘のフンヌバット ナンナヤに土地を寄付したことと灌漑用水路を修理したことを記している。
「カルトの香炉」の左側に座っている女神ナンナヤに王が娘を紹介している場面。
その上にイナンナ(イシュタル)を表す八芒星(金星)、ナンナ(シン)を表す月(三日月)、ウツ(シャマシュ)を表す太陽。
バビロニア(シュメール)からエラム(シュトルキッド朝)のスサへ紀元前12世紀に持ち込まれた戦利品で、その上下は削られている。

* スサノオはスサの王という都市伝説がある。

ポンパドール夫人の姿で ルイ15世との<友情>を

L’Amitié sous les traits de Madame de Pompadour (1753) / Jean-Baptiste Pigalle (1714-85) / Musée du Louvre

   depuis  2001

ポンパドール夫人が注文した<友情 ポンパドール夫人の姿で L’Amitié sous les traits de Madame de Pompadour (1753)>。
「友情」の寓意像。ルーヴル美術館所蔵。
彼女 Madame de Pompadour (1721-1764) がルイ15世から譲渡を受けたムードン Meudon の土地に建設したベルビュー城 Château de Bellevue (1750) に置くためにジャン=バティスト・ピガール Jean-Baptiste Pigalle (1714-85) に依頼したもので、ルイ15世像と対になっていたらしい。
足元の四季の花々が(ルイ15世と夫人の)友情は人生の様々な場面で開花することを仄めかしている。

座って編み物をしている羊飼いの女 ミレー

La Tricoteuse ou Une Bergère assise, tricotant (1856) / Jean-François Millet (1814-75) / Musée d’Orsay

ジャン=フランソワ・ミレー Jean-François Millet (1814-75) が描いた<編み物をする女性 La Tricoteuse:座って編み物をしている羊飼いの女 Une Bergère assise, tricotant (1856)>。
美術収集家アーマンド・ドリア Armand Doria (1824-1896) が制作依頼したのではないかとみられている作品。
オルセー美術館所蔵。

エッフェル塔百態 180 ポンヌフの街燈

ポンヌフの街燈の間にエッフェル塔。
街燈(1853₋55)はヴィクトール・バルタール Victor Baltard (1805-74) による。ネプチューンとイルカ。下には照明用ガスボックス。バルタール様式のレ アールのパヴィリオンで有名。
コンコルド橋の下流、セーヌ川沿いにオルセー美術館。コンコルド橋の上流に架かる河川信号 Signalisation fluviale が多数掛けられているポンデザール Pont des Arts の左岸にフランス学士院とパリ国立高等美術学校 Beaux-Arts de Paris (1816) の展示宮殿 Palais des expositions des Beaux-Arts。
エッフェル塔の右にサント・クロチルド聖堂の尖塔。                                                         2022.07.02.

Tour Eiffel / Lampadaires du Pont Neuf / Musée d’Orsay / Palais des expositions des Beaux-Arts

少女 マヤ の 切り絵 ~ パブロ・ピカソ

Fillette (1939-40) / Pablo Picasso (1881-1973) / Collection Macy Hooper

マヤの娘 ディアナ・ウィドマイヤー=ルイス=ピカソ Diana Widmaier-Ruiz-Picasso (1974-) が企画した展示会「マヤ ルイス ピカソ、フィレ デ パブロ Maya Ruiz-Picasso (1935-2022) , fille de Pablo」(2022) で展示されたピカソの作品。
<少女 Fillette (1939-40)>。
切り絵 papier découpé にクレヨンで描いたマヤの姿のようです。
マリーテレーズ Marie-Thérèse Walter (1909-77) とマヤ Maya Widmaier-Picasso (1935-2022) 母子は第2次大戦勃発により、生後住んでいたパリ郊外のル・トロンブレ=シュル=モルドルを出て、ボルドー近郊のリゾート地ロワイヤン Royan に疎開(1939.秋~1941春)していました。その頃のマヤ像です。
Collection Macy Hooper と案内されています。額縁も気に入りました。
* 美術愛好家(コレクター)でも知られる俳優のディカプリオ Leonardo Wilhelm DiCaprio (1974-) がこの作品に興味を示している・・という記事を見た気がする。

髪に人形を付けたマヤの肖像

Portrait de Maya à la poupée dans les cheveux (1943) / Exposition Maya Ruiz-Picasso, fille de Pablo (2022) / Musée National Picasso-Paris

ベラム紙のスパイラル ノート シートに鉛筆書きしたドローウィング、<髪に布人形を付けたマヤの肖像 Portrait de Maya à la poupée dans les cheveux (1943)>。
マヤの娘 ディアナ・ウィドマイヤー=ルイス=ピカソ Diana Widmaier-Ruiz-Picasso (1974-) が企画した展示会「マヤ ルイス ピカソ、フィレ デ パブロ Maya Ruiz-Picasso, fille de Pablo」(2022) で公開されたピカソの作品。

マヤ・ルイス=ピカソ (1935-2022) は展示会終盤の年末に亡くなった。

モノグラム M.T.W.P. / パリのピカソ美術館

Monogramme M.T.W.P. (1944) / Marie-Thérèse Walter / Musée National Picasso-Paris

パリのピカソ美術館で催された(2022)展覧会「マヤ ルイス ピカソ、フィレ デ パブロ」で公開されたモノグラムで、<Monogramme M.T.W.P. (1944)>と案内されていました。マヤが所有していたもの(例えば父から母、父から娘への手紙)の一部かと。薄紙にグヮッシュで描いています。
マヤ ルイス ピカソ:マヤ・ウィドマイヤー=ピカソ Maya Widmaier-Picasso (1935-2022) はパブロ・ピカソとマリー・テレーズ・ワルター Marie-Thérèse Walter (1909-77) との(非嫡出子)娘。
パリ解放(1944年8月)後に関係が悪化する前の新年にピカソがハートPを付けて描いたマヤの母親のモノグラムか、或いは、二人の子であるマヤを意味しているのかもしれません。

夫婦の貞節の象徴 アザミを持ったデューラーの肖像

Portrait de l’artiste tenant un chardon (1493) / Albrecht Dürer (1471₋1528) / Musée du Louvre

   depuis  2001

ラファエロやダ・ヴィンチと同時代を生きたアルブレヒト・デューラー Albrecht Dürer (1471₋1528) の作品<アザミを持った芸術家の肖像 Portrait de l’artiste tenant un chardon (1493)>。
ルーヴル美術館にて (2015.01.04.)。
アザミは夫婦の貞節の象徴とされ、この絵はストラスブールで描いたデューラーの婚約の肖像画だと見られている。
友人からの情報に基づく木版画のインドサイは<デューラーのサイ Rhinoceros (1515)>として有名。

ナポレオン1世の 立法府での玉座

Trône de Napoléon Ier du Corps législatif / Bernard Poyet (1742-1824) / Musée des Arts Décoratifs

ベルナール・ポイエ Bernard Poyet (1742-1824) の作品。彼は立法府:国民議会の北正面(セーヌ川側)の建築で有名。
ナポレオンが皇帝であった時(1804-14)には、ペディメントの月桂樹輪にはナポレオンの N、今は松ぼっくりの位置には皇帝のカタジロワシ Aigle impérial があったという。
ひじ掛けには有翼のライオン、背もたれには正義の手と剣と天秤があり、皇帝の権力と法の力と正義・公正の執行を寓意しています。
ルーヴル宮殿の一角、装飾美術館にて。 

エルザ・スキャパレリのシュールレアリスムな世界展

ルーブル宮にあるパリの<装飾美術館 Musée des Arts Décoratifs>で「Shocking! エルザ・スキャパレリのシュールレアリスムな世界展 Shocking! Les Mondes Surréalistes d’Elsa Schiaparelli」が催されています。
エルザ・スキャパレリ Elsa Schiaparelli (1890-1973) はローマ生れのファッションデザイナー、スキャパレリの創始者。ココ・シャネル最大のライバルだったと言われています。

Shocking! Les Mondes Surréalistes d’Elsa Schiaparelli
Musée des Arts Décoratifs

カビュが描いたヴェロドローム・ディヴェール事件

   depuis  2001

パリでのユダヤ人の大量(13,152人)検挙事件<ヴェロドローム・ディヴェール事件 Rafle du Vélodrome d’Hiver (1942)>を記録したレヴィとティラールの著作(1967)の挿絵を描いたのがカビュ Cabu (1938-2015)。
パリ市は80周年にあたり、ショア記念館 Mémorial de la Shoah で<
CABU, Dessins de la rafle du Vel d’Hiv>を催し、未公開だったそのスケッチが展示されている。

CABU, Dessins de la rafle du Vel d’Hiv / Mémorial de la Shoah / Allée des Justes de France

カビュはシャブリ―エブド事件の犠牲者の一人(レピュブリュック広場での追悼集会時(2015.01.11.)の写真の左端)であり、この展示会は彼へのオマージュでもある。

Attentat contre Charlie Hebdo / Place de la République

ギロチンの刃 (実物) / パリ警視庁博物館

Véritable couperet de guillotine utilise place de Grève,pendant la Révolution / Musée de la préfecture de police

   depuis  2001

パリ警視庁博物館 Musée de la préfecture de police に保管されているギロチンの刃(包丁) Couperet de guillotine。
「重量8.8㎏でフランス革命中(現)市庁舎前広場 Place de l’Hôtel-de-Ville – Esplanade de la Libération であるグレーヴ広場(1803迄)において実際に使用されていたもの」と説明にあります。

グレーヴ Grève (砂浜)に”ストライキする”の意味があるのは嘗て”失業者が職を求めてグレーヴ広場に集まった”ことからの転化らしい。

<美術アカデミー>で ジャン・カルドー展

Une intrusion dans l’Atelier de Jean Cardot / Académie des beaux-arts / Institut de France

フランス学士院の<美術アカデミー Académie des beaux-arts>でジャン・カルドー Jean Cardot  (1930-2020) 展 / 彼のアトリエを覗く Exposition  Une intrusion dans l’Atelier de Jean Cardot が開かれていたので立ち寄ってみました。会長も務めた彼の回顧・顕彰展です。
プティ・パレ(美術館)横に置かれた「ウインストン・チャーチルの像 Statue de Winston Churchill (1998)」、グラン・パレ(美術館)横に置かれた「シャルル・ド・ゴール将軍の像 Statue du Général Charles de Gaulle (2000)」、レオポール・セダール・サンゴール橋左岸詰めの「トーマス・ジェファーソンの像 Statue de Thomas Jefferson (2006)」はいずれも彼の作品です。

ポンパドール夫人を魅了した磁器のブーケ

Maison Chaumet が6区のパリ ボザール美術館で行っている<ヴェジタル展 Exposition Végétal – L’École de la beauté>で展示されていた<ヴァンセンヌ磁器のパーペチュアルブーケ Bouquets perpétuels>。軟質磁器 porcelaine tendre / pâte tendre の花々が絹片で覆われたカネティーユ cannetille に取り付けられています。
ヴァンセンヌ城内に設立されたヴァンセンヌ窯 Manufacture de Vancennes (1740₋56) で制作され、葉付きの金属棒に取り付けたブーケとしてはもとより、鉢植えや家具取り付けや装飾品として貴族のインテリアを飾りました。
ルイ15世がポンパドール夫人(1721₋64、1745-公妾)に多数のブーケを贈ったことで彼女が磁器に興味を示すきっかけになり、自宅に近いセーヴルに王室の工房として移転する(1956)ことになったと言われているようです。

Bouquets perpétuels / Manufacture de Vancennes (1740₋56) / Manufacture et Musée Nationaux , Sèvres

マヤ・ルイス・ピカソ の おばあちゃん

Portrait d’Émilie Marguerite Walter (dite “Mémé”) (1939) / Pablo Picasso (1881-1973) / Musée National Picasso-Paris

   depuis  2001

<新しい傑作 マヤ・ルイス・ピカソの寄付(相続税の代物弁済) Nouveaux Chefs-D’oeuvre / La Dation Maya Ruiz Picasso>展のポスターに使用されたのは<(”おばあちゃん”として知られる)エミリー・マルグリット・ウォルターの肖像 Portrait d’Émilie Marguerite Walter (dite “Mémé”) (1939)>。
マヤ・ルイス・ピカソ (1935-) の母マリー・テレーズ Marie-Thérèse Walter (1909-77) の母。
マヤが生まれる頃からドラ・マール Dora Maar (1907-97) との関係が始まりますが、面倒は見続けていたことを窺えます。

舟を持った少女 マヤ ルイス ピカソ展のポスターに

Fillette au Bateau (1938) /  Pablo Picasso / Maya Ruiz-Picasso (1935-) / Musée National Picasso-Paris

<パブロの娘、マヤ・ルイス・ピカソ展 Maya Ruiz-Picasso / Fille de Pabro>のポスターに使われた<舟を持った少女 Fillette au Bateau (1938)>。
少女はマリー・テレーズとの間の娘マヤ・ピカソ Maya Ruiz-Picasso (1935-) 。
オルガ・ピカソとの間の息子パウロ・ピカソ Paulo Picasso の娘、マリナ・ピカソ Marina Picasso (1950-) のコレクション。

パリのピカソ美術館にて

マスクをしたマリー・テレーズとマヤ・ルイス・ピカソ

   depuis  2001

Marie-Thérèse enrhumée allaitant Maya (1936) / Pablo Picasso / Musée National Picasso-Paris

パリのピカソ美術館で<パブロの娘、マヤ・ルイス・ピカソ展 Maya Ruiz-Picasso / Fille de Pabro>が開かれています。併せて、彼女が相続税として代物弁済した9点の作品<La Dation Maya Ruiz Picasso / Nouveaux Chefs-D’oeuvre>披露がされています。
<マヤに授乳中の風邪を引いたマリー・テレーズ Marie-Thérèse enrhumée allaitant Maya (1936)>。
マリー・テレーズ Marie-Thérèse Walter (1909-77) はピカソ Pablo Picasso (1881-1973) の愛人(1927₋35)でマヤ・ルイス・ピカソ Maya Ruiz-Picasso (1935-) の母親。

フランスではマスク着用義務はありませんが、公共交通機関では着用している人もちらほら。

<パリ下水道博物館>に行きました

   depuis  2001

パリ下水道博物館 Musée des Égouts de Paris に行って来ました。アルマ橋左岸上流側にあります。2,100キロメートルに及ぶパリの下水道網は市内の水道本管、通信ケーブル、信号ケーブルをも収納しています。最初の地下下水道は1370年に始まりますが、ウジェーヌ・ベルグラン Eugene Belgrand (1810-78) による下水道システムは1850年以来パリ大改造 Travaux haussmanniens の一環として建設されました。

本日19時発JL46便で帰国します。
* レ・ミゼラブル Les Misérables (1958) はジャン・ギャバン主演、パリ下水道が舞台。
  第3の男 The Third Man (1949) オーソン・ウェルズがウイーンの下水道で。

ショーメによるヴェジタル展 Exposition Végétal

   depuis  2001

Maison Chaumet が6区のパリ ボザール美術館で行っている<Exposition Végétal – L’École de la beauté>に行ってきた。2022.08.11.

ロッジのお祭り La Fête des Loges

毎夏、サン=ジェルマン=アン=レーの森で行われている<ラ フェテ デ ロッジ>の起源はサン=ルイ Saint-Louis が狩猟用ロッジと礼拝堂を建てた⁽1138⁾時に遡るらしい。
行ったことはないのだが、RER A と会場を結ぶプチトレインが来たので・・背景は「国立考古学博物館」が入っているサン=ジェルマン=アン=レー城 Château de Saint-Germain-en-Laye。

Petit Train / La Fête des Loges / Château de Saint-Germain-en-Laye

革命記念日 14 Juillet の昼 / ルーヴル美術館

   depuis  2001

革命記念日 14 Juillet の午後2時過ぎ。ルーヴル美術館のシュリー翼からナポレオンの中庭とルーヴルのピラミッド、カルーゼルの凱旋門とエトワールの凱旋門。
予約なしの行列は続く⁽事前予約者はピラミッドの向こう側に⁾。

Cour Napoléon / Pyramide du Louvre / Arc de Triomphe du Carrousel / Arc de Triomphe / Musée du Louvre

革命記念日 14 Juillet の朝 / ルーヴル美術館

7月14日、カトルズ(キャトーズ)・ジュイェ14 Juillet はフランスの革命記念日。
無料で開放されるルーヴル美術館への入館狙いで出かけた。右端に少々の行列。9時開館の47分前。
時間予約制のため、予約なしでの入館の保証はない。が、9時22分に入館できた。

Pyramide du Louvre / Musée du Louvre / Cour Napoléon

14 Juillet の締めはエッフェル塔の花火。France 2 で視聴。

<子どもたちの街>への案内ポスター

   depuis  2001

シテ科学産業博物館 Cité des sciences et de l’industrie の常設展<子どもたちの街 La Cité des enfants>への案内ポスター。オンライン予約を薦めている。最寄り駅はメトロ7号線 Porte de la Villette。

La Cité des enfants / Cité des sciences et de l’industrie / Parc de la Villette

シロクマ と パンセ / オルセー美術館

マイヨール Aristide Maillol (1861-1944) の出世作<地中海 Méditerranée / パンセ La Pensée (1905)>のブロンズ版 (1984) とポンポン François Pompon (1855-1933)作<シロクマ Ours blanc (1923-33)>。

Méditerranée ・La Pensée (1905) (1984) / Ours blanc (1923-33) / Musée d’Orsay

オルセー美術館で<マイヨール展>をみる

   depuis  2001

アリスティド・マイヨール Aristide Maillol (1861-1944) 調和の探求 La quête de l’harmonie と題した企画展の入り口。
チュイルリー庭園にオリジナルが置かれている<三美神 Les Trois Grâces (1938)>が・・オルセー美術館もコピーを所有しているらしい。

Les Trois Grâces (1938) / Aristide Maillol (1861-1944) / Aristide Maillol La quête de l’harmonie / Musée d’Orsay

6617

オルセー美術館で<ガウディ展>をみる

   depuis  2001

オルセー美術館で催されている<ガウディ Gaudí 展>を見に行った。併せて<マイヨール展>にも。
ガウディ (1852-1926) の才能をうかがわせる「時計」と「鏡」と「家具」等。

* 日本での予約に電波障害の影響を受けたようです。7月2日から4日にかけて。サイトにログインできなかった。

4867

エッフェル塔百態 175 パレ・ド・トーキョーの泉

Tour Eiffel / Exposition Anita Molinero / Fontaine du Palais de Tokyo / Musée d’Art Moderne de Paris

パリ市立近代美術館 Musée d’Art Moderne de Paris で「アニータ・モリネーロ (1953-) の回顧展 Exposition Anita Molinero」が開かれています。
彼女はポリスチレンの押出し Extrudia 手法を駆使した造形芸術家。
パレ・ド・トーキョーの泉 Fontaine du Palais de Tokyo に彼女の(無題の)作品群が”赤い島 L’Ilot rouge”のように置かれています。

<ヴィオレ ル デュクの尖塔>の雄鶏

   depuis  2001

パリのノートルダム大聖堂の火災(2019)の翌日に瓦礫の中から奇跡的に無傷で見つかった<ヴィオレ ル デュクの尖塔の雄鶏 Le Coq de La Flèche de Viollet-le-Duc de Notre-Dame (1859)>がシャイヨー宮のシテ建築遺産博物館で展示されています。
ビクター・ジェフロイ・デショーム Victor Geoffroy-Dechaume (1816-92) による銅製作品。尖塔は建築家 ウジェーヌ・ヴィオレ・ル・デュク Eugène Viollet-le-Duc (1814-79) の作品。

Exposition : Les Sculputures de Notre-Dame de Paris / Le Coq de La Flèche de Viollet-le-Duc de Notre-Dame (1859)
Cité de l’architecture et du patrimoine 公式ホームページから借用

洗礼者ヨハネの頭を持つ<へロディア>

Hérodiade (1887頃) / Jean-Jacques Henner (1829-1905) / Musée national Jean-Jacques Henner

   depuis  2001

エロディアード(ヘロディア) Hérodiade が娘のサロメが踊って手に入れた洗礼者ヨハネの切断された頭が入ったトレイを持つ姿を描いた<エロディアード Hérodiade (1887頃)>、ジャン=ジャック・エンネル Jean-Jacques Henner (1829-1905) の作品です。
祝宴での舞踏の褒美としてヘロデ・アンティパスに「好きなものを求めよ」と言われたサロメは母ヘロディアの指示により「洗礼者ヨハネの斬首」を求めました。
ジャン=ジャック・エンネル美術館にて

レンブラント Rembrandt van Rijn (1606-1669) による<洗礼者ヨハネ Johannes de Doper の頭を受け取るサロメ Salome (1640-46) >

割譲されたアルザスの擬人化 / アルザス、彼女は待つ

L’Alsace, elle attend (1871) / Jean-Jacques Henner (1829-1905) / Musée national Jean-Jacques Henner

   depuis  2001

ジャン=ジャック・エンネル Jean-Jacques Henner (1829-1905) の代表作<アルザス、彼女は待つ L’Alsace, elle attend (1871)>はアルザス・ロレーヌ割譲反対の急先鋒だったレオン・ガンベッタ Léon Gambetta (1838-82) に贈るため地元の実業家夫人からの依頼を受けて制作した。
喪に服すアルザスの若い少女で割譲されたアルザスを擬人化しています。
大きな結び目を持つアルザスの頭飾りに付けた青白赤三色の花形帽章はフランス共和国の象徴です。

ジャン=ジャック・エンネル美術館を訪れる

Musée national Jean-Jacques Henner / Le patio du musée

   depuis  2001

フランスの国立美術館の一つ<ジャン=ジャック・エンネル美術館 Musée national Jean-Jacques Henner>を訪れました。
普仏戦争(1870-71)で故郷を失ったアルザスのベルンヴィラー生れのエンネル(1829-1905)は<アルザス、彼女は待つ L’Alsace, elle attend (1871)>で成功を収めました。
甥のジュール・エンネル夫人(のマリー・エンネル)が画家ギョーム・デュブフェ(1853-1909)が住んでいた邸宅を購入し、相続したエンネルの絵画等を展示する美術館として国に寄付したもの。

愛は愛をもたらす / アルベール・エルバスを偲んで

   depuis  2001

Covid-19 で亡くなったアルベール・エルバス Alber Elbaz (1961-2021) に敬意を表した展示会<愛は愛をもたらす Love Brings Love. Le défilé hommage à Alber Elbaz.>がガリエラ美術館で開かれていました。

Alber Elbaz (1961-2021) / Musée Galliera
Love Brings Love. Le défilé hommage à Alber Elbaz.

美術館のイヴ サン ローラン 2 / パリ市立近代美術館

   depuis  2001

Yves Saint Laurent aux musées / Giorgio de Chirico (1888-1978) /  Musée d’Art Moderne de Paris

イヴ・サン=ローラン Yves Saint-Laurent (1936-2008) が最初のファッションショーを開いたのは60年前(1962)。<美術館のイヴ サン ローラン Yves Saint Laurent aux musées>と題した60周年を記念した催しがパリの6美術館て行われています。その一つ、パリ市立近代美術館に行ってきました。
ジョルジョ・デ・キリコ Giorgio de Chirico (1888-1978) の間の例。
右、Offerta a Giove (Offrande à Jupiter) (1971)。
左、Idillio antico (Idylle antique) (1970頃)。

* kawanoegy三島川之江ICから高速バスを使って徳島のお友達宅へ。京都のお友達も合流。1泊して次の日、2人を川之江に招待、2泊。

美術館のイヴ サン ローラン / パリ市立近代美術館

   depuis  2001

イヴ・サン=ローラン Yves Saint-Laurent (1936-2008) が最初のファッションショーを開いたのは60年前(1962)。<美術館のイヴ サン ローラン Yves Saint Laurent aux musées>と題した60周年を記念した催しがパリの6美術館て行われています。その一つ、パリ市立近代美術館に行ってきました。
常設展会場のアンリ・マティス Henri Matisse (1869-1954)の作品<ラ・ダンセ・ド・パリ La Danse de Paris (1931-33)>の前の展示例です。

Yves Saint Laurent / La Danse de Paris (1931-33) / Henri Matisse / Musée d’Art Moderne de Paris

エッフェル塔百態 174 シテ建築遺産博物館

Tour Eiffel / Cité de l’architecture et du patrimoine / Palais de Chaillot

   depuis  2001

シャイヨー宮のパリ翼 Aile Paris に入っている<シテ建築遺産博物館 Cité de l’architecture et du patrimoine>から見たエッフェル塔 Tour Eiffel 。
ナツボダイジュ Tilia platyphyllos の花が咲いていました。

ルイ6世 アンリ ド ブルボン=コンデ の聖霊勲章

   depuis  2001

レジオンドヌール博物館となっているサルム館で観れる Louis VI Henri de Bourbon-Condé (1756-1830) が受領した(1773)聖霊勲章のネックレス。
ブルボン宮、シャンティイ城を含むコンデ公の膨大な遺産はオマール公:Henri d’Orléans が引き継いだ。

Collier des chevaliers de l’ordre du Saint-Esprit / Louis VI Henri de Bourbon-Condé (1756-1830) / Musée national de la Légion d’honneur et des ordres de chevalerie

レジオンドヌール宮殿のスフィンクス

   depuis  2001

レジオンドヌール宮殿:サルム館 Hôtel de Salm のスフィンクス。1871年の火災後に加えられた。
鋳鉄製で台座にFONDU PAR JJ DUCEL & FILS の刻印がある。Jean-Jacques Ducel (1801-77) はデュセル鋳造所(1823-78)の二代目で彫刻家でもあった。

Statue de Sphinx / Hôtel de Salm / Palais de la Légion d’honneur

デビッド ハモンズ の作品 / ピノーコレクションにて

   depuis  2001

デビッド ハモンズ David Hammons (1943-) の作品<無題 Untitled (2000)>。ピノーコレクションの1点。鑑賞者が多かったので‥                      2021.08.15.

Untitled (2000) / David Hammons (1943-) / Pinault Collection

フランス国旗と欧州連合旗とイル=ド=フランス旗

カルナヴァレ美術館の中からヴィクトル・ユゴー高校 Lycée Victor Hugo, Paris の出入り口の上に掲げられている「フランス国旗 Drapeau de la France」と「欧州連合旗 Drapeau de l’Union européenne」と(高校の属す地域圏)「イル=ド=フランス旗」。
欧州連合旗には五芒星が12個、イル=ド=フランス Île-de-France のロゴには八芒星が付いている。

Drapeau de la France / Drapeau de l’Union européenne / Drapeau de Île-de-France / Lycée Victor Hugo, Paris / Musée Carnavalet

喪服を着た マリー・ド・メディシス

   depuis  2001

Portrait de Marie de Médicis (1613) / Frans Pourbus le Jeune (1569-1622) / Musée Carnavalet

アンリ3世の暗殺死により、カトリーヌ・ド・メディシス Catherine de Médicis (1519-89) の娘マルグリット Marguerite de Valois が嫁入りしていたナバラ王アンリがアンリ4世として即位した(1589)。王妃となって10年、離婚が成立し(1599)、アンリ4世はカトリーヌ・ド・メディシスの遠縁にあたるマリー・ド・メディシス Marie de Médicis (1573-1642) と再婚した(1600)。
マントヴァから呼ばれてマリーの宮廷画家となったフランス・プルビュス II Frans Pourbus le Jeune (1569-1622) が描いた<マリー・ド・メディシスの肖像 Portrait de Marie de Médicis (1613)>。黒の喪服を着ているのはアンリ4世が暗殺された(1610)後だから。息子のルイ13世(1601₋43)の摂政だった。

喪服を着た カトリーヌ ド メディシス

   depuis  2001

Portrait de Catherine de Médicis (Vers 1565) / François Clouet (atelier de) / Musée Carnavalet

アンリ2世の死(1559)後、カトリーヌ・ド・メディシス Catherine de Médicis (1519-89) は終生黒の喪服に身を包んだ。
フランソワ・クルーエ François Clouet (1510頃-72) の工房の作品とされる<カトリーヌ・ド・メディシスの肖像 Portrait de Catherine de Médicis (Vers 1565)>。
額には冠を載せた鷲の紋章が見えるが・・
彼女はフランソワ2世(在位:1559₋60)とシャルル9世(在位:1560₋74)の摂政となり、アンリ3世(在位:1574₋89)は彼女の死後暗殺された。そして、娘のマルグリット(王妃:1589₋99)が嫁いでいたナバラ王アンリがアンリ4世となる。

ガシェ博士のお嬢さん / ヴィンセント ファン ゴッホ

   depuis  2001

ゴッホ Vincent van Gogh (1853-90) はカミーユ・ピサロの勧めでパリ郊外のオーヴェル=シュル=オワーズで開業していた精神科医ガシェ博士を訪ね晩年の2か月余りを過ごした。
博士の自宅の庭でのお嬢さん:マルグリット Marguerite Gachet (1869-1949) を描いた<マドモアゼル・ガシェ Mademoiselle Gachet dans son jardin à Auvers-sur-Oise (1890)>。オルセー美術館。

Mademoiselle Gachet dans son jardin à Auvers-sur-Oise (1890) / Vincent van Gogh (1853-90) / Musée d’Orsay

ポール・ガシェ博士 / ヴィンセント ファン ゴッホ

Le Docteur Paul Gachet (1890) / Vincent van Gogh (1853-90) / Musée d’Orsay

   depuis  2001

ゴッホ Vincent van Gogh (1853-90) による<ポール・ガシェ博士 Le Docteur Paul Gachet (1890)>の第2ヴァージョン。
ガシェ博士に贈るために描かれた作品で、後年遺族によりフランス政府(オルセー美術館)に寄付された(1949)もの。
手にしているジギタリスの小枝 branche de digitale は医師のアトリビュートとして描かれており、当時心臓病に効くと評判だった。
ゴッホはカミーユ・ピサロの勧めでオーヴェル=シュル=オワーズで開業していた精神科医ガシェ博士を訪ね晩年の2か月余りを過ごした。

* 3.11 の余震とみられる地震(23:36頃)で、東京震度4(新宿は震度3)。
震源地は福島県沖。M 7.4・震度6強。

 

アレクサンドル・シャルパンティエの装飾芸術

アレクサンドル・シャルパンティエ Alexandre Charpentier (1856-1909) によるアール・ヌーヴォー様式の木工家具。
銀行家アドリアン・ベナール Adrien Bénard (1846-1912) (1846-1912) の依頼を受け、シャンプロセ Champrosay (ドラヴェイユ Draveil) の別荘のダイニングルームのために制作したもので、オルセー美術館に保存されている。

Boiseries de la salle à manger de la propriété Bénard (1900-1901) / Alexandre Charpentier (1856-1909) / Musée d’Orsay

婦人帽子屋 アレクサンドル・シャルパンティエ

La Modiste (1896-98) / Alexandre Charpentier (1856-1909) / Musée d’Orsay

彫刻家であり家具職人でもあったアレクサンドル・シャルパンティエ Alexandre Charpentier (1856-1909) の油絵<婦人帽子屋(デザイナー) La Modiste (1896-98)>。
装飾芸術の革新者とされ、アール・ヌーヴォーの巨匠の一人。

モデルが拒否しドガが購入した<美しいアンジェール>

La Belle Angèle (1889) / Paul Gauguin (1848-1903) / Musée d’Orsay

ブルターニュで最も美しいアイドルと評判だったポン=タヴァン Pont-Aven のビストロの主人の娘を描いたポール・ゴーギャン Paul Gauguin (1848-1903) の自信作<美しいアンジェール La Belle Angèle (1889)>。
ブルトンの民族衣装を着けた肖像画。
21才の彼女は受け取りを拒否、傑作と絶賛したエドガー・ドガ (1834-1917) はこれを購入して(1891)生涯手元に置いた。
当時流行していたジャポニスム、特に北斎の影響を受けた作品とされている。

 

 

* 夕刻、3度目の新型コロナワクチンを接種。いずれもファイザー。

解放 Libération

Libération (1944) / Philippe Grach, dit Phili (1888-1987) / Gouvernement provisoire de la République française/ Musée Carnavalet

戦争の重さを象徴する(閉じ込められていた)墓蓋を持ち上げるマリアンヌ (フランス共和国の象徴) 。衣装は三色旗、両腕は勝利のV字を。
フランス共和国臨時政府 Gouvernement provisoire de la République française (GPRF) (1944.06.03.-46.10.27.) が占領下に制作したポスター<解放 Libération>、フィリ Philippe Grach, dit Phili (1888-1987) の作品。
パリはその後間もなくの1944年8月25日に解放された。

* ロシアがウクライナに侵攻から1週間、ロシア非難とウクライナへの支援の輪は日毎広がっている。

ピエール・ボナールによる「白猫」

Le Chat blanc (1894) / Pierre Bonnard (1867-1947)

   depuis  2001

2月22日は猫の日。今年は2022.2.22。2が6つは800年ぶり。
ポスト印象派のナビ(預言者)派の創設者の一人、ピエール・ボナール Pierre Bonnard (1867-1947) が描いた<白猫 Le Chat blanc (1894)>。
平面的な図柄がナビ派の特徴の一つであり、日本趣味 le nabi très japonard だった彼の一面も “芸術は自然ではない L’art n’est pas la nature” という彼の言葉も感じ取れる。

シュザンヌ・ヴァラドンの裸婦

   depuis  2001

モンマルトルの画家 モーリス・ユトリロ Maurice Utrillo(1883-1955) の母、シュザンヌ・ヴァラドン Suzanne Valadon (1865-1938) が描いた<裸婦 Nu (1925) >。パリ市立近代美術館が所有している。
ゴーギャンの影響の感じられるこの作品のモデルは自分自身でないかと‥口元の特徴からふと・・

Nu (1925) / Suzanne Valadon (1865-1938) / Musée d’art moderne de la ville de Paris

コンシェルジュリーを出るマリー・アントワネット

   depuis  2001

マリー・アントワネット (1755-93) はチュイルリー宮殿が襲撃された ”1792年8月10日事件 Journée du 10 août 1792” によりタンプル塔 Tour du Temple に幽閉された後に、コンシェルジュリーに移送された(1793年8月2日)。そして、革命裁判所での裁判により死刑判決を受け即日執行された(1793年10月16日)。
その日、後手に縛られて<コンシェルジュリーを出るマリー・アントワネット Marie-Antoinette sortant de la Conciergerie, le 16 octobre 1793 (1885)>を描いたジョルジュ・カイン Georges Cain (1856-1919) は後にカルナヴァレ美術館の学芸員を務め、美術館裏の公園 Square George Cain に名を残している。

Marie-Antoinette sortant de la Conciergerie, le 16 octobre 1793 (1885) / Georges Cain (1856-1919) / Musée Carnavalet

女官が描いたマリー・アントワネットの肖像

   depuis  2001

Portrait de Marie-Antoinette au Temple (1793頃) / Anne Flore Millet, marquise de Bréhan (1749-1826) / Musée Carnavalet

コンシェルジュリーに移される(1793年8月2日)前に、チュイルリー宮殿が襲撃された ”1792年8月10日事件 Journée du 10 août 1792” 以降幽閉されていた<タンプルでのマリー・アントワネットの肖像 Portrait de Marie-Antoinette au Temple (1793頃)>。
喪服とルイ16世の胸像が夫の処刑後であることを示し、テーブルには遺書が描かれている。胸には娘のマダム ロワイヤル(マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス)と息子の王太子(ルイ17世)のメダリオンを付けている。
描いたのはマリー・アントワネットの女官だったアン・フロール・ミレー ブレハン侯爵夫人 Anne Flore Millet, marquise de Bréhan (1749-1826) 。

ジョルジュ・スーラ による<サーカス>

Le Cirque (1891) / Georges Seurat (1859 – 1891) / Musée d’Orsay

ポスト印象派 Post-impressionnisme の画家で、新印象派 Neo-impressionism の旗頭 ジョルジュ・スーラ Georges Seurat (1859 – 1891) が未完成作品として第8回アンデパンダン展に出した<サーカス Le Cirque (1891)>。
数日後に急逝したため完成することはなかった。
オルセー美術館蔵。
ポスト印象派を代表する画家はセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ロートレック、スーラー。

退廃期のローマ人 と ウゴリン / オルセー美術館

   depuis  2001

トマ・クチュール Thomas Couture (1815-79) による<退廃期のローマ人 Romains de la décadence (1847)>。7月王政下の1846年に政府が注文し、47年に購入した作品。翌年には2月革命 Révolution française de 1848 によって第2共和政に移行する。王政下で退廃するフランスを描いた現実的寓話とみられている。
手前のブロンズはカルポー Jean-Baptiste Carpeaux (1827-1875) による<ウゴリン Ugolin (1863) >。ピサの暴君だったウゴリンが彼の子孫たちと共に飢餓の塔に鎖で繋がれ、空腹から手を噛むのを見て自分たちを食べるよう懇願する様を表している。この作品の鋳型はプチパレ美術館にある。

Romains de la décadence (1847) / Thomas Couture (1815-79) / Ugolin (1863) / Jean-Baptiste Carpeaux (1827-1875) / Musée d’Orsay

パリ市の紋章 / カルナヴァレ美術館にて

   depuis  2001

Les Armoiries de Paris aujourd’hui / Musée Carnavalet

1949年以来のパリ市の紋章 Les Armoiries de Paris aujourd’hui 。
Timbre(刻印) には自由都市の自治を示す城壁冠 couronne murale 。
Devise(標語) には<揺蕩えども沈まず Il est battu par les flots mais ne sombre pas>。
Chef(頭) にフルールドリス、Écu(盾) に帆一枚の帆船、Soutien(支え) は左にオーク、右に月桂樹。
Décoration(勲章) は中央にレジオンヌドヌール勲章 Légion d’honneur、左にリベラシオン(解放)勲章 Croix de la Libération、右に従軍(1939-45)十字章 Croix de guerre 。

マネのモデル ザカリー・アストリュク

   depuis  2001

アンリ・ファンタン=ラトゥール Henri Fantin-Latour (1836-1904) の代表作<バティニョールのアトリエ Un atelier aux Batignolles (1870)>。 “草上の昼食” や“ オランピア” に批判を浴びていたエドゥアール・マネ Édouard Manet (1832-83) のアトリエ(住居)に集まった画家や批評家たちが描かれている。オルセー美術館蔵。
イーゼルに向かっているマネが描いているのがザカリー・アストリュク Zacharie Astruc (1833-1907)。右上のエミール・ゾラ Émile Zola (1840-1902) と共にマネの擁護者だったことで知られる。その左にルノワール Pierre-Auguste Renoir (1841-1919)、右端にモネ Claude Monet (1840-1926) 。後の印象派の面々。
画面左に置かれたミネルヴァの像は「敬意」を寓意している。壺は日本製で、ジャポニスムの時代を。

Un atelier aux Batignolles (1870) / Henri Fantin-Latour (1836-1904) / Musée d’Orsay

セーヌ川が凍った 1607-08 の冬

   depuis  2001

1607年から1608年の冬のパリは非常に寒くてセーヌ川が凍った。その光景を描いた<セーヌ川のスケーター Patineurs sur la Seine (1608頃)>。ホッケーに興ずる人、スケートをする人、馬が引くそりなどが描かれている。カルナヴァレ美術館所有。
ルーヴル宮(右)付近のセーヌ川で、セーヌ左岸堤に今はないネスレ(ネール)塔 Tour de Nesle (フィリップ・オーギュストの城壁の角塔(監視塔) 1200頃-1665) が見える。

Patineurs sur la Seine (Vers 1608) / Musée Carnavalet

モネが描いた カササギと雪景色

   depuis  2001

クロード・モネ Claude Monet (1840-1926) が描いたノルマンジーのエトルタ Étretat の雪景色。主役は画題の<カササギ La Pie (1868-69)>。キャンパス中央左に一羽。近くにもう一羽いるはずだが。

La Pie (1868-69) / Claude Monet (1840-1926) / Musée d’Orsay

ジスモンダに扮したサラ・ベルナールの肖像

Portrait de Sarah Bernhurdt , dans Gismonda (1896) / Théobald Chartran (1849-1907) / Musée Carnavalet

   depuis  2001

サラ・ベルナール Sarah Bernhardt (1844-1923) がアルフォンス・ミュシャ Alphonse Mucha (1860-1939) にポスターを依頼したことで、彼をアール・ヌーヴォーを代表するイラストレーター・画家にしたメロドラマ演劇「ジスモンダ」初演 (1894) 。
アテネ公爵の未亡人ジスモンダの衣装を身に着けた彼女の肖像<ジスモンダに扮したサラ・ベルナールの肖像 Portrait de Sarah Bernhurdt , dans Gismonda (1896)>をテオバルド・シャルトラン Théobald Chartran (1849-1907) が描いた。
カルナヴァレ美術館蔵。

エッフェル塔百態 170 オルセー美術館

オルセー美術館から見えるエッフェル塔。眼下にレジオンドヌール宮殿(サルム館) Palais de la Légion d’honneur (Hôtel de Salm) 。

Tour Eiffel / Palais de la Légion d’honneur (Hôtel de Salm) / Musée d’Orsay
ボツワナの国旗
 ボツワナ

 

マダム レカミエの肖像 / ルーヴル美術館

   depuis  2001

ナポレオンがレカミエ夫人への贈り物としてジャック=ルイ・ダヴィッド Jacques-Louis David (1748-1825) に制作を依頼した<マダム レカミエの肖像 Portrait de madame Récamier (1800)> 。
受け取るつもりのなかった彼女はダヴィッドの弟子のフランソワ・ジェラール François Gérard (1770-1837) に依頼して(1801)<ベルナール生まれのジュリエット・レカミエの肖像 Portrait de Juliette Récamier, née Bernard (1777-1849)(1805)>を描かせた。これを知ったダヴィッドはこの絵に署名せず未完として生涯手元に置いた。
背もたれのない両端のあるこのタイプの長椅子:シェーズ・ロング Chaise longue は ”レカミエ Récamier” と呼ばれることとなった。寝室用ではなく居間用の長椅子なので、裸足で座るのははしたないとされていた。

Portrait de madame Récamier (1800) / Jacques-Louis David (1748-1825) / Musée du Louvre

ジュリエット・レカミエの肖像 / カルナヴァレ美術館

   depuis  2001

Portrait de Juliette Récamier, née Bernard (1777-1849)(1805) / François Gérard (1770-1837) / Musée Carnavalet

ジョセフィーヌ ド ボアルネ(1763-1814)、マダム タリアン(1773-1835)と共に ”ディレクトリ:総裁政府 Directoire (1795₋99)期の三美神” として知られたマダム レカミエ 。ジョセフィーヌはナポレオン夫人となる(1796)が、タリアンとレカミエはともに彼の好意を受け入れなかったという。フランス革命期の激動を生きたミューズ達だ。
ルーヴル美術館にある<マダム レカミエの肖像>はナポレオンが彼女への贈り物としてジャック=ルイ・ダヴィッドに制作依頼した(1800)もの。気に入らなかった彼女が自らダヴィッドの弟子のフランソワ・ジェラール François Gérard (1770-1837) に依頼して(1801)描かせたのがこの<ベルナール生まれのジュリエット・レカミエの肖像 Portrait de Juliette Récamier, née Bernard (1777-1849)(1805)>。体の線を強調する当時流行りだったギリシャ風 à la grecque のドレスと長いショール身に着けている。

ドミニク・アングル の<泉 / ラ・スルス La Source>

   depuis  2001

La Source (1820-56) / Jean-Auguste-Dominique Ingres (1780-1867) / Musée d’Orsay

新古典主義の画家ドミニク・アングル Jean-Auguste-Dominique Ingres (1780-1867) の代表作<泉 / ラ・スルス La Source (1820-56)>。背景と泉のアレゴリーである水瓶を、学長をしていたエコール・デ・ボザール École des Beaux-Arts の学生が描いて完成させたという。そして、熱狂的に受け入れられ代表作となった。
女性像の部分は40年かけて制作した (1808-48) 海から上がるヴィーナス / ヴィーナス・アナディオメネ Vénus Anadyomène (シャンティイ城内のコンデ美術館所蔵) が原型とされる。

オルセー美術館 Musée d’Orsay 所蔵。

ケリー ジェームズ マーシャル による<これも愛?>

ピノーコレクション Bourse de Commerce – Pinault Collection (2021) のオープニング展示で観たケリー ジェームズ マーシャル Kerry James Marshall (1955-) の作品<これも愛?Could This Be Love (1992)>。

Could This Be Love (1992) / Kerry James Marshall (1955-) / Bourse de Commerce – Pinault Collection (2021)

サン=ジェルマン=アン=レー城

国立考古学博物館 Musée d’Archéologie Nationale になっているサン=ジェルマン=アン=レー城 Château de Saint-Germain-en-Laye 。二年前には改装中だったが・・サント=シャペル側から。
ヴァンセンヌから RER A で一本道。ヴァンセンヌ城と共にルイ9世:サン=ルイ所縁の城。

Château de Saint-Germain-en-Laye / Saint-Germain-en-Laye

* 9月20日から、フランスから日本への入国時3日間の強制隔離が無くなった。が、出国時の水際対策に戻っただけでそれ以上は10月以降に持ち越されてしまった。

カルナヴァレ美術館を訪れた

Musée Carnavalet / Caryatid / Entablature

   depuis  2001

リニューアルオープンした (2021.05.) ばかりのカルナヴァレ美術館を訪れた。Covid-19 のため予約が必要。係員が館外で予約を確認後、Covid Pass の提示を求める。スマホは非常に便利、パリでは欠かせない。
古いところが魅力と思っていたMusée Carnavaletは最新鋭の美術館に生まれ変わっていた。
中庭西面にあるマリアンヌとパリの市章。カリアティード Caryatid がエンタブラチュア Entablature を支えている。

C~B~A ラインで帰宅 オルセー美術館

   depuis  2001

Covid-19 下でオルセー美術館への入館には事前予約とパス・サニテール Pass sanitaire / EU DCCが必要。入り口で二人の係員で確認。
入場数を制限しているので適度な混雑。ゆっくり鑑賞できた。
レオポール・セダール・サンゴール橋⁽歩道橋⁾から左岸のオルセー美術館とレジオンドヌール宮殿 Hôtel de Salm を。
ヴァンセンヌからはRER A、シャトレ=レ・アルでRER Bに、サン=ミッシェル=ノートルダムでRER Cに乗り換えてムゼ・ドルセー下車。RERのABCラインで行ける。

Musée d’Orsay / Hôtel de Salm / Passerelle Léopold Sédar-Senghor / La Seine

ワインセラーを使った”縁日博物館”

   depuis  2001

ベルシー地区のサン=テミリオン広場、ヴァン・ド・フランス広場に隣接した旧ワインセラーを改装利用した<縁日博物館 Musée des Arts Forain>。

Les Pavillons de Bercy – Musée des Arts Forains / Avenue des Terroirs de France / Avenue des Terroirs de France

ブルスデコマースからポンピドゥー・センター方向を

ブルスデコマース – ピノーコレクションからパリの東方向を望む。
正面奥にポンピドゥー・センター、眼前にネルソンマンデラ公園、その向こうにウェストフィールド・フォーラムデアール (2019) の大屋根。初めて見る景色。

Bourse de Commerce – Pinault CollectionJardin / Jardin Nelson Mandela / Westfield Forum des Halles / Le Centre Pompidou

ブルスデコマース – ピノーコレクション 展示室から

パリのブルス・デ・コマース Bourse de Commerce de Paris を改装した現代美術アートのピノーコレクション Pinault Collection の円形展示室から対面の展示室の様子を窺ったところ。
フランソワ=アンリ・ピノー François-Henri Pinault (1962-) はパリ市と50年のリース契約を結び、ブルス・デ・コマースに手を加えて私設美術館を開設した。

Bourse de Commerce – Pinault Collection

ブルスデコマース – ピノーコレクション

   depuis  2001

旧パリ商品取引所が美術館:ブルスデコマース – ピノーコレクション Bourse de Commerce – Pinault Collection として再生オープンした⁽2021⁾。
「日本政府証明のワクチンパスポート」の有効性を確かめてからチケットを購入した。
地上階の様子。円形のコンクリートの壁が安藤忠雄の設計で加えられた。旧壁との間は通行路。従来との違いは上記のリンクをクリックして。
中央に置かれた彫像はジャンボローニャ Jean Bologne (1529-1608) による<サビニの女たちの略奪 Enlèvement des Sabines (1574-82)>のレプリカ。昔、フィレンツェのシニョリーア広場で見ました。

Bourse de Commerce – Pinault Collection

ギュスターヴ・クリムトによるベートーヴェンフリーズ       のデジタルアート / Atelier des Lumières

Les Forces du Mal et les trois Gorgones / Frise Beethoven (1901-02) / Gustav Klimt (1862-1918) / Atelier des Lumières

「光のアトリエ Atelier des Lumières」のオープニングで催された 金と色彩のギュスターヴ・クリムト展 Exposition “Gustav Klimt, d’or et de couleurs” で撮った写真 (2018.08.21.)。
ベートーヴェンフリーズの一部である<Les Forces du Mal et les trois Gorgones>の三人姉妹のゴルゴン Gorgones (メドゥーサ Méduse, エウリュアレー Euryale とステンノー Sthéno) です。右端が長女。
<ベートーヴェンフリーズ Frise Beethoven (1901-02)>はギュスターヴ・クリムト Gustav Klimt (1862-1918) がウィーン分離派展のために壁に直接描いた作品 。保存された作品は”ナチス政権による芸術作品の政治化”にも遭い、1986年まで表に出ることはなかった。

ギュスターヴ・クリムトによる<キス>       のデジタルアート / Atelier des Lumières

「光のアトリエ Atelier des Lumières」のオープニングで催された 金と色彩のギュスターヴ・クリムト展 Exposition “Gustav Klimt, d’or et de couleurs” で撮った写真 (2018.08.21.)。
ウイーン分離派の Gustav Klimt (1862-1918) の代表作<キス Le Baiser (1906-1908)>のデジタルアートの部分です。
このデジタルアートセンターの建物は製鋼所 Fonderie du Chemin-Vert (1835-1929) でした。

Le Baiser (1906-1908) / Gustav Klimt (1862-1918) / Atelier des Lumières

ポンピドゥー・センター・メス

   depuis  2001

ロレーヌ地方の都市メッスの駅裏にあるポンピドゥー・センター・メス Centre Pompidou-Metz (2010) 。総合文化施設ポンピドゥー・センターの分館。企画展などが開かれる。
坂茂とジャン・ド・ガスティーヌの日仏共同チームがフィリップ・グムチジャン(英)の協力を得て設計した。木製の構造材に四フッ化エチレン樹脂コーティング膜 (PTFE膜)を貼った屋根が特徴。

Centre Pompidou-Metz (2010) / Metz

レオン・インデンバウムによる”藤田嗣治の頭部”

   depuis  2001

Tête du Foujita (1915) / Léon Indenbaum (1890-1981) / Autoportrait au chat (1927)

エコール・ド・パリの仲間だったレオン・インデンバウム Léon Indenbaum (1890-1981) による着色セメントを使った<藤田嗣治の頭部 Tête du Foujita (1915)>
ベラルーシ出身の彼は当時アントワーヌ・ブールデルの工房で修行していた。
藤田が渡仏したのは1913年。
モン・ド・マルサン Mont de Marsan の Musée Despiau-Wlérick 所蔵。
上に<猫との自画像 Autoportrait au chat (1927)>個人蔵。日本で刷られた版画。
マイヨール美術館での FOUJITA Peindre dans les Annees Folles にて (2018.03.19.)。

嗣治 Foujita による<青年の肖像>

Portrait d’un Garçon (1923) / 嗣治 Foujita / The Lewis Collection

マイヨール美術館で催された「FOUJITA Peindre dans les Annees Folles」で、嗣治 Foujita による<青年の肖像 Portrait d’un Garçon (1923)>に初めて出会いました (2018.03.19.) 。The Lewis Collection 所蔵。
オーギュスト・ロダンが購入したことでも知られるフィンセント・ファン・ゴッホの作品<タンギー爺さん Le Père Tanguy (1887)>の構図を思い起こさせるという説明に惹かれました。
ゴッホが背景に描いた日本の版画の代わりに藤田はゴッホを思い起こさせる風車を描いています。

ガブリエル・デストレとヴィラールの公爵夫人 2

   depuis  2001

フランソワ・クルーエ François Clouet (vers 1510-72) の<お風呂の女性 Dame au bain (1571)> に着想を得たことが明らかなフォンテーヌブロー派(作者不詳)の作品<ガブリエル・デストレとヴィラールの公爵夫人Gabrielle d’Estrées et la duchesse de Villars (fin du XVIe siècle)>。
乳母と針子はクルーエからの借用。フォンテーヌブロー宮殿美術館所蔵のヴァージョンと同じ構図のモンペリエ美術館所有のこのヴァージョンでは妹のジュリエンヌ・デストレ (ヴィラール公爵夫人) 、ガブリエル・デストレともに着衣だ。
デストレの妹ではなく、デストレ死後のアンリ4世の愛人キャサリン・アンリエット・ド・バルザック・デントラーグとする説もある。

Gabrielle d’Estrées et la duchesse de Villars (fin du XVIe siècle) / École de Fontainebleau / Musée de Montpellier

ガブリエル・デストレとヴィラールの公爵夫人

   depuis  2001

フランソワ・クルーエ François Clouet (vers 1510-72) の<お風呂の女性 Dame au bain (1571)> に着想を得たことが明らかなフォンテーヌブロー派(作者不詳)の作品<ガブリエル・デストレとヴィラールの公爵夫人Gabrielle d’Estrées et la duchesse de Villars (fin xvie siècle)>。
乳母と針子はクルーエからの借用。類似作品から赤ん坊はアンリ4世との子、次男のアレクサンドルか。フォンテーヌブロー宮殿美術館所蔵。

Gabrielle d’Estrées et la duchesse de Villars / École de Fontainebleau / Musée National du Château de Fontainebleau

ゲーリングコレクション だった             La femme entre deux âges

   depuis  2001

ナチスのヘルマン・ゲーリング国家元帥 (1940) は美術品コレクターとしても名が知れ、ゲーリングコレクション Collection Goering は有名。ただその多くは第二次大戦を通じて没収あるいはそれに近い形で取得したもの。
フォンテーヌブロー派のこの作品<若い男性と老人の間の女性 La femme entre deux âges(作者不詳)もその一点。占領中のパリにおいて有償で取得され(1941)、カリンハル(自宅)、ベルヒテスガーデン(別荘)、ミュンヘン中央収集ポイントと移動した後フランスに返還された(1946)。ルーブル美術館経由でレンヌ美術館にある。

La femme entre deux âges / École de Fontainebleau / Musée des beaux arts de Rennes

ナンシーのアール・ヌーヴォー建築 3

   depuis  2001

ナンシー最初のアールヌーヴォー建築:ヴィラ・マジョレル Villa Majorelle (1898-1902)。家具職人でナンシー派のアールヌーヴォー運動の装飾家 ルイ・マジョレル Louis Majorelle (1859-1926) の別荘(宅)としてアンリ・ソヴァージュ Henri Sauvage (1873-1932) の設計に基づきルシアン・ヴァイセンブルガー Lucien Weissenburger (1860-1929) が建築した。2014.04.12. 撮影。右側部分は2017年に修復。
アレクサンドル・ビゴ Alexandre Bigot (1862-1927) によるセラミック製のフクシア Fuchsia の花模様の帯状装飾。鋳鉄で作られた雨水の縦樋は水生植物の葉を模倣した金属の留め具によって保持。ナンシー派創設者の一人ガラス工芸家ジャック・グリュベール Jacques Gruber (1870-1936) によるステンドグラスの窓。その右下の窓には成功と繁栄の象徴であるルナリア・アヌナ(ギンセンソウ)のモチーフの鉄格子(壁の上の鉄柵のモチーフもか)。
パリの新進気鋭の建築家だったアンリ・ソヴァージュはこの作品で注目を集めアール・ヌーヴォー建築の旗頭となる。その後、サマリテーヌ等のアール・デコ建築、廉価な集合住宅に進化し近代建築の先駆者となった。

Villa Majorelle (1898-1902) / Henri Sauvage (1873-1932) / Lucien Weissenburger (1860-1929) / Jacques Gruber (1870-1936) / Nancy

Allez le Japon !

ロートレックの従兄 デジレ・ディハウ

オンデット Ondet が出版した作曲家 デジレ・ディハウ Désiré Hippolyte Dihau (1833-1909) の音楽に合わせた作詞家 ジャン・グーデツキ (1866-1934) の詩集 Poésies de Jean Goudezki、ヴィエイル・ヒストリア Les Vieilles Histoires (昔話) の表紙 (1893)。ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) が描いた。
左腕でファゴットを抱えた奏者で作曲家のディハウが、クマで表したグーデツキをひもで引っ張って対岸のフランス学士院 Institut de France に連れて行くイラストをポン・ デ ・ザール Pont des Arts の右岸詰の視点で。
ディハウはロートレックの従兄。グーデツキは植民地政策を公然と批判した唯一の作詞家。

Les Vieilles Histoires (1893) / Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Département des estampes et de la photographie de la Bibliothèque nationale de France

タックスフォードのロコモビル

農業用の可搬式蒸気機関 Locomobile 。ロンドンで開かれた万国博に出展されたボストンのタックスフォード社製のロコモビル Locomobile de Tuxford (1851)
蒸気機関からの動力をベルトで農業機械に伝達するためのブーリ(滑車)が付いている。設置場所への移動は馬車に曳かせたか荷車に載せたかで自走式ではない。前面の右に見える丸い計器はウジェーヌ・ブールドン Eugène Bourdon (1808–1884) が発明(1849)したブルドン管圧力計
フランス国立工芸院 Conservatoire national des arts et métiers (アーサー・モラン Arthur Morin (1795-1880)) が購入した (1851)。パリ工芸博物館 Musée des Arts et Métiers にて。

Machine à vapeur dite Locomobile de Tuxford (1851) / Manomètre à tube de Bourdon / Eugène Bourdon (1808–1884) / Musée des Arts et Métiers