<火薬塔><旧市街橋塔><マラー ストラナ橋塔>          プラハ城への王の道

ネオ ゴシック様式の建物 <火薬塔(1475・1886)>。旧市街へ入る旧聖アンブローズ門の跡に建設された。ここから手前にプラハ城まで王の道が始まる。ただし、 1383 年から1485 年まではチェコ王の居城 (住居) はプラハ旧市街の(現)プラハ市庁舎敷地にあった。

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旧市街広場を通り抜けてブルタヴァ川手前のゴシック様式の<旧市街橋塔>
ボヘミア王国国王カレル1世(在位1342₋78)が神聖ローマ帝国皇帝カール4世(カレル4世)(在位1346₋78)となってその治世を祝す凱旋門として建設された。

ブルタヴァ川に架かるカレル橋(1354₋1402)から<マラー ストラナ橋塔>
低い塔はカレル橋に架け替えられる前のチェコ最古の石橋ジュディス橋の橋塔(1172)、ルネサンス様式。
旧市街橋塔に倣って建設されたマラー ストラナ橋塔(1467)とゴシックアーチで接続されている。
これを潜って右上に見えているプラハ城へ至るのが王の道です。

「ウクライナから手を引け、プーチン!」と‥ プラハ

カレル橋から<旧市街橋塔>を潜って旧市街へ入ったところ正面、バロック様式の聖救世主教会に「ウクライナから手を引け、プーチン!Hands off Ukuraine, Putin !」と‥ウクライナの国旗に。
左に<カレル橋博物館>と<カレル(カール)4世像 Socha Karla IV>。

<旧市街橋塔>と<カレル橋>と<プラハ城>

マーネス橋から上流に架かる<カレル橋(1354₋1402)>を見たところ。
右岸詰めのゴシック様式の塔は<旧市街橋塔>。カール4世神聖ローマ帝国皇帝(在位1355-78) / カール1世第11代ボヘミア王(在位1346-78)の治世を祝う凱旋門として建設されました。カレル橋と共にロイヤルロードの一部です。
左側のドームはカレル橋博物館。右側は旧市街への水道給水塔。
プラハを流れるブルタヴァ川はラべ川(エルベ川)に合流し、ドレスデン・マイセンを通ってハンブルグで北海に流れ込みます。

マーネス橋の上からプラハ城(870)を見上げました。ゴシック建築の聖ヴィート大聖堂(1344₋1929)と聖イジー聖堂(920)の尖塔が突き出ています。右端にロマネスク様式の黒塔(1135頃)バロック様式のロブコヴィツ宮殿。

セーチェーニ鎖橋を描く イニャック・ロスコヴィッチ

   depuis  2001

イニャック・ロスコヴィッチ (1854-1915) はハンガリーの画家。
公共彫刻家・ミニ彫刻家ミハイロ・コロドコ Mihajlo Kolodko (1978-) が制作した(2011)。
ブダペストを流れるドナウ川河畔のエトヴェシュ広場に置かれています。トラムの向こうはセーチェーニ鎖橋。

現代ハンガリーを代表する彫刻家ラースロー・マルトン László Marton (1925-2008) の作品<小公女 Kiskirálylány (Little Princess ) (1990)>の像はこの少し左側(下流)に置かれています。

ガーボール・シャーヴァスの胸像

セーチェーニ・イシュトヴァーン(1791₋1860)広場の北端、ハンガリー科学アカデミー前に置かれているハンガリー言語学者<ガーボール・シャーヴァス(1832₋95)の胸像>。
少女が持つ栄光の月桂樹の小枝と不滅の椰子の葉がシャーヴァスを飾ります。足下に、アカデミーがシャーヴァス監修のもとに創刊した「マジャル語のニェルヴール」が。
両者ともにハンガリー民族愛者でアカデミーの創設・ハンガリー(マジャル)語の定着に貢献しました。

 

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セーチェーニ鎖橋と聖イシュトヴァーン大聖堂

 

ブダヴァリ(ブダ城)宮殿前のサヴォヤイ テラスからのドナウ(ダニューブ)川に架かるセーチェーニ鎖橋と新古典主義の建物にネオ ルネサンス様式のドームを持つ聖イシュトヴァーン大聖堂。河畔左端にハンガリー科学アカデミー 、右端に内務省の建物。
仮設の舟橋等に頼っていたブダとペスト地区を初めて結んだセーチェーニ鎖橋(1849)、大洪水(1838)の際、小高くて大勢の命を救った場所に建設された大聖堂(1851-1905)。
聖イシュトヴァーンはハンガリー王国の創設者(在位1000₋38)。

ブダヴァリ宮殿 と ウジェーヌ ド サヴォイア

ハンガリー国立美術館として使われているブダヴァリ(ブダ城)宮殿前のサヴォヤイ テラス。
最高指揮権を与えられたゼンタの戦い(1697)に勝利して、オスマン帝国との長い戦いに終止符を打ち、ブダをトルコ支配から解放した軍司令官<イェニ・サヴォヤイの騎馬像(1900)>が置かれています。
彼は、サヴォイア家の血筋でパリ生まれ。ウジェーヌ ド サヴォイア Eugène de Savoie (1663-1736) です。神聖ローマ帝国に忠誠をつくしました。
美術館では、ラファエル前派の影響が強いハンガリーの画家ラホス グラシ Lajos Kálmán Gulácsy (1882-1932) の展示会が開催中でした。2023.04.26.

Statue de Eugène de Savoie / Palais de Budavár / Budapest

警察官のブロンズ像 ズリーニのヘルメット

聖イシュトヴァーン大聖堂前のズリーニ通りに置かれている<警察官のブロンズ像 (2008)>。
アンドラス・イリエス (1968-) が(警察官ではなかった)祖父をモデルに制作した彫像らしい。
身に着けているのは祝祭服(冬服)(1909₋45)とズリーニのヘルメット(1909)。ヘルメットにはハンガリー王国の紋章が。

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ハンガリー国立歌劇場 スカラ座、ガルニエに次ぐ・・

スカラ座とオペラ座(ガルニエ宮)に次いでヨーロッパで 3 番目に優れた音響を誇る<ハンガリー国立歌劇場>。ブダペストがハンガリー王国の首都になって(1873)、ネオ ルネサンス様式で建設されました(1875₋84)。
正面地上階のニッチ左に、「ハンガリーのグランドオペラの父」と呼ばれ劇場の初代音楽監督を務めハンガリー国歌を作曲したフェレンツ・エルケル(1834-1874)、右に、「リサイタルの父」とも呼ばれるフランツ・リスト(1811₋86)の座像があります。

ハンガリー王室の紋章 ハンガリーの聖冠

   depuis  2001

ハンガリーの聖冠 (聖イシュトヴァーンの王冠) のもとにある国々の紋章を置いた大盾の上にハンガリーの聖冠、大盾の中央にハンガリー王国の盾が中盾として、さらに小盾としてハプスブルク=ロレーヌ家の盾(三国紋章)があります。
中央紋章と呼ばれるハンガリーの国章に三国紋章を入れ込んで描かれています。
大盾には、左上にダルマチア、その下にスラヴォニアの紋章、右上には クロアチア、その下にトランシルヴァニアの紋章、下部にはフィウメの紋章があります。
オーストリア=ハンガリー帝国(1867)時代のハンガリー国章(1880)部分。
ハンガリーの盾の左側はアールパード家の紋章、右側はキリスト教王権の象徴二重十字などから。
リボンにある「私は古代の美徳を信頼します」はフェレンツ ヨージェフ1世(フランツ ヨーゼフ1世皇帝)ハンガリー国王のモットーです。
ブダ城宮殿入口のクラーク アダム広場の城壁。

<ゲッレールト温泉> ブダペストの古い温泉

ゲッレールト温泉の起源は13世紀のハンガリー王国(アールパード朝)アンドラーシュ2世治世に遡ります。ゲッレールトの丘から湧き出る温泉です。
現在の建物(1912)はアール ヌーヴォー様式で、建設当時はヨーロッパでもっとも近代的なスパとされていたそうです。
ハンガリー伝説の鳥<トゥルル Turul>があしらわれた自由橋の右岸詰め、ゲッレールトの丘の麓にあります。丘のドナウ河畔はゲッレールトの丘の岩の教会です。

漁夫の砦とマーチャーシュ聖堂 ダニューブ川左岸から

ブダ城の城郭の北端部分はその下ダニューブ川沿いに居住する漁師ギルドに管理をゆだねていました。7つの石造りの塔は征服時(895)のハンガリー人7部族の族長に因んでいるとか。
<漁夫の砦>は左奥に再建されたネオ ゴシック様式のマーチャーシュ聖堂 Mátyás Templom(1902)に関連してネオ ロマネスク様式で再建されました。いずれも、フリゲス・シュレック (1841-1919) による。
ダニューブ川左岸(ペスト)沿いの記念碑「ドナウ川遊歩道の靴」から。2023.04.26.

漁夫の砦 と マーチャーシュ聖堂 / ダニューブ川 / ブダペスト

ダニューブ河畔 ハンガリーの国会議事堂

オーストリア帝国がオーストリア=ハンガリー帝国となって(1867)、ハンガリー王国はブダとペストを結ぶセーチェーニ鎖橋を買い取って国有化し(1870)、ブダペストを首都とし(1873)、国会議事堂を建設しました(1885₋1904)。
ロンドンのウェストミンスター宮殿を意識したネオ ゴシック建築です。ドーム(1896完成)の高さ96mはハンガリー建国の896年に因むらしい。

ブダ城宮殿から。ダニューブ川左岸ペスト地区に。

ブダ城で見た<ズキンガラス>

ズキンガラス Corneille mantelée (Corvus cornix) / ブダ城 / ブダペスト

   depuis  2001

フランスでは見ないズキンガラス Corneille mantelée (Corvus cornix) をブダ城で見ました。ハンガリー辺りが大陸の生息域西端のようです。大陸西部で見られるハシボソカラスより可愛い感じ。
ダニューブ川の中州 マルギット島とマルギット橋、満開のマロニエが背景です。

ハンガリー伝説の鳥<トゥルル Turul>

   depuis  2001

トゥルル Turul はハンガリーの神話のシンボル。ハヤブサとワシの合わさったものと見られています。
この度のブダペスト訪問で、ブダ城(宮殿)とダニューブ川に架かる自由橋 Pont de la Liberté (1896)で見掛けました。
前者は<冠を被り剣を掴んだトゥルル>。ギュラ・ドナス (1850-1909) がブダペストのシンボルとして制作しました(1903)。
自由橋は橋柱の上に4体のトゥルル、建設当時のハンガリーの国章で飾られています。

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ブダ城宮殿

ブダ城宮殿 Budavári Palota。元ブダ王宮です。ダニューブ川(ドナウ川)の右岸。マロニエが満開でした。左岸はペスト。2023.04.26.
ハンガリー国立美術館、ブダペスト歴史博物館、国立セーチェーニ図書館等が使用しています。

Budavári Palota | Palais de Budavár / Danube / Budapest

<ヘレンド磁器>と<ジョルナイ磁器>の噴水 

   depuis  2001

ブダペストにあるヨージェフ・ナドル広場にはハンガリー磁器の双璧<ヘレンド磁器 Herend (1826)>(左)と<ジョルナイ磁器 Zsolnay (1853)>の噴水が置かれています (2019)。
ヘレンド磁器宮殿(ヘレンド磁器製造工場)が広場に面しています(左写真のカメラ後方)。

ウイーンの城壁の斜堤跡にヴォティーフ教会

   depuis  2001

ネオ ゴシック様式のヴォティーフ教会(奉納教会) Votivkirche (1856-79)。オーストリアの歴史主義建築家ハインリヒ・フォン・フェルステル(1828₋83)の作品。
ウイーンの城壁の斜堤部分(グラシス)に建てられているので、環状道路 リングシュトラーセ Ringstraße と離れているように見えます。
7月革命(1830)の年に生まれ、3月革命(1848)の時にオーストリア皇帝に即位したフランツ・ヨーゼフ1世 Franz Joseph I がウイーンの城壁でハンガリー人に襲撃され(フランツ・ヨーゼフ1世襲撃事件(1853))、大怪我を負ったが命拾いしたことを神に感謝して建設されました。
傷が癒えて結婚(1854)したシシィ(エリザベート)との銀婚式で奉献されますが、ルドルフ皇太子の自殺(1889)、エリザベートの暗殺死(1898)に見舞われることになりました(涙)。

ウイーンのパッサージュ<フェステル パッサージュ>

Ferstel Passage / Heinrich von Ferstel / Freyungplatz / Vienne

パリのパッサージュを真似たとされる<フェステル パッサージュ Ferstel Passage>。
元オーストリア国立銀行のパレ フェステル(1860)の中にあります。オーストリアの歴史主義建築家ハインリヒ・フォン・フェルステル(1828₋83)によるネオ ルネサンス様式建築。
マルシェの場、フライユング広場 Freyungplatz 側の入り口(下左)とショッピングモールのパッサージュ(左)。
広場には<オーストリアの噴水>。
北海、黒海、バルト海、アドリア海に注ぐエルベ川、ドナウ川、ヴィスワ川、ポー川の寓意像の上に槍とハプスブルグ家の紋章のある盾を持ち王冠を被ったオーストリアの寓意像が載っています。ハプスブルグの威光を表現。

大きいボックス席 <La Grande loge> ロートレック

La Grande loge (1896-97) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Albertina (Vienne)

アムスのゴッホ美術館で観た覚えがあるが・・再びウイーンのアルベルティ―ナ美術館で。
トゥールーズ=ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) のリトグラフ<La Grande loge (1896-97)>。
レズビアン バー「ル・ハネトン」のオーナー、マダム・アルマンド・ブラジエ Mme Armande Brazier (右)とバイセクシャルのクルチザンヌでダンサーのエミリエンヌ・ダランソン Émilienne d’Alençon (1870-1945) とされています。
娘のように見える彼女はベル・エポックの三美神の一人と呼ばれています。
ロートレックはこの頃、このモンマルトルのバーに頻繁に出入りしていたそうです。

 

ワルツ王<ヨハン・シュトラウス記念碑> 市立公園

Monument Johann-Strauss / Edmund von Hellmer

ウイーンの旧市壁跡の<環状道路 リングシュトラーセ Ringstraße>に面した市立公園の中に置かれている<ヨハン・シュトラウス記念碑 (1921)>。
ヴァイオリンで「美しき青きドナウ」を弾くワルツ王 ヨハン・シュトラウス(息子)(1825-99)を写実的に、そして背景のアーチにはアールヌーヴォー風にドレープを付けたミューズ。ウイーン分離派のエドムンド・ヘルマー (1850-1912) による彫刻です。

クリムトの<ジュディス> オーストリア ギャラリー

Judith und Holofernes (1901) / Gustav Klimt (1862-1918) / Österreichische Galerie Belvedere / Wien

ウイーンのアールヌーヴォー、ウイーン分離派の創設者グスタフ・クリムト Gustav Klimt (1862-1918) によるキャンバスに油絵と金箔の作品<ジュディスとホロフェルネス (1901)>。オーストリア ギャラリー ベルヴェデーレ Österreichische Galerie Belvedere にて
額縁の上部に JUDITH UND HOLOFERNES とあるのは、発表当時ジュディスをサロメと間違えられたりしたため、弟にこの金属製の額縁を作らせたのだそう。
ジュディスは故郷のベツリアをアッシリア軍による破壊から守るため、ホロフェルネス将軍を誘惑し首を刎ねた聖書のヒロインです。絵では右下にその頭部が。
ジュディスのモデルはアデーレ・ブロッホ=バウアーとされています。

「金箔の」ベルヴェデーレ宮殿の上宮

<オーストリア ギャラリー>となっているバロック建築のベルヴェデーレ宮殿の上宮。
内部は(本金の)金箔で満ちていて豪華さが半端でない。一枚一枚貼っているので箔アシが残っています。

デメル本店 ハプスブルグ家御用達菓子店

ハプスブルグ家の紋章(双頭の鷲)をシンボルマークに持つデメル DEMEL の本店。コールマルクト通り14番地。ロゴに”王室御用達菓子店 Wien 1786”とある。

ウイーンの国会議事堂

ウイーンの旧市壁跡の<環状道路 リングシュトラーセ Ringstraße>に面したオーストリアの国会議事堂は新古典主義建築(1883)。向かって右隣にネオゴシックのウイーン市庁舎が。
正面に、左手に槍を持ち、右手に勝利の女神ニケを持つ<パラスアテネの噴水>。ドナウ川(女性)と右支流イン川(男性)の寓意像の上に行政府(剣と天秤)と立法府(法のタブレット)の寓意像。

Parlamentsgebäude in Wien (1883) / Athenebrunnen (1902)

ウイーン市庁舎

ウイーンの市庁舎 Rathaus (1872)、ネオゴシック様式です。ドイツの建築家フリードリヒ・フォン・シュミット (1825-91) がブラッセルの市庁舎を参考に設計。市庁舎広場の手前にはリングに面した市庁舎庭園があり、市立劇場であるブルグ劇場と向き合っています。

Rathaus der stadt Wien

尖塔(98m)の頂部には市庁舎マンの像(1932)が置かれています。
北(右)側入り口に、ウイーンの市旗とウクライナの国旗を掲げています。

ヴィジェ=ルブラン最初の マリー・アントワネットの肖像

Marie-Antoinette en robe à panier en satin blanc (1778) / Marie Élisabeth-Louise Vigée Le Brun (1755-1842)

マリー・アントワネット王妃の公式女流画家となったエリザベート・ヴィジェ=ルブラン Marie Élisabeth-Louise Vigée Le Brun (1755-1842) が描いた最初の肖像画<白いサテンのバスケットドレスを着たマリー・アントワネット Marie-Antoinette en robe à panier en satin blanc (1778)>。
ハプスブルク家の特徴 (わずかに垂れた顎、突き出た目、わずかにかぎ状の鼻、厚い下唇) を捉えているそうです。
ウイーンの美術史美術館にて (2023.04.26.) 
「ハプスブルグ展 (2019)」で来日しました。

シシィ美術館のポスター<SISI 神話と真実>

L’impératrice en robe de bal avec des étoiles de diamant (1865) / Franz Xaver Winterhalter (1805-73)

フランツ・ヴィンターハルター Franz Xaver Winterhalter (1805-73) が描いた<オーストリアの皇后エリザベート(1837₋98)の肖像 Portrait de l’impératrice Élisabeth d’Autriche (1865)>の鏡写しをベースにしたシシィ美術館のポスター。原画は美術史美術館にあります。
この髪飾りは<シシィの星 Sisistern>として有名で彼女の歳数27個を使っています。五芒星のダイヤモンドを二つ合わせた中央に真珠をはめ込んでます(ウイーンのケッヘルト社製)。
パリのオートクチュールの創始者チャールズ・フレデリック・ワース社製の(銀箔の星を散りばめた白いサテンとチュールの)ガラドレスを着ています。

戦争とファシズムに対する記念碑

戦争とファシズムに対する記念碑 (1988) / アルベルティナ広場 / ウイーン

   depuis  2001

アルフレッド・フルドリッカ (1928-2009) が制作した<戦争とファシズムに対する記念碑 (1988)>。
ウイーンの市壁の撤去跡地に建設された(1884)大規模住宅「フィリップホフ」が第2次大戦で破壊され、地下に避難していた多数の住民が犠牲になった。その跡地、アルベルティナ広場(アルベルティナ美術館前)に置かれています。
<顔のない出産中の女性の遺体等を刻んだ暴力の門>と<ひざまずいて街路を洗うユダヤ人の銅像>。