退廃期のローマ人 と ウゴリン / オルセー美術館

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トマ・クチュール Thomas Couture (1815-79) による<退廃期のローマ人 Romains de la décadence (1847)>。7月王政下の1846年に政府が注文し、47年に購入した作品。翌年には2月革命 Révolution française de 1848 によって第2共和政に移行する。王政下で退廃するフランスを描いた現実的寓話とみられている。
手前のブロンズはカルポー Jean-Baptiste Carpeaux (1827-1875) による<ウゴリン Ugolin (1863) >。ピサの暴君だったウゴリンが彼の子孫たちと共に飢餓の塔に鎖で繋がれ、空腹から手を噛むのを見て自分たちを食べるよう懇願する様を表している。この作品の鋳型はプチパレ美術館にある。

Romains de la décadence (1847) / Thomas Couture (1815-79) / Ugolin (1863) / Jean-Baptiste Carpeaux (1827-1875) / Musée d’Orsay

中国料理 皇家龍鳳 で昼食

リーガロイヤルホテル東京の「中国料理 皇家龍鳳」で食事しました。<ふかひれとズワイ蟹のランチコース>で予約しました。紹興酒などのドリンクが付いています。窓際の席で大隈庭園を眺めながら・・

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コロナ対策のボードがなければいいのですが。

パリの鉄柵 58 サン=ジェルマン=アン=レー城-2

サン=ジェルマン=アン=レー城 Château de Saint-Germain-en-Laye の中からサン=ジェルマン=アン=レー公園を取り囲む鉄柵越しに国立考古学博物館となっている城門付近を見たところ。
柵の途切れた部分はシャトーを取り囲む深い空堀になっていて城門前にはゲートと連絡橋が設けられている。

Grille du Château de Saint-Germain-en-Laye / Château de Saint-Germain-en-Laye / Saint-Germain-en-Laye

パリの鉄柵 57 サン=ジェルマン=アン=レー城

サン=ジェルマン=アン=レー城 Château de Saint-Germain-en-Laye の鉄柵。
城内、サン=ジェルマン=アン=レー公園側から新古典主義建築のサン=ジェルマン教会 (1766-1827) を見たところ。新古典主義建築の先駆け、二コラ・マリ・ポタン Nicolas Marie Potain (1723-90) の設計。

Grille du Château de Saint-Germain-en-Laye / Église Saint-Germain / Saint-Germain-en-Laye

ラペルーズ Lapérouse              パリの街燈 46

創業1766年、ラペルーズ Lapérouse が買い取って(1850頃)以来 ”ラペルーズ” と呼ばれてきた古くからのレストラン。
個室を備えたレストランで、19世紀後半にはココット Cocotte やクルチザンヌ Courtisane を伴った要人や文・芸人などが利用したという。

Lapérouse / 51 Quai des Grands Augustins

ブルガリ ヴァンドーム広場店           ウインドウショッピング 57

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ヴァンドーム広場19番地の Hôtel d’Évreux で催されたヴァンクリーフ&アーペルによる展示会< Florae >から出ると猛烈な雨でしたので、出口直ぐの23~25番地のブルガリ ヴァンドーム広場店のウインドウ前で腰掛けて一時雨宿りをしました。2021.09.15.

BVLGARI Place Vendôme / 23~25 Place Vendôme

パリ市の紋章 / カルナヴァレ美術館にて

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Les Armoiries de Paris aujourd’hui / Musée Carnavalet

1949年以来のパリ市の紋章 Les Armoiries de Paris aujourd’hui 。
Timbre(刻印) には自由都市の自治を示す城壁冠 couronne murale 。
Devise(標語) には<揺蕩えども沈まず Il est battu par les flots mais ne sombre pas>。
Chef(頭) にフルールドリス、Écu(盾) に帆一枚の帆船、Soutien(支え) は左にオーク、右に月桂樹。
Décoration(勲章) は中央にレジオンヌドヌール勲章 Légion d’honneur、左にリベラシオン(解放)勲章 Croix de la Libération、右に従軍(1939-45)十字章 Croix de guerre 。

マネのモデル ザカリー・アストリュク

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アンリ・ファンタン=ラトゥール Henri Fantin-Latour (1836-1904) の代表作<バティニョールのアトリエ Un atelier aux Batignolles (1870)>。 “草上の昼食” や“ オランピア” に批判を浴びていたエドゥアール・マネ Édouard Manet (1832-83) のアトリエ(住居)に集まった画家や批評家たちが描かれている。オルセー美術館蔵。
イーゼルに向かっているマネが描いているのがザカリー・アストリュク Zacharie Astruc (1833-1907)。右上のエミール・ゾラ Émile Zola (1840-1902) と共にマネの擁護者だったことで知られる。その左にルノワール Pierre-Auguste Renoir (1841-1919)、右端にモネ Claude Monet (1840-1926) 。後の印象派の面々。
画面左に置かれたミネルヴァの像は「敬意」を寓意している。壺は日本製で、ジャポニスムの時代を。

Un atelier aux Batignolles (1870) / Henri Fantin-Latour (1836-1904) / Musée d’Orsay

ザカリー・アストリュク による「仮面売り」

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Le Marchand de Masques (1883) / Zacharie Astruc (1833-1907) / Jardin du Luxembourg

ザカリー・アストリュク Zacharie Astruc (1833-1907) は日本通で浮世絵などの日本美術の紹介者として知られる。美術評論家としてマネの “オランピア” や “草上の昼食” の擁護者としても知られている。
リュクサンブール公園に置かれている<仮面売り Le Marchand de Masques (1883)>は彼の彫刻作品。
左手で掲げてるのはヴィクトル・ユゴー Victor Hugo (1802-1885) の仮面。足下中央にカミーユ・コロー Jean-Baptiste-Camille Corot (1796-1875)、左にドラクロワ Eugène Delacroix (1798-1863)、右にカルポー Jean-Baptiste Carpeaux (1827-75)等8仮面。右手に吊り下げていた3仮面を合わせて12仮面を彫った。

2013.07.29.

ジュール・ブランシャール による「真実の口」

ジュール・ブランシャール Jules Blanchard (1832-1916) の作品<真実の口 La Bocca della Vérita (1871)>。サン=ミッシェル大通りに面したリュクサンブール公園に置かれている。

La Bocca della Vérita (1871) / Jules Blanchard (1832-1916) / Le Jardin du Luxembourg

* 東京のコロナ感染者1万人突破 (11,227)。

エッフェル塔百態 171 リュクサンブール宮殿 (元老院)

Tour Eiffel / Palais du Luxembourg / Sénat

パンテオン前の下り坂であるスフロ通りは正面にエッフェル塔が見える。
その前に見える建物がリュクサンブール宮殿で、右側円形部分が元老院(上院) Sénat の本会議場 Salle sénatoriale。

ソルボンヌ大学(文学部)の北面

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Faculté des lettres de Sorbonne Université /  Rue Toullier

ソルボンヌ大学(文学部)の北面をパンテオン前のスフロ通りからトゥリエ通り Rue Toullier を通して。
クジャス通りに向かって急な下り坂になっているのが分かる。
屋根裏部屋の半円形のペディメントに<鉱物学 Minbralogie >の表示がある。

サント・ジュヌヴィエーヴの丘 からサン=ジャック通りを見下ろす

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Rue Saint-Jacques / Enceinte de Philippe Auguste / Montagne Sainte-Geneviève / Observatoire de la Sorbonne

フィリップ・オーギュストの城壁 Enceinte de Philippe Auguste (1190₋1215) がサント・ジュヌヴィエーヴの丘 Montagne Sainte-Geneviève でサン=ジャック通りを横切っていた地点から当時のパリ市内を見下ろしたところ。
坂を下り切ったところを右から左へセーヌ川が流れる。シテ島にパリ警視庁。
すぐ左にソルボンヌ大学天文台を擁するソルボンヌ大学
サン=ジャックの塔 Tour Saint-Jacques は塔上の彫像が手前の建物の上に見えるだけ。3歩右からなら見える。

パリの建物 48 サント・ジュヌヴィエーヴ図書館

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サント・ジュヌヴィエーヴの丘 Montagne Sainte-Geneviève の頂上にあるサント・ジュヌヴィエーヴ図書館 (1851) 。サント・ジュヌヴィエーヴ修道院の図書を引き継いだ。
アンリ・ラブルースト Henri Labrouste (1801-75) によるネオ・ルネサンス様式のファサード。パリ大学の芸術学部 Faculté des arts de Paris だったモンテギュ学校 Collège de Montaigu の跡地。化粧直しが終わったので・・2021.09.02.

Bibliothèque Sainte-Geneviève / Henri Labrouste (1801-75) / Montagne Sainte-Geneviève

マザラン図書館 / フランス最古の公共図書館

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Bibliothèque Mazarine / Collège des Quatre-Nations / Institut de France

マザラン枢機卿 (1602-61) が私財を投じて創設した Collège des Quatre-Nations (現フランス学士院 Institut de France) 内のマザラン図書館 Bibliothèque Mazarine はフランスで最も古い公共図書館
当時懸念された欧州の古書の散逸を避けるためマザランが収集した書籍を収蔵し、一般に開放した(私設図書館で1643以来)。
近代図書館学の祖とされるガブリエル・ノーデ Gabriel Naudé (1600-53) が司書としてその任を果たした。
ペディメント(破風)にマザラン枢機卿の紋章が刻まれ、その下に「マザラン創設の図書館」とある。
正面左に日時計が見えます。

ネスレ塔跡 / フィリップ・オーギュストの城壁

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フィリップ・オーギュストの城壁 Enceinte de Philippe Auguste (1190₋1215) の角塔の一つネール(ネスレ)塔 Tour de Nesle 跡を示すプレート。 
塔があったのはフランス学士院の建物の左翼の位置で、右側がアンスティテュ広場(学士院広場) Place de Institut 、左側がコンティ広場 Place de Conti になっている。
マザラン枢機卿 (1602-61) は Collège des Quatre-Nations :現フランス学士院 Institut de France の建設を命じ、リシュリュー枢機卿に倣って学内の礼拝堂に埋葬されることを望んだ。コルベールはこの地を選び実行した(1662₋68)。塔は1665年に取り壊された。

Ruines de la tour de Nesle / Institut de France / Quai de Conti

セーヌ川が凍った 1607-08 の冬

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1607年から1608年の冬のパリは非常に寒くてセーヌ川が凍った。その光景を描いた<セーヌ川のスケーター Patineurs sur la Seine (1608頃)>。ホッケーに興ずる人、スケートをする人、馬が引くそりなどが描かれている。カルナヴァレ美術館所有。
ルーヴル宮(右)付近のセーヌ川で、セーヌ左岸堤に今はないネスレ(ネール)塔 Tour de Nesle (フィリップ・オーギュストの城壁の角塔(監視塔) 1200頃-1665) が見える。

Patineurs sur la Seine (Vers 1608) / Musée Carnavalet

アントニーとクレオパトラ タワー を ゴブラン通りから

Fontaine Bazeilles / Avenue des Gobelins / Tour Antoine et Cléopâtre

バゼイユの噴水 Fontaine Bazeilles からゴブラン大通り Avenue des Gobelins を見上げたところ。丘の頂上にあるイタリア広場を少し下った位置にある超高層住宅:アントニーとクレオパトラ タワー Tour Antoine et Cléopâtre (1974 104m) が正面に。
噴水の後方はサント=ジュヌヴィエーヴの丘に上るムフタール通り。
この辺りがビエーヴル川 La Bièvre が流れていた谷筋(低地)。

エルメス本店屋上の騎馬像-2

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24 Rue du Faubourg Saint-Honoré / HERMÈS

エルメス本店屋上の騎馬像をフォーブール・サン=トノレ通りから見上げた。
ナポレオン帽を被り、Hのベルトを締めて、白馬にまたがった軍人が両手にスカーフの旗を掲げている。
手前の建物に「司法官 Huissier de Justice」の看板がかかっている。

2021.09.08.

路傍の石 / 山本有三記念館

三鷹市下連雀にある’三鷹市山本有三記念館’前に置かれている「路傍の石」。旧中野陸軍電信隊付近にあったそうです。
山本有三 (1887-1974) はこの家で’路傍の石’を執筆しました(1937₋40)。塀柵の向こうに洋風屋敷の北側面が見えています。 6日の雪がまだ残っています。2022.01.08.

路傍の石 / 三鷹市山本有三記念館 / 三鷹市下連雀2丁目

モネが描いた カササギと雪景色

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クロード・モネ Claude Monet (1840-1926) が描いたノルマンジーのエトルタ Étretat の雪景色。主役は画題の<カササギ La Pie (1868-69)>。キャンパス中央左に一羽。近くにもう一羽いるはずだが。

La Pie (1868-69) / Claude Monet (1840-1926) / Musée d’Orsay

マチス等のアトリエ 19 Quai St-Michel         パリの街燈 45                             

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サン=ミッシェル通り19番地 19 Quai St-Michel のメゾンには多くの画家たちがアトリエを構えた。プレートにはアンリ・マティス Henri Matisse (1869-1954)、アルベール・マルケ Albert Marquet (1857-1947)をはじめ多くの画家の名が記されている。
マチスがこのアトリエを描いた<アトリエの画家 Le peintre dans son atelier (1916-17)>は紹介した。彼は3階(1895-1907)と4階(1913)にアトリエを構えていた。

19 Quai St-Michel / Ont vécu et travaillé dans cette maison les peintres / Henri Matisse

カルチェラタンのビストロ / 藤田嗣治

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カルナヴァレ美術館も藤田嗣治(1886₋1968)を所蔵している。カルチェ ラタン Quartier latin のビストロを描いた<カフェのインテリア L’Intérieur du Café (1958)>がそれで1959年に購入した。
彼は戦後フランスに帰り(1949)、フランス国籍を取得(1955)、洗礼を受けてレオナール・フジタ Léonard Tsugouharu Foujita を名乗ることになる(1959)のだが、これはその直前に描かれた作品で、単に<Foujita 1958>と署名している。
フジタの愛したキジ猫も描きこまれている。

L’Intérieur du Café (1958) / Foujita / Musée Carnavalet

ジスモンダに扮したサラ・ベルナールの肖像

Portrait de Sarah Bernhurdt , dans Gismonda (1896) / Théobald Chartran (1849-1907) / Musée Carnavalet

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サラ・ベルナール Sarah Bernhardt (1844-1923) がアルフォンス・ミュシャ Alphonse Mucha (1860-1939) にポスターを依頼したことで、彼をアール・ヌーヴォーを代表するイラストレーター・画家にしたメロドラマ演劇「ジスモンダ」初演 (1894) 。
アテネ公爵の未亡人ジスモンダの衣装を身に着けた彼女の肖像<ジスモンダに扮したサラ・ベルナールの肖像 Portrait de Sarah Bernhurdt , dans Gismonda (1896)>をテオバルド・シャルトラン Théobald Chartran (1849-1907) が描いた。
カルナヴァレ美術館蔵。