テムズ川の<バンクサイドビーチ>

   depuis  2001

潮が引いて(最大7mの干満差)テムズ川の河床が見えていました。バンクサイドのブラックフライアーズ橋(鉄道橋と道路橋)付近で、バンクサイドビーチ Bankside Beach といいます。
泥雲雀どろひばり(マッドラーク) Mudlark (有価物を探して川の泥を漁るくず拾い) の活動場所だったそうです。

Bankside Beach / River Thames / Blackfriars Bridge / Bankside / London

* 明日から年末年始お休みします。

<クレオパトラの針>と<ゴールデン ジュビリー橋>

   depuis  2001

ウォータールー橋からテムズ川左岸を見れば‥
右側、ビクトリア エンバンクメントにクレオパトラの針 Cleopatra’s Needle (1870) 。
 エジプトから贈られた(1819)このオベリスク(BC1450頃)はアレクサンドリアでは<Les aiguilles de Cléopâtre クレオパトラの針>と呼ばれていたそうです。一対の片方はニューヨークのセントラル パークにあります。
左側に、チャリング クロス駅に入る鉄道橋 ハンガーフォード橋(1864)に併設された2本の歩行者用吊り橋 ゴールデン ジュビリー橋 Golden Jubilee Bridge (2002) 。エリザベスの即位50周年に因んで命名。

Cleopatra’s Needle / Victoria Embankment / Golden Jubilee Bridge / Charing Cross station / River Thames / London

第二次世界大戦の女性記念碑 ホワイトホール

Monument to the Women of World War II / Cabinet Office / Whitehall / London

   depuis  2001

ホワイトホールの真ん中に置かれている<第二次世界大戦の女性記念碑 (2005)>。裏側に<第二次世界大戦の男性記念碑>。
65万人が兵役に、700万人以上の女性が(男性に替わって)銃後を守ったとされています。
背後の建物は内閣府 Cabinet Office 。すぐ左が首相官邸 ダウニング街10番地のある Downing Street です。

2023.04.17.

夜のウェストミンスター寺院を訪れました

Westminster Abbey / Crimea and Indian Mutiny memorial / London

   depuis  2001

今年4月(2023.04.17.)、夜のウェストミンスター寺院の西正面。
手前に、クリミア戦争(1854-56)とインド反乱(1857-58)で亡くなったウェストミンスター学校の元生徒を偲ぶ記念柱 Crimea and Indian Mutiny memorial 。
ドラゴンを退治する聖ジョージの像が載せられています。

ロンドン郊外<ベドフォード>での宿

今年4月(2023.04.16.)、ロンドンから北へ74㎞の街<ベドフォード Bedford>で宿泊したエンバンクメント ホテル The Embankment 。ビクトリア朝後期(1891)の建物で、グレート ウーズ川 River Great Ouse に面しています。

The Embankment / Bedford

アイリッシュガーズ Irish Guards ウインザー城

Irish Guards / Royal Cypher / Windsor Castle

   depuis  2001

今年4月(2023.04.15.)ウインザー城で見た衛兵は<アイリッシュ ガーズ Irish Guards>でした。
正装の上着のボタンは4個ずつ2組で計8個、帽子の羽根飾りは右側に青です。
故エリザベス2世女王の<ロイヤルサイファー:EIIR の上にセント エドワードの王冠>はそのまま残されていました。

「ニッパヤシ」のトンネルを行く

べトナムのメコンデルタ クルーズ。トイソン島でのジャングルツアー<ティエン川観光>。2009.06.28.
マングローブ植物の「ニッパヤシ」で覆われたジャングルを小舟で‥

ニッパヤシ / メコンデルタ クルーズ / ジャングルツアー<ティエン川観光>

サイゴン陥落の舞台となった<独立宮殿>

   depuis  2001

独立宮殿 Independence Palace は旧南ベトナム (1955₋75) の大統領府・官邸 (1966)。
ベトナム戦争終結のサイゴン陥落(1975)の舞台で、フランスによるサイゴン総督公邸 (ノロドン宮殿) (1873) を再建(1966)したもの。

独立宮殿 Independence Palace / ホーチミン

この柵を北ベトナム軍のT-54戦車が破壊して突入した。

独立宮殿 Independence Palace / ホーチミン

ルネッサンス リバーサイド ホテル サイゴン の朝食

   depuis  2001

3連泊した<ルネッサンス リバーサイド ホテル サイゴン>での朝食。

* JAL のラウンジもやっと「コロナ Covid-19 」前の<ビュッフェ方式>に戻りました。

メコンデルタ の思い出

メコンデルタのメコン川(本流)。中州トイソン島でのジャングルツアー<ティエン川観光>を終えて左岸(左側)ミトの乗船場に帰るところ。右は中州コン タン ロング。
船首に目を付けているのは鰐を威嚇するためと聞いた記憶が。2009.06.28.

Le Mékong / Viêt Nam

コロニアル様式の ホーチミン市庁舎

   depuis  2001

フランス領インドシナ時代 (1887-1954) にフランスのコロニアル(植民地)様式 Architecture coloniale で建てられた旧サイゴン市庁舎。現在はホーチミン市庁舎(ホーチミン市人民委員会庁舎)として使用されています。

ホーチミン市庁舎(ホーチミン市人民委員会庁舎) / ホーチミン

バクダン埠頭公園から

泊ホテル、ルネッサンス リバーサイド ホテル サイゴンに並びの街並みをバクダン埠頭 Bach Dang Wharf 前から。
フランス領インドシナ時代からのコート ダジュール Côte d’Azur 風の名門ホテル:マジェスティック ホテル(1925)とビテクスコ・フィナンシャルタワー(2010 265m)。
暑くて暑くて・・

バクダン埠頭公園 / マジェスティック ホテル(1925) / ホーチミン

豊岩稲荷神社 にお参り

豊岩稲荷神社 / 中央区銀座7丁目

明智光秀三羽烏の武将安田国継(通称作兵衛)の創祀と伝わる<豊岩稲荷神社>。
今はビルの谷間(町割り・背割り下水の名残り)になっているが、縁結びに御利益があるとか・・若い女性に5人出会った。
豊は秀吉の事かなとふと。

明日深夜、羽田からホーチミンに行って来ます。3泊5日。

<パリコミューン広場> の サイゴン中央郵便局

サイゴン陥落(1975.04.30.)後、<パリコミューン広場 Place de la Commune-de-Paris>と名付けられている広場にある<サイゴン中央郵便局 Poste centrale de Saïgon (1891)>。2009.06.27.
フランス領インドシナ時代 (1887-1954) にフランス郵便局によって建設された植民地様式 Architecture coloniale の建築。鉄骨構造でギュスターヴ・エッフェル (1832-1923) がデザイン。エッフェル塔(1889)。

Poste centrale de Saïgon (1891) / Place de la Commune-de-Paris / Hô Chi Minh-Ville / Vietnam

1997 FASHION BIG BANG のポスター

1997 FASHION BIG BANG / Palais Galliera

   depuis  2001

ガリエラ宮のガリエラ美術館で催された<1997 FASHION BIG BANG>展のポスター。
卒業式に着用したコム デ ギャルソン COMME des GARÇONS のドレスも展示されていました。

年金改革反対のデモ 今年の4月

今年の春は年金改革反対のデモが・・改装工事中のオペラガルニエ前のオペラ広場で (2023.04.13.)。
「憲法評議会が年金改革を検討」のプラカード。

Le Conseil constitutionnel examine la reforme des retraites / Place de l’Opéra

モーリタニア モーリタニアの国旗

ル プティ ヴァンドーム Le Petit Vendôme

   depuis  2001

カプシーヌ通りの<ル プティ ヴァンドーム Le Petit Vendôme>にて。2023.04.13.
シャルキュトリー Charcuterie (ハム・ソーセージ・ベーコン等)や田舎のチーズを扱う郷土料理 Cuisine de Terroir 店。

Le Petit Vendôme / Rue des Capucines

クリムトの代表作<接吻>

ウイーン分離派(アールヌーヴォー)・象徴主義の画家、グスタフ・クリムト Gustav Klimt (1862-1918) の代表作<接吻 Le Baisel (1908-09)>。
金箔を用いたキャンバスに油絵。アポロがダフネに接吻する瞬間を象徴的に表現したものと。
ウイーンのオーストリア ギャラリー ベルヴェデーレ宮殿 Österreichische Galerie Belvedere にて。
クリムト自身と生涯の伴侶だったというエミリー・ルイーズ・フレーゲ Emilie Louise Flöge がモデルとされています。

Le Baisel (1908-09) / Gustav Klimt (1862-1918) / Österreichische Galerie Belvedere / Vienne

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羽飾りの付いた帽子を被った女性 クリムト

Dame mit Federhut (1908) / Gustav Klimt (1862-1918) / Palais du Belvédère supérieur / Albertina / Vienne

   depuis  2001

ウイーンのベルヴェデーレ宮殿上宮のオーストリア ギャラリーにあるグスタフ クリムト Gustav Klimt (1862-1918) の作品<羽飾りの付いた帽子を被った女性 Dame mit Federhut (1908)>。
紙にペンとウォッシュしたインク、鉛筆、赤のクレヨン、白の不透明絵具を使って描かれいる。

アルベルティ―ナ(美術館) Albertina 所蔵。

ムーランルージュのイギリス人 ロートレック

L’Anglais au Moulin-Rouge (1892) / Toulouse-Lautrec / Albertina

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トゥールーズ=ロートレック (1864-1901) による<ムーランルージュのイギリス人 L’Anglais au Moulin-Rouge (1892)>。
ロートレックの親しい友人だったイギリス人芸術家のウィリアム・T・ワーレナー William T. Warrener と2人の女性。
ウイーンのアルベルティ―ナ(美術館) Albertina にて

このリトグラフのための原画(ボール紙に油彩)はメトロポリタン美術館にある。

 

 

パリのグランパレで催された「トゥールーズ=ロートレック / 断然モダン展 Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne 」にて

フェリペ4世、マリー テレーズ、マルガリータ マリア テレサ

「スペイン王フェリペ4世 Felipe IV (1605-65)」と王妃(アンリ4世の王女エリザベート ド ブルボン)との王女で後のルイ14世王妃となる「マリー テレーズ Marie-Thérèse (1638-83)」と王妃マリアナ・デ・アウストリアとの王女で後に神聖ローマ帝国皇帝妃となる「マルガリータ・マリア・テレサ Marguerite-Thérèse d’Autriche (1651-73)」を描いたヴェラスケス Velasquez (1599-1660) の作品。
左から、<Philippe IV>、<L’Infante Marie-Thérèse (1652-53)>、<L’Infante Marguerite en robe rose (1653-54)>、<L’Infante Marguerite en robe blanche (1656)>、<L’Infante Marguerite en bleu (1659)>。
マリー テレーズ(マリー テレーズ ドートリッシュ)とルイ14世との孫はスペイン王フェリペ5世となり現王室に至る。
右側の3点は結婚の約束(許婚)をしていて後に神聖ローマ帝国皇帝となるハプスブルク家のレオポルド1世 (1640-1705) に送られた成長の記録。21才で亡くなり孫の代で血統は絶えた。

L’Infante Marie-Thérèse (1652-53) / L’Infante Marguerite en robe rose (1653-54) / L’Infante Marguerite en robe blanche (1656) / L’Infante Marguerite en bleu (1659) / Musée d’histoire de l’art de Vienne

ナポレオンの略奪にあった<農民の踊り>

   depuis  2001

<ナポレオンの略奪>にあって(1808)ナポレオン美術館に運ばれたが、ウイーン会議の前に取り戻した(1815)経緯のあるピーテル・ブリューゲル (1530頃-69) の作品<農民の踊り La Danse des paysans (1568頃)>。ウイーンの美術史美術館所蔵。
バグパイプ奏者とワインジョッキを差し出す男、駆け込んでくるスプーンを帽子につけた男とブロセロに鍵をぶら下げた女を大きく描いている。晩年の作品。

La Danse des paysans (Vers1568) / Pieter Bruegel de Oude / Musée d’histoire de l’art de Vienne

シャルル5世の城壁跡から 火縄銃の射手通りを

シャルル5世の城壁 Enceinte de Charles V (1356-83) の跡地に建設されたボーマルシェ大通りからアルクビュジエ通り(突き当りで右折) Rue des Arquebusiers を見たところ。
城壁の裏手で火縄銃の射手 Arquebusiers が行き来した通りの名残り。

Rue des Arquebusiers / Enceinte de Charles V (1356-83) / Boulevard Beaumarchais

エコール ミリテール の正面

エコール ミリテール (旧陸軍士官学校 1751) の正面中央のドーム付近。新古典主義建築。
設立者であるルイ15世の紋章(フルールドリス3つの盾を聖ミカエル騎士団の鎖と聖霊騎士団の鎖が囲む)がペディメントに、その上左端にローマ皇帝に扮して月桂冠を持つルイ15世(勝利)と右の女性(フランス)とでフランスの勝利を暗喩。
右端にはヘラクレス(強さ)と女性(平和)、足元にはフランスの国鳥雄鶏がいる。
「永続的な平和を実現するには洞察力を持った武力の行使が必要」という彼の信念を表現しているとされる。

École Militaire