depuis 2001
ヴァンセンヌ城前からパリ道 Avenue de Paris とシャトー大通り Avenue du Château を見たところ。
三叉路の歩道のタイル舗装が終わっていた。写っていないシャトー側は工事中。
建物の改装も終わっている。
町の歴史的リニューアルは最終段階に。
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ヴァンセンヌ城前からパリ道 Avenue de Paris とシャトー大通り Avenue du Château を見たところ。
三叉路の歩道のタイル舗装が終わっていた。写っていないシャトー側は工事中。
建物の改装も終わっている。
町の歴史的リニューアルは最終段階に。
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供用開始して4ケ月に満たないトラムウェイ Tramway T10 に乗ってみた。
RER B のラ・クロワ・ド・ベルニー駅 La Croix de Berny で下車、T10に乗り換えて終点パリの庭園 Jardin Parisien の一つ手前のべクレール病院でT6に乗り換え終点のシャティヨン=モンルージュ Châtillon-Montrouge でメトロ13号線に。
T10の後方はコルベールの居城だったソー城 Château de Sceaux のソー公園 Parc de Sceaux 。
ボッティチェリがほれ込んで「ヴィーナスの誕生(1483頃)」のモデルにしたなどと言われたフィレンツェ一の美人貴婦人シモネッタ・ヴェスプッチ (1453-76)を、ピエロ・ディ・コジモ Piero di Cosimo (1462-1522)が描いた<シモネッタ・ヴェスプッチの肖像 Portrait de Simonetta Vespucci (1480頃・1490頃とも)>。
シャンティイ城にあるコンデ美術館で観れる。
髪型は既婚の三つ編み、額は(当時流行の)剃毛して高く見せている。暗雲は短命を暗示し、ネックレスに巻き付いた蛇が自らの尻尾を噛んでいるのは再生の暗喩とされる。裸体は貞潔、結婚を象徴しているらしい。
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ヴィルモンブルの町にあるヴィルモンブル城 Château de Villemomble はパリのパレ・ブロンニャール Palais Brongniart (パレ・ド・ブルス) の建築家アレクサンドル=テオドール・ブロンニャール Alexandre-Théodore Brongniart (1739-1813) による新古典主義様式の作品 (1769)。
市庁舎として使用されていた (1887-1980)。
Château de Vincennes と Le Raincy-Villemomble-Montfermeil RER を結ぶ114系統のバス停前。
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8エピソードで構成された1918年制作の無声映画<モンテ・クリスト伯 Le Comte de Monte-Cristo>のエピソード5 (パリの征服 La Conquête de Paris) の場面。
主役のダンテスを演じたレオン・マト Léon Mathot (1885-1968) とメルセデス役のネリー・コルモン Nelly Cormon (1877-1942) を描いているようです。
モンテ=クリスト城にて。写真奥のリヴィングルームの暖炉の上に置かれています。
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アレクサンドル・デュマ Alexandre Dumas (1802-70) が、サン=ジェルマン=アン=レーの南、マルリー=ル=ロアの北の町ル・ポール=マルリー Le Port-Marlyに、仕事場として建てた(1844-47)<ディフ城 Château d’If>のインテリア。
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アレクサンドル・デュマ Alexandre Dumas (1802-70) が別宅として建てた(1844-47)<モンテ=クリスト城 Château de Monte-Cristo >の客間「ムーア(北アフリカ風)のサロン Salon mauresque」。旅行時に連れ帰ったチュジニアの職人に設計させたらしい。
モンテ・クリスト伯(1846)に先立つデュマの代表作”三銃士 Les Trois Mousquetaires (1844)”で一財産築いて劇場(1846)やシャトー(1847)を建てたが、二月革命(1848)の影響もあって3年後には破産の危機に直面した。
モンテ=クリスト城 Château de Monte Cristo のダイニングルームとリヴィングルーム。
アレクサンドル・デュマ Alexandre Dumas (1802-70) の代表作モンテ・クリスト伯を漫画化した作品の展示会 EXPOSITION Monte-Cristo à l’heure de la Bande dessinée のポスター。
作品の一つ<モンテクリスト Montecristo (2016)>の作者であるイタリアの漫画家 カルロ・リスポリ Carlo Rispoli (1961-) が制作した。右側にサイン。
サン=ジェルマン=アン=レーの南、マルリー=ル=ロアの北の町ル・ポール=マルリー Le Port-Marly にあるモンテ=クリスト城 Château de Monte Cristo にて。
* 小学生の頃「巌窟王」、その後「モンテ・クリスト伯」。
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<モンテ・クリスト伯 Le Comte de Monte-Cristo (1844-46)>の作者アレクサンドル・デュマ Alexandre Dumas (1802-70) が別宅、仕事場として建てた(1844-47)ネオルネサンス様式の<モンテ=クリスト城 Château de Monte-Cristo>とネオゴシック様式の<ディフ城 Château d’If> 。ルルドの無原罪懐胎の大聖堂 (1871) の建築家イポリット・デュラン Hippolyte Durand (1801-82) の作品。
カルロ・リスポリ Carlo Rispoli (1961-) 等によって漫画になったモンテクリスト伯の展示会 EXPOSITION Monte-Cristo à l’heure de la Bande dessinée が行われていたので行ってみた。
サン=ジェルマン=アン=レーの南、マルリー=ル=ロアの北の町ル・ポール=マルリー Le Port-Marly。
昨日(2022.05.01)パリ発72時間前内のPCR検査を受けました。結果は陰性でしたが、証明書は今日受け取りに行きます。
サン=ジェルマン=アン=レー城 Château de Saint-Germain-en-Laye の中からサン=ジェルマン=アン=レー公園を取り囲む鉄柵越しに国立考古学博物館となっている城門付近を見たところ。
柵の途切れた部分はシャトーを取り囲む深い空堀になっていて城門前にはゲートと連絡橋が設けられている。
サン=ジェルマン=アン=レー城 Château de Saint-Germain-en-Laye の鉄柵。
城内、サン=ジェルマン=アン=レー公園側から新古典主義建築のサン=ジェルマン教会 (1766-1827) を見たところ。新古典主義建築の先駆け、二コラ・マリ・ポタン Nicolas Marie Potain (1723-90) の設計。
国立考古学博物館 Musée d’Archéologie Nationale になっているサン=ジェルマン=アン=レー城 Château de Saint-Germain-en-Laye 。二年前には改装中だったが・・サント=シャペル側から。
ヴァンセンヌから RER A で一本道。ヴァンセンヌ城と共にルイ9世:サン=ルイ所縁の城。
* 9月20日から、フランスから日本への入国時3日間の強制隔離が無くなった。が、出国時の水際対策に戻っただけでそれ以上は10月以降に持ち越されてしまった。
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シャンティイ城の大厩舎 Grandes écuries du château de Chantilly の遠望。右端にシャンティイ城 Château de Chantilly が見えている。2018.07.21.
シャンティイ城から右奥にシャンティイ城の大厩舎と左から中央にかけてのシャンティイ競馬場 Hippodrome de Chantilly 。2019.07.22.
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馬の博物館 Musée du cheval (シャンティイ城の大厩舎 Grandes Ecuries du château de Chantilly) の中央にあるキャリア(馬場) Carrière 。馬場馬術が披露されるのだが、この時はそれぞれのボックス(馬小屋)で食事休憩中だった。左のドームでは着席して乗馬ショウを楽しめる。
奥にはシャンティイの町が建立した記念碑 (1899) <オマール公の騎馬像 Monument au Henri d’Orléans , duc d’Aumale>が見えている。反対側の出入り口。
17~18世紀には<王の馬 Cheval des rois>として知られたルシタニア (サラブレッドルシタニア) Lusitanien はポルトガル起源のサドル馬 / シュヴァル・デ・セル Cheval de selle の品種。
REMACHO と名付けられた2007年生まれのルシタニア種の川原毛色の騸馬(去勢された牡馬)。オマール公の仕切り Boxes du Duc d’Aumale の一つ ”SCARPA” に入っている。左隣には同じルシタニア種の灰色の牡馬(2004生まれ):ZAGALO がいる。生きた馬の博物館 (シャンティイ城の大厩舎) にて。
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300年前に第7代コンデ公によって建設されたシャンティイ城の大厩舎 Grandes Ecuries du château de Chantilly の内部。
今は馬の博物館 Musée du cheval になっていて、仕切られた馬小屋にいる生きた馬 vivant du cheval も観察できる。コンデ公の遺産を相続し (1830)、その全てをフランス学士院に寄贈した (1884) オマール公:アンリ・ドルレアン Henri d’Orléans (1822₋97) に因んでオマール公の仕切り Boxes du Duc d’Aumale と呼ばれていて、今もオマール公の馬の名前が付けられている。
コンデ公 (ルイ4世アンリ・ド・ブルボン) が建設したシャンティイ城の大厩舎 Grandes Ecuries du château de Chantilly 、今は<馬博物館 Musée du Cheval>となっている。シャンティイ城側の入り口。
ジャン・オベール Jean Aubert (vers 1680-1741) による建築 (1719-35) で、同期間にパリのブルボン宮(国民会議)、オテル・ビロン (ロダン美術館) の建築も請け負っていた。
* 政府発行の 新型コロナウイルスワクチン接種証明書 の受付を7月中旬に開始予定。ロイター(共同通信)が報道(2021.06.17. AM2:10.)。
* 10都道府県に発令中の緊急事態宣言を沖縄を除いて解除、都道2府3県の重点措置の期限は6月21日から7月11日までの予定。
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ヴィルヌーヴ=レタン公園 Parc de Villeneuve-l’Étang はドメーヌ・ナシオナル・ド・サン=クルーDomaine national de Saint-Cloud (サン=クルー公園) の西端にある。
アウステルリッツの戦い (1805) で戦功を樹てたニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト Nicolas-Jean de Dieu Soult 元帥が建設し、マリー・アントワネットの長女マリー・テレーズ・シャルロット Marie Thérèse Charlotte (アングレーム公爵夫人)、ナポレオン3世が所有したヴィルヌーヴ=レタン城のあったところ。
ヴィルヌーヴ池 Villeneuve l’Étang のカナダガンとコブハクチョウがこちらへ・・