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ブルターニュのカンカル Cancale が本店のクレープ店<ブレッツ カフェ Breizh café >がヴァンセンヌに出店していました。
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ブルターニュのカンカル Cancale が本店のクレープ店<ブレッツ カフェ Breizh café >がヴァンセンヌに出店していました。
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モナリザ盗難事件 (1911) の犯人 ペルージャ Vincenzo Peruggia が数日身を隠すために帰宅せずに泊まっていたオテル リヴ ゴーシュ(左岸ホテル)はその後オテル ダ ヴィンチ Hôtel Da Vinci と改名して存続しています。ルーヴル美術館近くのサン=ペール通り Rue des Saints-Pères。
屋根伝いに逃げることも想定して最上階の部屋(603号室)にいたそうです。
大先輩のMさんと食事をしました(2022.04.22.)。
昨日(2022.04.13.)は鯛めしや虎魚が美味かった大山祇神社横の旅館に泊まった。今朝は雨は上がったものの濃霧のため、来島海峡を一望できる絶景ポイント大島の”亀老山展望公園”からは視界ゼロだった。
今治国際ホテルで昼食して立ち寄った海城 今治城 (吹揚城)跡。
内堀(海水)に架かる土橋の突き当りの枡形を囲む多聞櫓の右側が二の丸の表門:鉄御門(2007再建)。本丸北隅櫓跡に復元された天守(1980)。反りのない石垣。藤堂高虎による築城 (1602-08頃)。
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乎知命御手植の楠と伝わる楠の古木(樹齢2600年余)。前回訪問時とは趣が異なる、建て替えられた随神門(2016)とその奥に大山祇神社の拝殿。
乎知命の祖は大山積かニギハヤヒではないかと‥
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日本総鎮守、伊豫国一宮の大山祇神社。祭神は大山積神。神紋は ”隅切折敷縮三文字”。
総門は1322年に焼失、2010年に復元された。前回訪れた時には無かったので雰囲気ががらりと変わった。
大山積命はわが子のカモタケツノミ(下鴨神社の主祭神)、ニギハヤヒと共にヒノモト(日本)国建国に奔走した。ニギハヤヒの妻アメチカルミヅヒメ、ニニギの妻コノハナサクヤヒメは娘。
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ロンドン ヒースロー空港 LHR でのJL 43からBA 326(CDG行き)への乗り継ぎ遅れの待ち時間に、買い物と腹ごしらえ。フォートナム&メイソンのエコバッグ Fortnum’s Plastic-Free Bag for Life やチョコ Lady Luck Chocolate など。BA ラウンジのカレー(QRコードで注文)。
パリのCDGではバゲッジクレームのコンベア
っていました。
不調等もあって家に着いた時には日付が変わ
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ロンドン ヒースロー空港 LHR への到着遅れ(HND 9:00(9:12)⇒LHR 15:50(16:16)T3)により、シャルルドゴール空港 CDG への乗り継ぎ (ブリティッシュエアウェイズ BA) が1便遅れ(17:20⇒20:45))となって、3時間余りサテライトで買い物とか BA のラウンジ利用ができた。
搭乗予定の BA 326 便(LHR 20:45(変更21:23)⇒CDG(23:10(変更23:25))の ”ターミナル5の搭乗ゲート” T5 A9 付近の様子。マスク着用の人もちらほら。
JL 43 便 はウインザー城を見ながらロンドン ヒースロー空港へ。
テムズ川の The Eton Walkway (ウィンザー・イートン橋) とその右向こうにイートン校が見えました。
JAL 43 ロンドン経由でパリに向かいます。
JAL のラウンジは COVID 19 対応で今もファーストクラスのラウンジが使用されています。
「耕三寺博物館分館 金剛館」の浄土苑から耕三寺の「潮聲閣」を見たところです。
福岡県直方出身の実業家金本福松 (1891-1970) が母親のために故郷の瀬戸田に建築した(1929)もので、母の死御出家して耕三寺を建立(山門は右側)しました。日本画家 川上拙以 (1901-76) のコレクターだったと聞いています。
枝垂桜が満開でした。
* 瀬戸田レモン をお土産に買いました。
生口島にある耕三寺(1936)の山門(総門)は鋼鉄製です。
鋼鉄製門扉の装飾は<龍と涛>の2段になっていて、愛媛県新居郡(新居浜)出身の帝展作家 川上拙以 (1901-76) 画伯の下図に基づいて彫刻されています。結婚式の引き出物(夫婦松の色紙)を画伯にお願いしました。
潮聲山 耕三寺・耕三寺博物館の正面。山門、中門、礼拝堂が見えています。
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秋穂温泉” 海眺の宿 あいお荘” の部屋から朝靄に煙る瀬戸内海を。花香山、岩屋の鼻、宇部辺りが見える。2022.04.13.
左端の向こうは豊前国 中津市辺り。部屋から真正面だった豊後国 国東半島はさらに左方向で全く見えず。
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昼食は下関の「唐戸市場」で。対岸は門司で門司港レトロ展望塔(103m)が見えています。
関門海峡を横断する関門自動車道関門橋、国道2号線と山陽新幹線の関門トンネルは左側に、山陽本線のトンネルは右側にあります。
壇之浦古戦場付近を関門橋が渡っています。
お寿司を頂いた後、再び高速に乗って一路今夜の宿泊地、秋穂温泉 ”海眺の宿 あいお荘” へ。
てっさ等のフグ料理に車海老の踊り・塩焼き、肉料理・・食べきれないヴォリュームの夕食でした。
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本土と角島の間、海士ヶ瀬戸に架けられた角島大橋 (1780m)。今回の旅の目的地の一つでした。天候に恵まれ海が綺麗でした。海浜は白砂です。
本土から鳩島との間の航路を抜けて角島に到る海士ヶ瀬ロードを見たところです。
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懐かしの「笹かれい」のついた荒磯温泉 荒磯館の朝食。
カレイと言えば若狭かれい:笹かれいと思っていた子供の頃を思い出させてくれた。”若狭の小浜”出のおばさんの伝手で保存のきく干物は常に手元にあった気がする。一夜干し:生干しは京都ではカレイの王様だった。
窓の外ではイソヒヨドリ(スズメ目ヒタキ科)の鳴き声が・・
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「荒磯温泉 荒磯館」での夕食です。部屋食です。テーブルが一杯になったところで始まりです。料理はまだまだ出ます。”桜花のおまかせ海鮮会席膳” を予約しました。
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日本海側は夕陽がいいが、これは荒磯温泉の夕暮れ。もう少し日が経つと石見松島との間に日が沈むようになるらしいが・・左の山には蒙古襲来に備えて築かれた ”石見十八砦” の一つの遺跡があるが時間が取れずスルーした。
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龍神温泉・川中温泉と共に「日本三美人の湯」とされる湯の川温泉で足湯した。
美人の誉れ高かった稲羽の国の八上姫が立ち寄ったという伝承による。
大国主命の最初の妻だが、正妻はスサノオの末子スセリ姫。
国道9号線 ”道の駅湯の川” にて。
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島根県安来市にある「足立美術館」の ”苔庭” から奥左に展開する ”枯山水庭園” を望む。
島根県安来市にある「足立美術館」の ”枯山水庭園” と借景の亀鶴山に横山大観作の那智乃滝を模した ”亀鶴の滝” を見たところ。
愛媛、滋賀、東京から岡山に集合、車で3泊4日の旅に。大山を見て、まずは足立美術館に。
* ヘルシンキ経由でパリへ、ロンドン経由で帰国のJALチケットが確定。四月末からの10連休を利用して。
** 行き帰りともロンドン経由に変更しました。4月22日から5月5日。
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ブルターニュのレンヌの丘にあるタボール公園のデュゲスクリン広場 (ローンボーリング場(1825)) に置かれた7月革命記念柱 Colonne de Juillet とサン・ムレーヌ教会の鐘楼。
7月革命記念柱には<1830年憲章 Charte constitutionnelle de 1830>を持つ自由の女神像 Génie de la liberté (1837) が載る。自由のために戦い落命した二人の若いブルトン人に捧げたJean Baptiste Barré (1804-1877) の作品を復元(2014)した。
6世紀に起源を持つサン・ムレーヌ教会の鐘楼は1676年に改変、1855年に街のどこからでも見えるように黄金の聖母 Vierge dorée が載る8角形の尖塔が加えられた。
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サン=マロで食べたオマールエビ。城内のオルム通りのビストロ Bistro Autour du Beurre Bordier です。2019.08.13.
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ブルボン朝の復古王政が7月革命(1830)で倒れ、立憲君主制のオルレアン朝が成立、ルイ=フィリップ1世 Louis-PhilippeIer が2月革命(1848)で第2共和政が発足するまでフランス最後の国王となった。
レンヌ Rennes のブルターニュ高等法院(元ブルゴーニュ国会議事堂) Parlement de Bretagne の旧待合室 Salle des Pas Perdus の時計付き扉に「ルイ=フィリップ1世のモノグラム LP」があった。
格子にはナポレオン1世のエンブレム:ミツバチが散りばめられている。
レンヌはナポレオン1世帝政時 ボンヴィル Bonne ville であり紋章にミツバチの使用が認められていた。
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レンヌ市庁舎 Hôtel de Ville de Rennes (1743) もルイ15世の主席建築家 ジャック ガブリエル Jacques Gabriel (1667-1742) の作品(1742)。
鐘楼、時計塔、レンヌの紋章のあるペディメントの下のニッチにはルイ15世の像があったがフランス革命で破壊された。
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ブルターニュ高等法院前の「ブルターニュ高等法院広場 Place du Parlement-de-Bretagne」。1720年のレンヌ大火後に広場を囲む建物と共に建設された。
正面左隅のデザインと高さが異なるイザーク・ロブラン Isaac Robelin (1660-1728) による Hôtel de Mucé (1730頃) を除いて ルイ15世の主席建築家ジャック・ガブリエル Jacques Gabriel (1667-1742) が担当した。
当初「ルイ・ル・グラン広場」と呼ばれていて、中央にルイ14世の騎馬像が置かれた(1730)が革命時に溶融された。 2019.08.12.
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レンヌ Rennes のブルターニュ高等法院(元ブルゴーニュ国会議事堂) Parlement de Bretagne の旧待合室 Salle des Pas Perdus の天井にある<フランス王国とブルターニュの紋章>。
王冠を載せた二つのシールド(盾)を聖ミカエル勲章 Collier de l’ordre de Saint-Michel (1469:ルイ11世) と聖霊勲章 Collier de l’ordre du Saint-Esprit (1578:アンリ3世) のネックレスが囲っている。
* Slava Ukraine!
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レジオンドヌール博物館となっているサルム館で観れる Louis VI Henri de Bourbon-Condé (1756-1830) が受領した(1773)聖霊勲章のネックレス。
ブルボン宮、シャンティイ城を含むコンデ公の膨大な遺産はオマール公:Henri d’Orléans が引き継いだ。
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レジオンドヌール宮殿:サルム館 Hôtel de Salm のスフィンクス。1871年の火災後に加えられた。
鋳鉄製で台座にFONDU PAR JJ DUCEL & FILS の刻印がある。Jean-Jacques Ducel (1801-77) はデュセル鋳造所(1823-78)の二代目で彫刻家でもあった。
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区役所通りから新宿区役所本庁舎を。正面玄関前に「平和祈念像のある平和の泉(1989)」、手前に「平和の灯(1988)」。
新宿東宝ビル前のシネシティ広場から工事中の「東急歌舞伎町タワー(225m)」を見上げる。
右に重なって見える「新宿歌舞伎町タワー(アパホテル)」。