東京ミッドタウン日比谷 と 日比谷ステップ広場

   depuis  2001

東京宝塚劇場並びの東京ミッドタウン日比谷 (2018) は旧三井銀行本店ビルと三信ビル跡地の再開発により誕生。都市型ショッピングセンター・シネマコンプレックス前に賑わいの日比谷ステップ広場を配置。
左に東宝日比谷ビル(日比谷シャンティ)、奥に帝国ホテル。

東京ミッドタウン日比谷 / 日比谷ステップ広場 / 東宝日比谷ビル(日比谷シャンティ) / 帝国ホテル / 千代田区有楽町1丁目

日比谷の映画館街

   depuis  2001

嘗ての日比谷の映画館街の今。右は生まれ変わった東京宝塚ビル。東京宝塚劇場 (1934-97・2001) 跡地を再開発。左はショッピングモールの日比谷シャンテが入っている東宝日比谷ビル (1987) 。奥の建物は帝国ホテル。
丁度、休憩時間で多くの女性客が劇場外に出ているところだった。

東京宝塚劇場(東京宝塚ビル) / 日比谷シャンテ(東宝日比谷ビル) / 帝国ホテル / 千代田区有楽町1丁目

6904

下鴨茶寮 のまえ で 昼食

数寄屋橋の”東急プラザ 銀座” (2016)に入っている下鴨茶寮 のまえの昼食メニューの一つ。京都の下鴨茶寮本店の懐石料理を試食してみるのにはよろしいかと。
左上の大椀に全ての椀が収まるようになっている。御飯(白米の上にしらす干しと梅肉)と味噌汁(赤だし)と香物が付いている。

下鴨茶寮 のまえ / 東急プラザ 銀座 / 中央区銀座5丁目

エルメス銀座店屋上の騎馬像

   depuis  2001

エルメス銀座店屋上の騎馬像 / 中央区銀座5丁目

パリのフォーブール・サン=トノレ通りにあるエルメス本店の屋上に置かれている騎馬像と同じ騎馬像がエルメス銀座店屋上に見られる。
外堀通りを挟んだ東急プラザ 銀座 (2016)11Fから。
ミキモト本店ビルが丁度背景に。

「毘沙門天 善國寺」の石虎

   depuis  2001

神楽坂通り(早稲田通り)の神楽坂上にある毘沙門天 善國寺の石虎。毘沙門天信仰の表れで、獅子でなく虎になっている。鞍馬寺本尊が毘沙門天である鞍馬寺の仁王門 (山門) 前には”阿(吽)の虎”がいる。
寺紋は平井筒に橘。この地に移る前は麹町の善国寺坂の上にあった。新宿山ノ手七福神の一つ。

「毘沙門天 善國寺」の石虎 / 平井筒に橘 / 新宿区神楽坂5丁目

6151

江戸城外堀跡土手の松並木と桜並木

   depuis  2001

JR総武線・中央線の飯田橋駅西口を出たところ、飯田橋グラン・ブルーム (2014) の飯田橋サクラテラスから江戸城外堀跡土手の松並木。所々のさくらの老木が満開。江戸城外になる外堀の右側土手の桜並木も満開。

飯田橋グラン・ブルーム (2014) の飯田橋サクラテラス / 江戸城外堀跡土手の松並木と桜並木 / 千代田区富士見2丁目 / 新宿区神楽坂1丁目

牛込橋と江戸城外堀跡土手の松並木

江戸城外堀跡に架かる牛込橋(元は土橋)の新宿区側から千代田区の外堀跡土手の松並木を見たところ。左端に江戸城 牛込見附跡の石垣がちらっと。背後に警察病院跡地等の市街地再開発事業による飯田橋グラン・ブルーム (2014:150m) のオフィス・商業棟 (飯田橋サクラテラス) と住宅棟。
早稲田通り(牛込橋)は左へ靖国神社大鳥居前・田安門、右へ神楽坂・穴八幡・高田馬場・井草八幡宮前(青梅街道)。

牛込橋と江戸城外堀跡土手の松並木 / 新宿区神楽坂1丁目・神楽河岸 / 千代田区富士見2丁目

4327

カンタベリー大聖堂のステンドグラス

   depuis  2001

ランフランクス Lanfranc (1005~10-1089) は征服王ウイリアム1世 William the Conqueror の腹心でカンタベリー大司教 (1070-89) に任命した。ウイリアム2世 (1060頃-1100) 達は彼の教育を受けて育った。
3代目は弟のヘンリー1世 (1068-1135) 。ボードウィン / ボードゥアン7世 (1093-1119) はフランドル伯 (両王の母はボードウィン5世の娘)。両者は争うこととなり、フランドル家最後のフランドル伯となった。
聖アンセルムス Saint Anselm カンタベリー大司教 (1093-1109) は聖職者叙任権をめぐる国王と教皇との対立下で国王による叙任を拒否し続けた。

Stained glass / Canterbury Cathedral / William II・Lanfranc・Saint Anselm・Baldwin・Henry I / Canterbury

8273

カンタベリー大聖堂の紋章 <十字に I・X >

   depuis  2001

South portal / Arms of Canterbury Cathedral / Canterbury Cathedral / Canterbury

カンタベリー大聖堂 (597設立・1077再建) の南口:正面玄関 (1427) 。
鉄扉に<十字 (Cross) に I・X >カンタベリー大聖堂の紋章  (1619 紋章院認定) が見られる。
右脇に置かれた花卉?(1766) にも。       2017.08.20.
ギリシャ文字の I (イオタ) X (カイ) はイエス・キリスト Ιησούς Χριστός の頭文字。

シスレーによる ”森へ行く女たち”

   depuis  2001

アーティゾン美術館 (旧ブリジストン美術館) が所有しているアルフレッド・シスレー Alfred Sisley (1839-99) の作品<マルロット村の道 / 森へ行く女たち Rue de village à Marlotte : femmes allant au Bois (1866)>。休館中にパリで観る機会があった。
フォンテーヌブローの森 Forêt de Fontainebleau の南東の村:ブロン=マルロット Bourron-Marlotte で冬支度のため薪拾いに向かう女性を描いたもの。ミレー、コローの影響がうかがえるとか‥

Rue de village à Marlotte : femmes allant au Bois (1866) / Alfred Sisley (1839-99) / ARTIZON MUSEUM

ヴィルヌーヴ=レタン公園正門           ラファイエット飛行隊 の記念碑

   depuis  2001

ドメーヌ・ナシオナル・ド・サン=クルーDomaine national de Saint-Cloud (サン=クルー公園) の西端に位置するヴィルヌーヴ=レタン公園 Parc de Villeneuve-l’Étang の入り口。公園内にある<ラファイエット飛行隊 Escadrille La Fayette の記念碑>への入り口といった方が良い。
飛行隊のエンブレム (スー族の頭部) と ”Monument de l’Escadrille la Fayette” の銘板が付けられている。
ラファイエット侯爵は義勇(志願)兵として参加したアメリカ独立戦争の英雄。第一次大戦にアメリカが参戦する前からフランス空軍に属して戦ったアメリカ義勇兵が用いた隊名とエンブレム。

Grille de Villeneuve-l’Étang / Monument de l’Escadrille la Fayette / Parc de Villeneuve-l’Étang / Marnes-la-Coquette

ヴィルヌーヴ=レタン公園             カナダガンとコブハクチョウ

   depuis  2001

ヴィルヌーヴ=レタン公園 Parc de Villeneuve-l’Étang はドメーヌ・ナシオナル・ド・サン=クルーDomaine national de Saint-Cloud (サン=クルー公園) の西端にある。
アウステルリッツの戦い (1805) で戦功を樹てたニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト Nicolas-Jean de Dieu Soult 元帥が建設し、マリー・アントワネットの長女マリー・テレーズ・シャルロット Marie Thérèse Charlotte (アングレーム公爵夫人)、ナポレオン3世が所有したヴィルヌーヴ=レタン城のあったところ。
ヴィルヌーヴ池 Villeneuve l’Étang のカナダガンとコブハクチョウがこちらへ・・

Villeneuve l’Étang / Parc de Villeneuve-l’Étang / Domaine national de Saint-Cloud / Marnes-la-Coquette

パヴィヨン・ブレザン / レモン・ポアンカレ病院

   depuis  2001

ギャルシュ Garches にあるレモン・ポアンカレ病院 Hôpital Raymond-Poincaré もパリの公的支援病院の一つ。第一次大戦時の大統領の名。2017.08.02.
ミッシェル・ブレザン Michel Brézin (1758-1828) の遺言により創立(1836)された「感謝のホスピス Hospice de la Reconnaissance」(写真) の後方と右方に建設 (1936) されたレイモン・ポアンカレ病院に併合 (1954) されて以降は<パヴィヨン・ブレザン Pavillon Brézin>と呼ばれている。
正門の前に中庭、奥に礼拝堂、周りを複数の翼を持つ回廊が囲む様式はオテル=デュー・ド・パリ病院と同じ。
長らく鋳造に関わってきたブレザンがナポレオン1世により兵器庫の管理者に任命されて財を成し、感謝の念を込めて鋳造工場の高齢者や体の弱い労働者のためにこのホスピスを設立したのだという。

Pavillon Brézin / Hospice de la Reconnaissance / Hôpital Raymond-Poincaré / Garches

オテル=デュー・ド・パリ病院の中庭

   depuis  2001

オテル=デューの正門から見たオテル=デュー・ド・パリ病院の中庭。
手前にフランス式庭園があり、奥に礼拝堂、周囲を回廊が巡る。2013.07.27.
礼拝堂にはヨハネによる福音書11:25「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。」と最初で最後即ち全て・永遠を表す「ΑΩ (アルファオメガ)」 が刻まれている。

Cour de Hôpital Hôtel-Dieu de Paris / Chapelle de l’Hôtel-Dieu à Paris / Le jardin à la Française

パリの建物 47 コシャン病院 / パリの公的支援病院

   depuis  2001

コシャン病院 Hôpital Cochin はこれまでに取り上げたオテル=デュー・ド・パリピティエ=サルペトリエール病院ユーロペアン・ジョルジュ・ポンピドー病院サン=タントワーヌ病院サン=ルイ病院と同様に「パリの公的支援病院 Assistance publique – Hôpitaux de Paris」の一つ。
Jean-Denis Cochin (1726-83) が設立した病院 (1780) に起源を持ち、レンガ造りのパヴィリオン型の建物に再建された (1926) 。前の通りはフォーブール・サン=ジャック通り Rue du Faubourg Saint-Jacques。

Hôpital Cochin / Assistance publique – Hôpitaux de Paris / Rue du Faubourg Saint-Jacques

マッサ館 Hôtel de Massa / フランス文学者協会

   depuis  2001

フランス文学者協会 Société des gens de lettres (SGDL) が使用しているマッサ館 Hôtel de Massa (1779)。パリ天文台庭園の一角にある。
(現)ギャラリー・ラファイエット・シャンゼリゼ店 Galeries Lafayette Champs-Élysées の場所に建設された当館を協会が使用することを条件として移築した (1928) もの。ネオクラシック様式。
協会は文学者を著作権により保護すること等を目的として、オノレ・ド・バルザック Honoré de Balzac 等によって設立された (1837)。

Hôtel de Massa (1779) / Société des gens de lettres / Rue du Faubourg Saint-Jacques

シャルル・ジロン による ラ・パリジェンヌ

   depuis  2001

La Femme aux gants, dite La Parisienne / Charles-Alexandre Giron (1850-1914) / Petit Palais

作者のシャルル・ジロン Charles-Alexandre Giron (1850-1914) が ”黒いダイヤモンド Le diamant noir” と名付けた女性の肖像<パリジェンヌとして知られる手袋をした女性 La Femme aux gants, dite La Parisienne (1883)>。
漆黒の刺繍とベロア / ビロードのアップリケを施し、腰にドレープを付けた黒い午後のドレス Robe d’Apre-midi を身に着けている。そして、黒いマラブー (アフリカハゲコウ) の羽で覆われた帽子を被っている。
左にアールヌーヴォーの花模様、右にロココ様式のコンソール。
彼は国立美術協会の年次展示会 (1883) に出展後手元から離さず、彼の息子がプチパレ美術館に寄贈した (1960)。
当時は”午後のドレス”は部屋着または親しい間柄への訪問着とされていたようだ。

エトワールの凱旋門 と ラ・マルセイエーズ

   depuis  2001

シャンゼリゼ大通り側からのエトワールの凱旋門 Arc de triomphe de l’Étoile。右側の大レリーフ<1792年の義勇兵の出発、またはラ・マルセイエーズ Le Départ des volontaires de 1792, ou La Marseillaise (1836)>は新古典主義からロマン主義への過渡期の彫刻家フランソワ・リュード François Rude (1784-1855) の作品。老若の義勇兵の上に有翼の戦争の守護神を戴く。
フランス革命政府がオーストリアに宣戦布告(フランス革命戦争勃発)した知らせを聞いたストラスブールで誕生したライン軍のための軍歌 Chant de guerre pour l’armée du Rhin はたちまち全土に流布され、テュイルリー 宮殿を襲撃 (1792) したマルセイユ連盟軍 (義勇兵) がパリ入城時に歌っていたことでパリ市民に広く知られることになったという。1795年には国歌となる(1804-1888までを除く)。
手前に三輪タクシー:トゥクトゥク Tuk-tuk 。6人乗りで動力は電気。”TUKTUK IN PARIS” の他に “TUK TUK RIDE PARIS”、”PARIS BY TUKTUK” がある。     2018.08.24.

Le Départ des volontaires de 1792, ou La Marseillaise (1836) / François Rude (1784-1855) / Arc de triomphe de l’Étoile / TUKTUK IN PARIS

タラリア (有翼のサンダル) を付け直すメルキュール

   depuis  2001

Mercure rattachant ses talonnières (1834) / François Rude (1784-1855) / Musée du Louvre

新古典主義からロマン主義への過渡期の彫刻家フランソワ・リュード François Rude (1784-1855) の作品、<タラリア Talaria (有翼のサンダル) を付け直すメルキュール Mercure rattachant ses talonnières (1834)>。
ルーヴル美術館所蔵。
ローマ神話のメルキュール / メルクリウスはギリシャ神話の神々の伝令使であり旅人や商人の守護神であるエルメス / ヘルメース。
有翼の帽子 / 羽根兜:ペタソス Pétase と蛇の巻き付いた有翼の杖 / エルメスの杖:カドケウス Caducée もともにエルメスのアトリビュート / 属性。

哲学堂公園の菖蒲池

   depuis  2001

哲学堂七十七場の”生死海”が予定されていたこの場所は菖蒲池として整備されている。旧四村 (江古田・片山・葛ヶ谷・上高田) の境を流れる妙正寺川に架かる四村橋しむらばしの直上流左岸で、旧江古田村だが今は新宿区西落合となっている。

哲学堂公園の菖蒲池 / 中野区立哲学堂公園 / 新宿区西落合2丁目

4546

時空岡への入り口 哲理門 / 哲学堂公園

   depuis  2001

哲学の時空間を表す時空岡じくうこうへの入り口である哲理門 。軒丸瓦に”哲”の文字。
正面に哲学堂 / 四聖堂が見える。左奥に見えるのが講義室である宇宙館。

時空岡への入り口 哲理門 / 哲学堂 (四聖堂) / 宇宙館 / 中野区松が丘1丁目

4373

立教大学のモミの木

   depuis  2001

立教大学正門前のモミの木。本館:モリス館前に一対で配置されている。クリスマスには飾り付け・ライトアップされる。右奥の高層はマキムホール。
正門は閉鎖されていて、学生の姿は見えない。徒歩なら家まで40分。

立教大学のモミの木 / 本館:モリス館 / 豊島区西池袋3丁目

朝倉響子作<マリとシェリー>東京芸術劇場前庭

   depuis  2001

朝倉響子 (1925-2016) は東洋のロダンと言われた彫刻家朝倉文夫 (1883-1964) の次女。マリとシェリー (1990) のオブジェが東京芸術劇場前庭に置かれている。
朝倉文夫の住宅兼アトリエ兼教場:朝倉彫塑塾だった朝倉彫塑館 (1967) は谷中7丁目にある (画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 778de5d67b231279dbba14d9eb77f073.jpeg 半年程前に入館しました。お勧めです)。
背景に東京芸術劇場に入っているベルギービヤホール Brasserie・カフェ Café<ベル・オーブ BERG AUBE (ベルギーの夜明け)>。パリで飲むビールはまずベルギー産。

マリとシェリー (1990) / 朝倉響子 (1925-2016) / ベル・オーブ BERG AUBE / 東京芸術劇場前庭 / 豊島区西池袋1丁目

念ずれば花開く

念ずれば花開く / 金崎峰萃 書 / 25オアシス2020 / 東京芸術劇場 / 豊島区西池袋1丁目

   depuis  2001

池袋の東京芸術劇場で開かれた (3月4日~6日) 25オアシス2020 に出展された四国中央市出身・在住の書家金崎峰萃氏の書<念ずれば花開く>です。

 

 

* Monsieur H. の御母堂が亡くなられました。が、コロナのせいで帰国ができません。お気の毒です。

第25回オアシス2020 / 東京芸術劇場 ギャラリー1

   depuis  2001

第25回オアシス2020の会場入り口。東京芸術劇場 ギャラリー1。
入口左に置かれている彫像は現代ハンガリーを代表する彫刻家ラースロー・マルトン László Marton (1925-2008) の作品<小公女 Kiskirálylány (Little Princess ) (1990)>で、ブタペストのセーチェーニ鎖橋下流左岸、ヴィガドー広場 Vigadó tér の鉄柵にダニューブ川を背にして座っています。
寄贈された本彫像は当劇場で催された ”マルトン彫刻展” (2000) に展示された作品の一つ。

第25回オアシス2020の会場入り口 / 東京芸術劇場 ギャラリー1 / マルトン・ラースロー作リトル・プリンセス / 豊島区西池袋1丁目

東京芸術劇場と ”GLOBAL RING”

   depuis  2001

東京2020応援プログラム芸術祭として池袋の東京芸術劇場で開かれている (3月4日~6日) 25オアシス2020 に出かけました。四国中央市出身の書家金崎峰萃氏が出展されているからです。
東京芸術劇場前広場から ”GLOBAL RING” として再整備された (2019) 豊島区立池袋西口公園を見たところです。リニューアル後初めて西口に出たので迷ってしまいました。

”GLOBAL RING” / 豊島区立池袋西口公園 / 東京芸術劇場 / 豊島区西池袋1丁目

5299

哲学堂(四聖堂)と六賢臺と時空岡 / 哲学堂公園

   depuis  2001

哲学の時空間を表す時空岡じくうこうにある哲学堂 (四聖堂)六賢臺を講義室である宇宙館から見たところ。正面入り口の哲理門は四聖堂の正面右にある。
四聖は釈迦・孔子・ソクラテス・カント、六賢は聖徳太子・菅原道真・荘子・朱子・竜樹りゅうじゅ迦毘羅仙かぴらせん

時空岡 / 哲学堂 (四聖堂) / 六賢臺 / 宇宙館 / 哲学堂公園 / 中野区松が丘1丁目

7447

哲学堂の梅林

   depuis  2001

料亭:水月亭のあった ((現)哲学の庭) 西側に、哲学堂創設者:哲学者井上円了 (1858-1919) の遺志に基づいて13回忌に造梅林された (1931)。
神田川支流妙正寺川は奥の和田山の崖下を東に流れる。

哲学堂の梅林 / 中野区立哲学堂公園 / 中野区松が丘1丁目

今日は弟の命日。合掌。

哲学の庭 / 哲学堂公園

   depuis  2001

哲学者井上円了 (1858-1919) が創設した哲学堂公園は中野区立公園 (1975) になっている。
その一部である哲学の庭 (2009) には宗教・哲学・法を代表する11人の像が3っつの輪に分けて置かれている。
右奥の輪が法の輪で、ハムラビとユスチニアヌス・聖徳太子(見えない)の像。平伏叩頭姿勢をとっているのがアブラハム。手前の哲学の輪には左からガンジー・聖フランシス・達磨大師。ハンガリー生まれで帰化した彫刻家ワグナー・ナンドール Wagner Nandor の作品。
左、和田山の崖下に神田川の支流妙正寺川が流れる。

宗教・哲学・法を代表する11人の像 / 哲学の庭 / 哲学堂公園 / 中野区松が丘1丁目

2月28日(日)は絶好の散歩日和だった。高田馬場から西武新宿線新井薬師前下車で徒歩。
新宿消防署前から関東バスでも直行できる。

スープストックトーキョー 広尾店 で軽食

   depuis  2001

パリ便が成田発だった頃”JL ラウンジ”で使われていたスープストックトーキョーのオマールエビ(ロブスター)のスープ。有栖川宮記念公園前の広尾店に入ってみました。

スープストックトーキョー 広尾店 / 有栖川宮記念公園 / 港区南麻布5丁目

3089