テムズ川の<バンクサイドビーチ>

   depuis  2001

潮が引いて(最大7mの干満差)テムズ川の河床が見えていました。バンクサイドのブラックフライアーズ橋(鉄道橋と道路橋)付近で、バンクサイドビーチ Bankside Beach といいます。
泥雲雀どろひばり(マッドラーク) Mudlark (有価物を探して川の泥を漁るくず拾い) の活動場所だったそうです。

Bankside Beach / River Thames / Blackfriars Bridge / Bankside / London

* 明日から年末年始お休みします。

<クレオパトラの針>と<ゴールデン ジュビリー橋>

   depuis  2001

ウォータールー橋からテムズ川左岸を見れば‥
右側、ビクトリア エンバンクメントにクレオパトラの針 Cleopatra’s Needle (1870) 。
 エジプトから贈られた(1819)このオベリスク(BC1450頃)はアレクサンドリアでは<Les aiguilles de Cléopâtre クレオパトラの針>と呼ばれていたそうです。一対の片方はニューヨークのセントラル パークにあります。
左側に、チャリング クロス駅に入る鉄道橋 ハンガーフォード橋(1864)に併設された2本の歩行者用吊り橋 ゴールデン ジュビリー橋 Golden Jubilee Bridge (2002) 。エリザベスの即位50周年に因んで命名。

Cleopatra’s Needle / Victoria Embankment / Golden Jubilee Bridge / Charing Cross station / River Thames / London

第二次世界大戦の女性記念碑 ホワイトホール

Monument to the Women of World War II / Cabinet Office / Whitehall / London

   depuis  2001

ホワイトホールの真ん中に置かれている<第二次世界大戦の女性記念碑 (2005)>。裏側に<第二次世界大戦の男性記念碑>。
65万人が兵役に、700万人以上の女性が(男性に替わって)銃後を守ったとされています。
背後の建物は内閣府 Cabinet Office 。すぐ左が首相官邸 ダウニング街10番地のある Downing Street です。

2023.04.17.

夜のウェストミンスター寺院を訪れました

Westminster Abbey / Crimea and Indian Mutiny memorial / London

   depuis  2001

今年4月(2023.04.17.)、夜のウェストミンスター寺院の西正面。
手前に、クリミア戦争(1854-56)とインド反乱(1857-58)で亡くなったウェストミンスター学校の元生徒を偲ぶ記念柱 Crimea and Indian Mutiny memorial 。
ドラゴンを退治する聖ジョージの像が載せられています。

ロンドン郊外<ベドフォード>での宿

今年4月(2023.04.16.)、ロンドンから北へ74㎞の街<ベドフォード Bedford>で宿泊したエンバンクメント ホテル The Embankment 。ビクトリア朝後期(1891)の建物で、グレート ウーズ川 River Great Ouse に面しています。

The Embankment / Bedford

アイリッシュガーズ Irish Guards ウインザー城

Irish Guards / Royal Cypher / Windsor Castle

   depuis  2001

今年4月(2023.04.15.)ウインザー城で見た衛兵は<アイリッシュ ガーズ Irish Guards>でした。
正装の上着のボタンは4個ずつ2組で計8個、帽子の羽根飾りは右側に青です。
故エリザベス2世女王の<ロイヤルサイファー:EIIR の上にセント エドワードの王冠>はそのまま残されていました。

クリムトの代表作<接吻>

ウイーン分離派(アールヌーヴォー)・象徴主義の画家、グスタフ・クリムト Gustav Klimt (1862-1918) の代表作<接吻 Le Baisel (1908-09)>。
金箔を用いたキャンバスに油絵。アポロがダフネに接吻する瞬間を象徴的に表現したものと。
ウイーンのオーストリア ギャラリー ベルヴェデーレ宮殿 Österreichische Galerie Belvedere にて。
クリムト自身と生涯の伴侶だったというエミリー・ルイーズ・フレーゲ Emilie Louise Flöge がモデルとされています。

Le Baisel (1908-09) / Gustav Klimt (1862-1918) / Österreichische Galerie Belvedere / Vienne

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羽飾りの付いた帽子を被った女性 クリムト

Dame mit Federhut (1908) / Gustav Klimt (1862-1918) / Palais du Belvédère supérieur / Albertina / Vienne

   depuis  2001

ウイーンのベルヴェデーレ宮殿上宮のオーストリア ギャラリーにあるグスタフ クリムト Gustav Klimt (1862-1918) の作品<羽飾りの付いた帽子を被った女性 Dame mit Federhut (1908)>。
紙にペンとウォッシュしたインク、鉛筆、赤のクレヨン、白の不透明絵具を使って描かれいる。

アルベルティ―ナ(美術館) Albertina 所蔵。

ムーランルージュのイギリス人 ロートレック

L’Anglais au Moulin-Rouge (1892) / Toulouse-Lautrec / Albertina

   depuis  2001

トゥールーズ=ロートレック (1864-1901) による<ムーランルージュのイギリス人 L’Anglais au Moulin-Rouge (1892)>。
ロートレックの親しい友人だったイギリス人芸術家のウィリアム・T・ワーレナー William T. Warrener と2人の女性。
ウイーンのアルベルティ―ナ(美術館) Albertina にて

このリトグラフのための原画(ボール紙に油彩)はメトロポリタン美術館にある。

 

 

パリのグランパレで催された「トゥールーズ=ロートレック / 断然モダン展 Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne 」にて

フェリペ4世、マリー テレーズ、マルガリータ マリア テレサ

「スペイン王フェリペ4世 Felipe IV (1605-65)」と王妃(アンリ4世の王女エリザベート ド ブルボン)との王女で後のルイ14世王妃となる「マリー テレーズ Marie-Thérèse (1638-83)」と王妃マリアナ・デ・アウストリアとの王女で後に神聖ローマ帝国皇帝妃となる「マルガリータ・マリア・テレサ Marguerite-Thérèse d’Autriche (1651-73)」を描いたヴェラスケス Velasquez (1599-1660) の作品。
左から、<Philippe IV>、<L’Infante Marie-Thérèse (1652-53)>、<L’Infante Marguerite en robe rose (1653-54)>、<L’Infante Marguerite en robe blanche (1656)>、<L’Infante Marguerite en bleu (1659)>。
マリー テレーズ(マリー テレーズ ドートリッシュ)とルイ14世との孫はスペイン王フェリペ5世となり現王室に至る。
右側の3点は結婚の約束(許婚)をしていて後に神聖ローマ帝国皇帝となるハプスブルク家のレオポルド1世 (1640-1705) に送られた成長の記録。21才で亡くなり孫の代で血統は絶えた。

L’Infante Marie-Thérèse (1652-53) / L’Infante Marguerite en robe rose (1653-54) / L’Infante Marguerite en robe blanche (1656) / L’Infante Marguerite en bleu (1659) / Musée d’histoire de l’art de Vienne

ナポレオンの略奪にあった<農民の踊り>

   depuis  2001

<ナポレオンの略奪>にあって(1808)ナポレオン美術館に運ばれたが、ウイーン会議の前に取り戻した(1815)経緯のあるピーテル・ブリューゲル (1530頃-69) の作品<農民の踊り La Danse des paysans (1568頃)>。ウイーンの美術史美術館所蔵。
バグパイプ奏者とワインジョッキを差し出す男、駆け込んでくるスプーンを帽子につけた男とブロセロに鍵をぶら下げた女を大きく描いている。晩年の作品。

La Danse des paysans (Vers1568) / Pieter Bruegel de Oude / Musée d’histoire de l’art de Vienne

18年前のストックホルムのひとこま

ストックホルムの<北方民族博物館>をストランドヴァ―ゲンから見たところ。2005.08.08.
ロシアのウクライナ侵攻で、スウェーデンはNATOの強力な構成国となった。

Nordiska museet / Strandvägen / Ladugårdslandsviken / Stockholm

モディリアーニ による <小さな農夫> テート・モダン にて

Le Petit Paysan (1918) / Amedeo Modigliani (1884-1920) / Tate Modern

   depuis  2001

アメデオ・モディリアーニ Amedeo Modigliani (1884-1920) の作品<小さな農夫(百姓) Le Petit Paysan (1918)>を<テート・モダン>で鑑賞。2023.04.19.
モディリアーニの死の翌日に自殺した(結婚を誓約していた)
ジャンヌ・エビュテルヌ Jeanne Hébuterne (1898-1920) を描いた背景に、ニースで若い農夫を描き込んだ作品とされています。

バンクサイド発電所 Bankside Power Station (1891-1981) を再生利用した<テート・モダン Tate Modern>。煙突もそのまま残されている。下流側に<シェイクスピアのグローブ座>、前に<ミレニアム橋 (2000)>、上流側に超高層住宅 One Blackfriars (2018)。

Tate Modern / Shakespeare’s Globe / Millennium Bridge / London

1225年の<マグナ カルタ>  大英図書館

Magna Carta 1225 / The British Library / London

最終的に法令集に追加された<マグナ カルタ Magna Carta>は1215年のそれではなく、ヘンリー3世が発行した1225年のものだった。
国王が税金と引き換えに認めた憲章で、展示されているコピーは 1225 年にウィルトシャー Wiltshire に送られ、1940 年代までレイコック修道院 Lacock Abbey に保管されていたもの。
王発行を保障する刻印のある封蠟:王室大印 Great Seal of the Realm が添付されています。
No free man shall be seized or inprisoned … exept by the lawful judgement of his equals or by the law of the land (自由人は、同等の人々の合法的な判決またはその国の法律による場合を除いて、捕らえられたり投獄されたりしてはならない) など。

<ウィリアム・シェイクスピアの喜劇、歴史、悲劇 >    の初版本    大英図書館にて

<ウィリアム・シェイクスピアの喜劇、歴史、悲劇 Mr. William Shakespeares comedies, histories, & tragedies>の初版本 The First Folio。
シェイクスピア (1564-1616) の俳優仲間であり友人であるジョン・ヘミンジ John Heminges とヘンリー・コンデル Henry Condell の二人によって編集され、ウィリアム・ジャガードとエドワード・ブラウントによって 1623 年にロンドンで出版されました。
シェイクスピアが書いた37の戯曲のうち36作品が収録されています。
初版本は約750部が印刷され、233部が現存しているとされています。
展示されていたのは、大英図書館 The British Library が所有している5冊の内の1冊で、前の所有者だったシェイクスピアの研究者 ジョージ・スティーブンス George Steevens (1736-1800) が紛失していたタイトルページを手描きのファクシミリで補ったものだそうです。
<シェイクスピアの肖像>は版画家マーティン・ドルーシャウト Martin Droeshout (1601-50頃) の作品ですが、左「読者へ To the Reader」の中で、同時代の劇作家 ベン・ジョンソン Ben Jonson (1572-1637) が良く似せて彫っていると述べています。

Mr. William Shakespeares comedies, histories, & tragedies / The British Library

エンセテ ベントリコスム エチオピア バナナ

Ensete ventricosum / Ethiopian banana / Kew Gardens

   depuis  2001

イギリスの王立キュー植物園 Kew Gardens (1759) で見た<エンセテ ベントリコスム Ensete ventricosum>。
バショウ科エンセテ属の多年草植物。同科バショウ属の草本植物 バナナに似ていて、偽バナナなどと呼ばれますが 花は立派な葉状花序の中にあります。
果実は食べられませんが根がエチオピアでは食料源になっているそうで、<エチオピアバナナ>とも呼ばれます。
1853年にキュー・ガーデンズは種子を手に入れました。

<ロンドン・ガトウィック空港>から プラハへ

ロンドンからプラハへの空路は<ロンドン・ガトウィック空港>を初めて利用しました。
ヴィクトリア駅 Victoria station からガトウィック空港駅 Gatwick Airport Station へは ThamesLink で。
easyJet、London LGW 18:30 発、21:25 Prague PRG 着。時差1時間なので2時間弱のフライト。

ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港 PRG     2023.04.18.

ウイーン国際空港へ

   depuis  2001

ウイーン モルツィンプラッツ Wien Morzinplatz バス停からバスでウイーン国際空港へ。
オーストリア航空 Austrian Airlines 、Wien VIE 17:20 発 19:25 Paris CDG 着。
4月14日にユーロスターでパリからロンドンへ向けて出発、英国、チェコ、オーストリア、ハンガリーへの旅は終わりました(4月27日)。

ベルヴェデーレのマドンナ ウイーンの美術史美術館

ラファエル Raphaël (1483-1520) 作の<草原のマドンナ あるいは ベルヴェデーレのマドンナ La Madone à la prairie ou La Madone du Belvédère (1506頃)>。
ウイーンの美術史美術館に収蔵される以前はベルヴェデーレ宮殿にあったことによる。
キリストの死を象徴する赤のドレスに教会を象徴する青のコートを着た聖母マリアの右側に、死んで復活するキリストの受難を表す芥子の花。
洗礼者ヨハネが持つ葦の十字架を掴んでいるのは来るべきキリストの受難を暗示しているとか。

ラファエロの「聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ」

<バベルの塔>をウイーンの美術史美術館で

ピーテル・ブリューゲル Pieter Brueghel l’Ancien (1525-69) が描いた<バベルの塔 La Tour de Babel (1563)>をウイーンの美術史美術館で観れました。
オーストリア大公レオポルト・ヴィルヘルム (1614- 1662) のコレクションでした。
ハプスブルグ帝国のアレゴリーとみられているようです。

La Tour de Babel (1563) / Pieter Brueghel l’Ancien (1525-69) / Musée d’Histoire de l’art de Vienne

ウイーンでの「クリムト展」に豊田市美術館から

Eugenia Primavesi (1913-14) / Gustav Klimt (1862-1918) / 豊田市美術館

ウイーンのローワー ベルヴェデーレ宮殿のオーストリア・ギャラリーで開かれていた<ゴッホ、ロダン、マティスにインスピレーションを得たクリムト展 Klimt inspired by Van Gogh・Rodin・Matisse>に、豊田市美術館 Toyota Municipal Museum of Art 所蔵のグスタフ・クリムト Gustav Klimt (1862-1918) の作品が参加していました。
<オイゲニア・プリマフェージの肖像 Eugenia Primavesi (1913-14)>です。
元女優で妻のオイゲニアの肖像を依頼した銀行家のオットー・プリマフェージは、クリムト等が設立に協力したウイーン工房のパトロンでした。

ゴッホ、ロダン、マティスにインスピレーションを得たクリムト展  オーストリア・ギャラリー

<ゴッホ、ロダン、マティスにインスピレーションを得たクリムト展 Klimt inspired by Van Gogh・Rodin・Matisse>がウイーンのローワー ベルヴェデーレ宮殿のオーストリア・ギャラリーで開かれていました。

2023.04.25.

サンフランシスコ近代美術館 SFMOMA からアンリ・マティス Henri Matisse (1869-1954) 作<緑の瞳の少女 La fille aux yeux verts (1908)>が来墺していました。

ピカソ 新古典主義時代の作品<立っている女性>

イタリア旅行(ローマ・ナポリ・ポンペイ、1917)の影響を受けた第一次大戦後、ピカソ Pablo Picasso (1881-1973) の新古典主義の時代(1917₋25)の作品<立っている女性 Femme debout (1921)>。テンペラ画。
どっしりと量感のある、身体に比べて大きい手足、彫刻のような肉体、額から続く高い鼻。
モデルは最初の妻オルガ(1891₋1955、1918結婚)だと思われます。
プラハ国立美術館 Galerie nationale de Prague (エキシヴィジョン宮殿)にて

旧松方コレクションでポンピドーセンターの国立近代美術館 Musée national d’Art moderne 所蔵の<読書灯 La liseuse (1920)>。灰色の服を着た女性、座って本を読む女性とも。
オルガ・ピカソを描いた油絵です。

マティスの<ホアキナ>                      ナショナル ギャラリー プラハ

   depuis  2001

アンリ・マティス Henri Matisse (1869-1954) がセビリア、コルドバ、トレドの旅(1910-11)でセルビア滞在中に描いた作品<ホアキナ Joaquina (1910)>。
彼女はセルビアのジプシーでダンサーのようです。
プラハ国立美術館 Galerie nationale de Prague (エキシヴィジョン宮殿)にて

現在パリのポンピドーセンター所蔵の作品を中心とする「マティス展」が東京都美術館で開催中です。

新宿区38℃。過去最高温度。

聖ヴィート大聖堂と南塔 プラハ城第3の中庭

プラハ城第3の中庭に入ると目の前に聖ヴィート大聖堂の正面、一対のゴシック尖塔とロゼット(バラ窓)(1873-1929)。
右側(南)に進めば、「聖ヴィート大聖堂の南塔(鐘楼)」のある南面。
中庭には、プラハ城のオベリスク(ムラコティンの一枚岩)(1928)と聖ゲオルギオス像(1373)があります。

 

南塔のゴシックの<黄金の門 Porte dorée>の上部に<最後の審判>のガラスモザイク(1370₋72)。
中央、マンドウラにキリスト、その下に聖ヴィート・聖ヴァツーラフ等の聖徒たち、その下にカール大帝(カレル4世)と妻。

プラハ城第2の中庭から第3の中庭の聖ヴィート大聖堂を

Deuxième cour du Château de Prague / Fontaine Kohl et Bien / Prague

<タイタン門>と<マティアス門>を通ってプラハ城第2の中庭から。第3の中庭にある聖ヴィート大聖堂正面の2基の尖塔と(大)南塔が見えてます。
中庭の右に、バロック様式のコールの噴水(1686)、左に井戸があります。

プラハ城への入り口<タイタン門>と<マティアス門>

   depuis  2001

プラハ城への入り口です。バロック建築に囲まれたフラッチャニ広場の東端です。
タイタン像(1761)の門柱を持つロココ調格子の<タイタン門>を入ると第1の中庭(名誉の中庭)、神聖ローマ帝国皇帝マティアス建立の<マティアス門 (1614)>を抜けると第2の中庭。
ウクライナ国旗を掲げている門柱はオーストリア帝国を象徴する王冠と笏を持つ鷲。反対側にチェコ王国を象徴する王冠と笏を持ったライオン。

Porte des Titans / Porte Matthias / Place Hradčany / Château de Prague / Prague

「プチ広場」の水飲み場(手押しポンプ式)と古い家並み

プラハの旧市街広場隣接の「プチ広場 Petit Place」の井戸(手押しポンプ式)(1560) と古い家並み。
ボヘミアの紋章<白銀の起立ライオン>を戴いています。
手押しすると、2つの水盤の上にあるパイプから水が出ます。
ホワイトライオンの家(写真左、右端)
ウ・モドリー・ジェレナの家(写真中、左端)
その右、U ズラテ ユリの家と U ズラテホ オルラの家。
写真下、ロットの家。

Petit Place / Prague / Une Puits orné d’une grille Renaissance et surmonté d’un lion de Bohême doré

<聖ヴァーツラフ>のモザイク

プラハ旧市庁舎の天井に見る<聖ヴァーツラフ Sanct Wenceslaus (907₋35) のモザイク>。
ボヘミア公ヴァ―ツラフ1世で、チェコの守護聖人。
ボヘミア王の紋章、白銀の起立ライオンの盾を持っている。

<わが祖国> ベドルジハ・スメタナの星

Bedřich Smetana (1824-84) / Praha

ベドルジハ・スメタナ Bedřich Smetana (1824-84) はボヘミアの作曲家。
オーストリア=ハンガリー帝国下にあったチェコの国民学派の先駆者でチェコ音楽の祖とされていて、<わが祖国 Má Vlast (1874₋79)>が代表作。中でも、ヴルタヴァ(川)が有名。

アントニン・ドヴォルザーク (1841-1904) とともにボヘミア学派とも呼ばれます。

ストラホフ庭園からプラハ市街を展望する

ストラホフ修道院図書館のあるストラホフ修道院の北東端、ストラホフ庭園からプラハ市街を展望しました。
左側に<プラハ城>内の<聖ヴィート大聖堂>、その右下にヴルタヴァ川と<チェフ(チェコ)橋(1908)>。ヴルタヴァ川は右に蛇行して眼下を流れていて、中央やや右に見えている3つの塔の内手前の2塔<マラー ストラナ橋塔>と<旧市街橋塔>を結んだ位置に<カレル橋>が架かっています。右奥にジシコフ・テレビ塔(216m)。
左岸のバロック様式の<聖ニコラス教会>のドーム、その斜め奥に旧市街広場近くのゴシック様式の<ティーン前の聖母教会>と<火薬塔>。

レトナ公園の巨大メトロノーム

プラハ城の東側、レトナ公園に置かれている<巨大メトロノーム(1991)>をカレル橋の二つ下流に架かるアール ヌーヴォー様式のアーチ橋<チェフ橋(1908)>越しに見上げたところ。
ヴラチスラフ・カレル・ノヴァーク (1942-2014) の作品。
メトロノームの台座には世界最大のスターリン像を置いていた(1955₋62)過去があります。

ビロード革命の舞台に <レドゥタ ジャズ クラブ>

プラハ最古のジャズクラブ<レドゥタ ジャズ クラブ(1957)>はチェコスロバキアの民主化への「ビロード革命(1989)」の中心地の一つナーロドニー(・トジーダ)通りにあります。

Reduta Jazz Club (1957) / Praha

カレル・ゼマン博物館 に立ち寄る

カレル・ゼマン博物館 Muzeum Karla Zemana (2012) に立ち寄って、チェコ(スロヴァキア)のアニメーション映画の創始者とされるカレル・ゼマン Karel Zeman (1910-89) の映画作品を見てきました。
<先史時代への旅(1955)>を撮影するカレル・ゼマンとサイン。

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<ミスター・プロクーク、動物の友達 (1954)>で使用されたオリジナルのおじいちゃんと馬の操り人形。

Original puppets from the Tales of Mr. Prokouk

カレル・ゼマン博物館の外観

Muzeum Karla Zemana (2012) / Praha

YouTube で、例えば Karla Zemana で検索すれば、彼の映画を見ることができるでしょう。

<聖母ヨーロッパ>の地図 

   depuis  2001

プラハ生まれのヴェレスラヴィン出身のダニエル・アダム Daniel Adam de Veleslavin (1546-99) が印刷出版した<聖母ヨーロッパ La Vierge Europe>の地図 (1592)。
頭部は”太陽の没することなき帝国”スペイン、胸はフランス、心臓がボヘミアです。英国は圏外にあります。
ストラホフ修道院図書館にて

Carte de l’Europe en Figure symbolique d’une Vierge (La Vierge Europe) / Daniel Adam de Veleslavin / Monastère de Strahov

原本はハインリヒ・ビュンティング Heinrich Bünting (1545-1606) による「聖書による旅行の本(1581初版)」という名の木版画の地図の本です(転載)。

<ムーラン・ルージュで踊る二人の女性>ロートレック

Deux femmes dansant au Moulin-Rouge (1892) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / National Gallery Prague

<ムーラン・ルージュで踊る二人の女性 Deux femmes dansant au Moulin-Rouge (1892)>。トゥールーズ=ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) の作品。
女性同士で踊っている右側の女性が「チャ・ウ・カオ Cha-U-Kao 」 、その右後ろ向きの女性が「ジェーン・アヴリル Jane Avril 」。ロートレックお気に入りの女性です。

プラハ国立美術館(エキシヴィジョンパレス)に展示されていました。右から2点目。

アンリ・ルソーによる<私自身、肖像=風景>

Moi-même, portait-paysage (1890) / Henri Rousseau (1844-1910) / Galerie nationale de Prague

アンリ・ルソー Henri Rousseau (1844-1910) が第6回アンデパンダン展(Paris 1884₋)に出品した作品<私自身、肖像=風景 Moi-même, portait-paysage (1890)>です。
背景をエッフェル塔(1889)のあるパリ万国博覧会(1889)として、手前にアーチ橋の(前)カルーゼル橋付近のセーヌ河岸に立つ巨大なルソーの自画像を置きました。
この万国博覧会に強烈な刺激を受けた彼がその思いを絵にしたと言われています。
日曜画家等と揶揄され、まだ画壇で認められる前の作品です。
プラハ国立美術館 Galerie nationale de Prague (エキシヴィジョン宮殿)にて

プラハの恋人で「願いの壁」に ヤン フスの記念碑

   depuis  2001

韓流ドラマ「プラハの恋人」の「願いの壁」の場を設営した旧市街広場の<ヤン フスの記念碑>。
この裏側の台座を利用したようです。右に時計の塔、左にキンスキー宮殿が見えてましたから。
最後の願いは、ジェヒは「カプトルとカプスンはずっと幸せに暮らしました」、サンヒョンは「僕の心はいつでもミルユーテ」でした。

プラハの恋人

プラハの天文時計 旧市街広場

プラハの旧市庁舎(1338)の(時計の)塔(1364以前)に取り付けられた<プラハの天文時計(1410)>。
その左に後期ゴシック様式のエントランス。塔の右側に張り出して取り付けられた礼拝堂(1381)も見えてます。この部分が最古の部分です。
ゴシック様式のティーン前の聖母教会(1380₋)、バロック様式の聖母マリアの柱像(1650・2020再建)、左端にキンスキー宮殿(プラハ国立美術館)。

 

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プラハの旧市庁舎 旧市街広場

プラハの旧市庁舎。旧市街広場にあります。カール4世の父、ヤン ルクセンブルグ第10代ボヘミア王(在位1310-46)治世下でボヘミア初の市庁舎として設立(1338)。
その東面、ウルフリン ドゥム部分が現存最古で、市庁舎の塔(1364以前)・ゴシック様式の出窓のある市の礼拝堂(1381)。
左に、バロック様式の聖母マリアの柱像(1650・2020再建)。右に、ルター、カルヴァンに先立つ中世チェコの宗教思想家ヤン フスの記念碑(火刑500周年の1915)、アール ヌーヴォー様式。

<火薬塔><旧市街橋塔><マラー ストラナ橋塔>          プラハ城への王の道

ネオ ゴシック様式の建物 <火薬塔(1475・1886)>。旧市街へ入る旧聖アンブローズ門の跡に建設された。ここから手前にプラハ城まで王の道が始まる。ただし、 1383 年から1485 年まではチェコ王の居城 (住居) はプラハ旧市街の(現)プラハ市庁舎敷地にあった。

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旧市街広場を通り抜けてブルタヴァ川手前のゴシック様式の<旧市街橋塔>
ボヘミア王国国王カレル1世(在位1342₋78)が神聖ローマ帝国皇帝カール4世(カレル4世)(在位1346₋78)となってその治世を祝す凱旋門として建設された。

ブルタヴァ川に架かるカレル橋(1354₋1402)から<マラー ストラナ橋塔>
低い塔はカレル橋に架け替えられる前のチェコ最古の石橋ジュディス橋の橋塔(1172)、ルネサンス様式。
旧市街橋塔に倣って建設されたマラー ストラナ橋塔(1467)とゴシックアーチで接続されている。
これを潜って右上に見えているプラハ城へ至るのが王の道です。

「ウクライナから手を引け、プーチン!」と‥ プラハ

カレル橋から<旧市街橋塔>を潜って旧市街へ入ったところ正面、バロック様式の聖救世主教会に「ウクライナから手を引け、プーチン!Hands off Ukuraine, Putin !」と‥ウクライナの国旗に。
左に<カレル橋博物館>と<カレル(カール)4世像 Socha Karla IV>。

<旧市街橋塔>と<カレル橋>と<プラハ城>

マーネス橋から上流に架かる<カレル橋(1354₋1402)>を見たところ。
右岸詰めのゴシック様式の塔は<旧市街橋塔>。カール4世神聖ローマ帝国皇帝(在位1355-78) / カール1世第11代ボヘミア王(在位1346-78)の治世を祝う凱旋門として建設されました。カレル橋と共にロイヤルロードの一部です。
左側のドームはカレル橋博物館。右側は旧市街への水道給水塔。
プラハを流れるブルタヴァ川はラべ川(エルベ川)に合流し、ドレスデン・マイセンを通ってハンブルグで北海に流れ込みます。

マーネス橋の上からプラハ城(870)を見上げました。ゴシック建築の聖ヴィート大聖堂(1344₋1929)と聖イジー聖堂(920)の尖塔が突き出ています。右端にロマネスク様式の黒塔(1135頃)バロック様式のロブコヴィツ宮殿。

セーチェーニ鎖橋を描く イニャック・ロスコヴィッチ

   depuis  2001

イニャック・ロスコヴィッチ (1854-1915) はハンガリーの画家。
公共彫刻家・ミニ彫刻家ミハイロ・コロドコ Mihajlo Kolodko (1978-) が制作した(2011)。
ブダペストを流れるドナウ川河畔のエトヴェシュ広場に置かれています。トラムの向こうはセーチェーニ鎖橋。

現代ハンガリーを代表する彫刻家ラースロー・マルトン László Marton (1925-2008) の作品<小公女 Kiskirálylány (Little Princess ) (1990)>の像はこの少し左側(下流)に置かれています。

ガーボール・シャーヴァスの胸像

セーチェーニ・イシュトヴァーン(1791₋1860)広場の北端、ハンガリー科学アカデミー前に置かれているハンガリー言語学者<ガーボール・シャーヴァス(1832₋95)の胸像>。
少女が持つ栄光の月桂樹の小枝と不滅の椰子の葉がシャーヴァスを飾ります。足下に、アカデミーがシャーヴァス監修のもとに創刊した「マジャル語のニェルヴール」が。
両者ともにハンガリー民族愛者でアカデミーの創設・ハンガリー(マジャル)語の定着に貢献しました。

 

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セーチェーニ鎖橋と聖イシュトヴァーン大聖堂

 

ブダヴァリ(ブダ城)宮殿前のサヴォヤイ テラスからのドナウ(ダニューブ)川に架かるセーチェーニ鎖橋と新古典主義の建物にネオ ルネサンス様式のドームを持つ聖イシュトヴァーン大聖堂。河畔左端にハンガリー科学アカデミー 、右端に内務省の建物。
仮設の舟橋等に頼っていたブダとペスト地区を初めて結んだセーチェーニ鎖橋(1849)、大洪水(1838)の際、小高くて大勢の命を救った場所に建設された大聖堂(1851-1905)。
聖イシュトヴァーンはハンガリー王国の創設者(在位1000₋38)。

ブダヴァリ宮殿 と ウジェーヌ ド サヴォイア

ハンガリー国立美術館として使われているブダヴァリ(ブダ城)宮殿前のサヴォヤイ テラス。
最高指揮権を与えられたゼンタの戦い(1697)に勝利して、オスマン帝国との長い戦いに終止符を打ち、ブダをトルコ支配から解放した軍司令官<イェニ・サヴォヤイの騎馬像(1900)>が置かれています。
彼は、サヴォイア家の血筋でパリ生まれ。ウジェーヌ ド サヴォイア Eugène de Savoie (1663-1736) です。神聖ローマ帝国に忠誠をつくしました。
美術館では、ラファエル前派の影響が強いハンガリーの画家ラホス グラシ Lajos Kálmán Gulácsy (1882-1932) の展示会が開催中でした。2023.04.26.

Statue de Eugène de Savoie / Palais de Budavár / Budapest

警察官のブロンズ像 ズリーニのヘルメット

聖イシュトヴァーン大聖堂前のズリーニ通りに置かれている<警察官のブロンズ像 (2008)>。
アンドラス・イリエス (1968-) が(警察官ではなかった)祖父をモデルに制作した彫像らしい。
身に着けているのは祝祭服(冬服)(1909₋45)とズリーニのヘルメット(1909)。ヘルメットにはハンガリー王国の紋章が。

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ハンガリー国立歌劇場 スカラ座、ガルニエに次ぐ・・

スカラ座とオペラ座(ガルニエ宮)に次いでヨーロッパで 3 番目に優れた音響を誇る<ハンガリー国立歌劇場>。ブダペストがハンガリー王国の首都になって(1873)、ネオ ルネサンス様式で建設されました(1875₋84)。
正面地上階のニッチ左に、「ハンガリーのグランドオペラの父」と呼ばれ劇場の初代音楽監督を務めハンガリー国歌を作曲したフェレンツ・エルケル(1834-1874)、右に、「リサイタルの父」とも呼ばれるフランツ・リスト(1811₋86)の座像があります。

ハンガリー王室の紋章 ハンガリーの聖冠

   depuis  2001

ハンガリーの聖冠 (聖イシュトヴァーンの王冠) のもとにある国々の紋章を置いた大盾の上にハンガリーの聖冠、大盾の中央にハンガリー王国の盾が中盾として、さらに小盾としてハプスブルク=ロレーヌ家の盾(三国紋章)があります。
中央紋章と呼ばれるハンガリーの国章に三国紋章を入れ込んで描かれています。
大盾には、左上にダルマチア、その下にスラヴォニアの紋章、右上には クロアチア、その下にトランシルヴァニアの紋章、下部にはフィウメの紋章があります。
オーストリア=ハンガリー帝国(1867)時代のハンガリー国章(1880)部分。
ハンガリーの盾の左側はアールパード家の紋章、右側はキリスト教王権の象徴二重十字などから。
リボンにある「私は古代の美徳を信頼します」はフェレンツ ヨージェフ1世(フランツ ヨーゼフ1世皇帝)ハンガリー国王のモットーです。
ブダ城宮殿入口のクラーク アダム広場の城壁。

<ゲッレールト温泉> ブダペストの古い温泉

ゲッレールト温泉の起源は13世紀のハンガリー王国(アールパード朝)アンドラーシュ2世治世に遡ります。ゲッレールトの丘から湧き出る温泉です。
現在の建物(1912)はアール ヌーヴォー様式で、建設当時はヨーロッパでもっとも近代的なスパとされていたそうです。
ハンガリー伝説の鳥<トゥルル Turul>があしらわれた自由橋の右岸詰め、ゲッレールトの丘の麓にあります。丘のドナウ河畔はゲッレールトの丘の岩の教会です。

漁夫の砦とマーチャーシュ聖堂 ダニューブ川左岸から

ブダ城の城郭の北端部分はその下ダニューブ川沿いに居住する漁師ギルドに管理をゆだねていました。7つの石造りの塔は征服時(895)のハンガリー人7部族の族長に因んでいるとか。
<漁夫の砦>は左奥に再建されたネオ ゴシック様式のマーチャーシュ聖堂 Mátyás Templom(1902)に関連してネオ ロマネスク様式で再建されました。いずれも、フリゲス・シュレック (1841-1919) による。
ダニューブ川左岸(ペスト)沿いの記念碑「ドナウ川遊歩道の靴」から。2023.04.26.

漁夫の砦 と マーチャーシュ聖堂 / ダニューブ川 / ブダペスト

ダニューブ河畔 ハンガリーの国会議事堂

オーストリア帝国がオーストリア=ハンガリー帝国となって(1867)、ハンガリー王国はブダとペストを結ぶセーチェーニ鎖橋を買い取って国有化し(1870)、ブダペストを首都とし(1873)、国会議事堂を建設しました(1885₋1904)。
ロンドンのウェストミンスター宮殿を意識したネオ ゴシック建築です。ドーム(1896完成)の高さ96mはハンガリー建国の896年に因むらしい。

ブダ城宮殿から。ダニューブ川左岸ペスト地区に。

ブダ城で見た<ズキンガラス>

ズキンガラス Corneille mantelée (Corvus cornix) / ブダ城 / ブダペスト

   depuis  2001

フランスでは見ないズキンガラス Corneille mantelée (Corvus cornix) をブダ城で見ました。ハンガリー辺りが大陸の生息域西端のようです。大陸西部で見られるハシボソカラスより可愛い感じ。
ダニューブ川の中州 マルギット島とマルギット橋、満開のマロニエが背景です。

ハンガリー伝説の鳥<トゥルル Turul>

   depuis  2001

トゥルル Turul はハンガリーの神話のシンボル。ハヤブサとワシの合わさったものと見られています。
この度のブダペスト訪問で、ブダ城(宮殿)とダニューブ川に架かる自由橋 Pont de la Liberté (1896)で見掛けました。
前者は<冠を被り剣を掴んだトゥルル>。ギュラ・ドナス (1850-1909) がブダペストのシンボルとして制作しました(1903)。
自由橋は橋柱の上に4体のトゥルル、建設当時のハンガリーの国章で飾られています。

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ブダ城宮殿

ブダ城宮殿 Budavári Palota。元ブダ王宮です。ダニューブ川(ドナウ川)の右岸。マロニエが満開でした。左岸はペスト。2023.04.26.
ハンガリー国立美術館、ブダペスト歴史博物館、国立セーチェーニ図書館等が使用しています。

Budavári Palota | Palais de Budavár / Danube / Budapest

<ヘレンド磁器>と<ジョルナイ磁器>の噴水 

   depuis  2001

ブダペストにあるヨージェフ・ナドル広場にはハンガリー磁器の双璧<ヘレンド磁器 Herend (1826)>(左)と<ジョルナイ磁器 Zsolnay (1853)>の噴水が置かれています (2019)。
ヘレンド磁器宮殿(ヘレンド磁器製造工場)が広場に面しています(左写真のカメラ後方)。

ウイーンの城壁の斜堤跡にヴォティーフ教会

   depuis  2001

ネオ ゴシック様式のヴォティーフ教会(奉納教会) Votivkirche (1856-79)。オーストリアの歴史主義建築家ハインリヒ・フォン・フェルステル(1828₋83)の作品。
ウイーンの城壁の斜堤部分(グラシス)に建てられているので、環状道路 リングシュトラーセ Ringstraße と離れているように見えます。
7月革命(1830)の年に生まれ、3月革命(1848)の時にオーストリア皇帝に即位したフランツ・ヨーゼフ1世 Franz Joseph I がウイーンの城壁でハンガリー人に襲撃され(フランツ・ヨーゼフ1世襲撃事件(1853))、大怪我を負ったが命拾いしたことを神に感謝して建設されました。
傷が癒えて結婚(1854)したシシィ(エリザベート)との銀婚式で奉献されますが、ルドルフ皇太子の自殺(1889)、エリザベートの暗殺死(1898)に見舞われることになりました(涙)。

ウイーンのパッサージュ<フェステル パッサージュ>

Ferstel Passage / Heinrich von Ferstel / Freyungplatz / Vienne

パリのパッサージュを真似たとされる<フェステル パッサージュ Ferstel Passage>。
元オーストリア国立銀行のパレ フェステル(1860)の中にあります。オーストリアの歴史主義建築家ハインリヒ・フォン・フェルステル(1828₋83)によるネオ ルネサンス様式建築。
マルシェの場、フライユング広場 Freyungplatz 側の入り口(下左)とショッピングモールのパッサージュ(左)。
広場には<オーストリアの噴水>。
北海、黒海、バルト海、アドリア海に注ぐエルベ川、ドナウ川、ヴィスワ川、ポー川の寓意像の上に槍とハプスブルグ家の紋章のある盾を持ち王冠を被ったオーストリアの寓意像が載っています。ハプスブルグの威光を表現。

大きいボックス席 <La Grande loge> ロートレック

La Grande loge (1896-97) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Albertina (Vienne)

アムスのゴッホ美術館で観た覚えがあるが・・再びウイーンのアルベルティ―ナ美術館で。
トゥールーズ=ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) のリトグラフ<La Grande loge (1896-97)>。
レズビアン バー「ル・ハネトン」のオーナー、マダム・アルマンド・ブラジエ Mme Armande Brazier (右)とバイセクシャルのクルチザンヌでダンサーのエミリエンヌ・ダランソン Émilienne d’Alençon (1870-1945) とされています。
娘のように見える彼女はベル・エポックの三美神の一人と呼ばれています。
ロートレックはこの頃、このモンマルトルのバーに頻繁に出入りしていたそうです。

 

ワルツ王<ヨハン・シュトラウス記念碑> 市立公園

Monument Johann-Strauss / Edmund von Hellmer

ウイーンの旧市壁跡の<環状道路 リングシュトラーセ Ringstraße>に面した市立公園の中に置かれている<ヨハン・シュトラウス記念碑 (1921)>。
ヴァイオリンで「美しき青きドナウ」を弾くワルツ王 ヨハン・シュトラウス(息子)(1825-99)を写実的に、そして背景のアーチにはアールヌーヴォー風にドレープを付けたミューズ。ウイーン分離派のエドムンド・ヘルマー (1850-1912) による彫刻です。

クリムトの<ジュディス> オーストリア ギャラリー

Judith und Holofernes (1901) / Gustav Klimt (1862-1918) / Österreichische Galerie Belvedere / Wien

ウイーンのアールヌーヴォー、ウイーン分離派の創設者グスタフ・クリムト Gustav Klimt (1862-1918) によるキャンバスに油絵と金箔の作品<ジュディスとホロフェルネス (1901)>。オーストリア ギャラリー ベルヴェデーレ Österreichische Galerie Belvedere にて
額縁の上部に JUDITH UND HOLOFERNES とあるのは、発表当時ジュディスをサロメと間違えられたりしたため、弟にこの金属製の額縁を作らせたのだそう。
ジュディスは故郷のベツリアをアッシリア軍による破壊から守るため、ホロフェルネス将軍を誘惑し首を刎ねた聖書のヒロインです。絵では右下にその頭部が。
ジュディスのモデルはアデーレ・ブロッホ=バウアーとされています。

「金箔の」ベルヴェデーレ宮殿の上宮

<オーストリア ギャラリー>となっているバロック建築のベルヴェデーレ宮殿の上宮。
内部は(本金の)金箔で満ちていて豪華さが半端でない。一枚一枚貼っているので箔アシが残っています。

デメル本店 ハプスブルグ家御用達菓子店

ハプスブルグ家の紋章(双頭の鷲)をシンボルマークに持つデメル DEMEL の本店。コールマルクト通り14番地。ロゴに”王室御用達菓子店 Wien 1786”とある。

ウイーンの国会議事堂

ウイーンの旧市壁跡の<環状道路 リングシュトラーセ Ringstraße>に面したオーストリアの国会議事堂は新古典主義建築(1883)。向かって右隣にネオゴシックのウイーン市庁舎が。
正面に、左手に槍を持ち、右手に勝利の女神ニケを持つ<パラスアテネの噴水>。ドナウ川(女性)と右支流イン川(男性)の寓意像の上に行政府(剣と天秤)と立法府(法のタブレット)の寓意像。

Parlamentsgebäude in Wien (1883) / Athenebrunnen (1902)

ウイーン市庁舎

ウイーンの市庁舎 Rathaus (1872)、ネオゴシック様式です。ドイツの建築家フリードリヒ・フォン・シュミット (1825-91) がブラッセルの市庁舎を参考に設計。市庁舎広場の手前にはリングに面した市庁舎庭園があり、市立劇場であるブルグ劇場と向き合っています。

Rathaus der stadt Wien

尖塔(98m)の頂部には市庁舎マンの像(1932)が置かれています。
北(右)側入り口に、ウイーンの市旗とウクライナの国旗を掲げています。

ヴィジェ=ルブラン最初の マリー・アントワネットの肖像

Marie-Antoinette en robe à panier en satin blanc (1778) / Marie Élisabeth-Louise Vigée Le Brun (1755-1842)

マリー・アントワネット王妃の公式女流画家となったエリザベート・ヴィジェ=ルブラン Marie Élisabeth-Louise Vigée Le Brun (1755-1842) が描いた最初の肖像画<白いサテンのバスケットドレスを着たマリー・アントワネット Marie-Antoinette en robe à panier en satin blanc (1778)>。
ハプスブルク家の特徴 (わずかに垂れた顎、突き出た目、わずかにかぎ状の鼻、厚い下唇) を捉えているそうです。
ウイーンの美術史美術館にて (2023.04.26.) 
「ハプスブルグ展 (2019)」で来日しました。

シシィ美術館のポスター<SISI 神話と真実>

L’impératrice en robe de bal avec des étoiles de diamant (1865) / Franz Xaver Winterhalter (1805-73)

フランツ・ヴィンターハルター Franz Xaver Winterhalter (1805-73) が描いた<オーストリアの皇后エリザベート(1837₋98)の肖像 Portrait de l’impératrice Élisabeth d’Autriche (1865)>の鏡写しをベースにしたシシィ美術館のポスター。原画は美術史美術館にあります。
この髪飾りは<シシィの星 Sisistern>として有名で彼女の歳数27個を使っています。五芒星のダイヤモンドを二つ合わせた中央に真珠をはめ込んでます(ウイーンのケッヘルト社製)。
パリのオートクチュールの創始者チャールズ・フレデリック・ワース社製の(銀箔の星を散りばめた白いサテンとチュールの)ガラドレスを着ています。

戦争とファシズムに対する記念碑

戦争とファシズムに対する記念碑 (1988) / アルベルティナ広場 / ウイーン

   depuis  2001

アルフレッド・フルドリッカ (1928-2009) が制作した<戦争とファシズムに対する記念碑 (1988)>。
ウイーンの市壁の撤去跡地に建設された(1884)大規模住宅「フィリップホフ」が第2次大戦で破壊され、地下に避難していた多数の住民が犠牲になった。その跡地、アルベルティナ広場(アルベルティナ美術館前)に置かれています。
<顔のない出産中の女性の遺体等を刻んだ暴力の門>と<ひざまずいて街路を洗うユダヤ人の銅像>。

ロートレックの白馬 <ガゼル Gazelle>

Der Schimmel “Gazelle” (1881) / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Albertina,Vienne

La Comtesse Adèle de Toulouse-Lautrec dans de salon du château de Malromé (vers 1886-87) / Musée Toulouse-Lautrec d’Albi

   depuis  2001

アンリー ド トゥールーズ=ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) が幼少期の殆どを過ごし、その後も休日には訪れていたというアルビ近郊のボスク城 Château de Bosc で描いた油絵<白馬”ガゼル” Der Schimmel “Gazelle”>(1881)。
ガゼルはロートレックの母アデレ方のセレイラン伯爵家の種馬の血筋だったそうです。
ウイーンのアルベルティナ美術館 Albertina のバットライナーコレクション。

ロートレックの母所有のマルロメ城 Château Malromé のサロンで描いた<アデレ・トゥールーズ=ロートレック伯爵夫人>(1886₋87頃)。
後年、アルコール中毒で体を壊したロートレックをマルロメ城に呼び寄せて療養させましたが甲斐なく亡くなりました。
アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館所有。
グラン・パレ ナショナルギャラリーで開催された(2019) “トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展”  Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne にて

シシィ Sissi が住んでいた帝国首相府翼

最後の神聖ローマ帝国皇帝フランツ 2 世(1792₋1806)・初代オーストリア皇帝フランツ1 世(1804₋35)の銅像(1846)、台座の下段に、信仰、強さ、平和、正義を象徴する 4 つの彫像を置くインデルブルグの中庭。
シシィ博物館になっているミヒャエル(ミッシェル)翼に接した<帝国首相府翼(1730)>はカール6世治下にバロック様式で建設。中央にカール6世の紋章が載る。両サイドのゲートに置かれたヘラクレスの4つの労働の彫像の一つ、ネメアのライオンを殺す場面の像だけが左に見える。いずれも、バロック宮廷彫刻家ロレンツォ・マッティエリ(1687₋1748)の作品。オーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(1848₋1916)とその妻エリザベート(シシィ Sissi)はここに住んでいました。
左側、アマリエンブルクはルドルフ 2 世皇帝(在位1576₋1612)のウィーンの邸宅として建設された。後期ルネサンス様式、日時計(上に時計)が壁面に。

インデルブルグ / 帝国首相府翼(1730) / アマリエンブルク / 王宮

リピッツァナーのペガサス スペイン乗馬学校の厩舎

   depuis  2001

マクシミリアン2世(在位1564-76)の邸宅(1565)としてルネサンス様式で建てられ、カール6世(在位1711-40)が地上階をスペイン乗馬学校の厩舎ストールブルク Stallburgに改装しました。
王宮の一部。2023.04.27.
カール6世は乗馬学校で馬場馬術に使用するオーストリア種(ハプスブルグ君主国種)の白馬リピッツァナー Lipizzaner を地上階に収容、現在も続いています(よく見ると見えます)。
中庭にはリピッツァナーのペガサスが・・

カール6世像とコロネリの地球儀とヨーゼフ2世の騎馬像

女帝マリア テレジア(在位1740-65-80) の長男でマリ― アントワネットの兄、神聖ローマ帝国皇帝 ヨーゼフ2世 Joseph II (在位1765-90)の騎馬像(1807)が(王宮の一角)ヨーゼフ広場(1786)の中央に。
像の後ろの宮廷図書館(現オーストリア国立図書館)はマリア テレジアの父神聖ローマ帝国皇帝カール6世(在位1711-40)が建設したバロック建築。中央ドームの前にカール6世の彫像、左右に金色の<コロネリの地球儀>。

ハプスブルグ家の宮廷図書館(現オーストリア国立図書館) / ヨーゼフ広場 / ウイーン

ライプツィヒの戦い ナポレオンに勝利の記念碑

アウステルリッツの戦い(三帝会戦)でナポレオンに敗れた神聖ローマ皇帝フランツ2世は皇帝位(1792₋1806)を自ら放棄して<オーストリア皇帝フランツ1世>を称した(フランス皇帝ナポレオン承認) (1804-35)。
敗戦に伴い破壊された城壁(1809)はリングの位置まで拡張して古典主義により再建された。この外城門は1813 年のライプツィヒの戦い Bataille de Leipzig (1813) でのオーストリア軍の対ナポレオン勝利を記念するもので<フランツ1世・オーストリア皇帝 1824年>とあります。また、下段には<月桂樹(栄冠)にふさわしい兵士達へ月桂樹(栄冠)を 1916年>とあり、第一次世界大戦で亡くなった兵士を追悼する記念碑ともなっています。
オーストリア国旗が掲揚されています。この門を潜れば英雄広場、右に新城(ノイブルグ)。

 Outer Burgtor / Hofburg / Vienne

スイス門 ホーフブルク宮殿

Schweizertor (original main gate) / Schweizerhof / Swiss Wing

城内広場とホーフブルク王宮最古の部分(13世紀)スイス翼の中庭(シュバイツァーホフ)を結ぶスイス門。
フェルディナンド1世がルネサンス様式で再建しました(1552)。
その碑文がスイス門に刻まれています。
神聖ローマ帝国皇帝(1556₋64)になる以前なので、紋章は双頭の鷲ではなく、ローマ・ドイツ国王の黒鷲にフェルディナンド1世の紋章を重ね、金羊毛騎士団のネックレスでそれを囲んだものです。

マリア テレジア記念碑 ウイーンのマリア テレジア広場

Maria-Theresien-Denkmal / Maria-Theresien-Platz / Caspar Zumbusch (1830-1915) / Vienne

40年(1740-80) にわたってハプスブルク君主制(帝国)を統治したマリア・テレジアの記念碑 Maria-Theresien-Denkmal (1888)。
ウイーン自然博物館(1891)と美術史美術館(1891)の間のマリア テレジア広場の中央に、王宮を向いておかれています。カスパー・ズンブッシュCaspar Zumbusch (1830-1915) の作品。
左手に、王笏と彼女が王位継承者となった国事詔書(カール6世発布 1713)とを持っている。
足下のコーニスに、正義、強さ、温和、知恵の寓意像。
下段に、マリア テレジア治世の 4 人の将軍の騎馬像と首相ヴェンツェル・アントン・カウニッツの立像。

モーツァルト記念像

Monument à Mozart : Mozart-Denkmal (1896) / Viktor Tilgner (1844-96)

ヴォルフガング アマデウス モーツァルトに捧げられた記念碑。
ブルクリングに面したブルクガルテン(王宮庭園)の一角に置かれています。
ネオバロックの彫刻家 ヴィクトール ティルグナー (1844-96) 最後の作品。
当初置かれたアルベルティーナ広場で行われた除幕式には間に合いませんでした。
左後方の建物はホーフブルク王宮(ノイエ ブルグ / 新翼)

 

 

 

 

 

後方から。

多数のプッティ Putti で飾った台座の背面のレリーフは「父親のレオポルトと妹のナンネルと一緒に音楽を演奏する6歳のモーツァルト」で、フランス(パリ)のモンソー公園の設計者でもあるルイ・カルモンテル(1717₋1806)の有名な水彩画(1763)を写したもの。
後ろの建物は美術史美術館。

ブルクガルテン(王宮庭園) から                                 ハプスブルグ家の冬の宮殿<ホーフブルク王宮>

   depuis  2001

ブルクガルテン(王宮庭園) からハプスブルグ家の冬の宮殿<ホーフブルク王宮(新翼)>を・・
神聖ローマ帝国の双頭の鷲を戴き、下に「この建物の中で私は人々(国家) の愛を調和させるだろう」と。
庭園には女帝マリア テレジアの夫君<神聖ローマ帝国皇帝 フランツ1世(在位645-65)の騎馬像>。

ホーフブルク王宮(新翼) / ブルクガルテン(王宮庭園) / ハプスブルグ家の冬の宮殿 / ウイーン

アルベルティーナ宮殿 ハプスブルグ家の邸宅

マリア テレジア、オーストリア大公妃マリー・クリスティーヌ(1742₋98)の夫ザクセン テッシェン公爵アルベールの邸宅。角を曲がればブルクガルテン(王宮庭園)とハプスブルグ家の冬の宮殿<ホーフブルク王宮>。
アウグスティヌス要塞跡に建てられた邸宅(右側に本館)で、前庭に彼の孫アルブレヒト大公の記念碑(1899)が載っています。
持参金が元手とされるアルベールのグラフィック コレクション(アルベルティーナ)を中心とする美術館。

アルベルティーナ宮殿 Palais Albertina / アルブレヒト大公の記念碑 / アウグスティヌス要塞跡 / Vienne (Autriche)

シェーンブルン宮殿 ハプスブルグ家の夏の離宮

マリア テレジア (在位1740-80) の時代にハプスブルグ家の夏の離宮となったシェーンブルン宮殿。オーストリア継承戦争の最中にロココ様式で造営(1743₋48)、テレジア イエロー(シェーンブルン イエロー)は金箔を代替えしたものという。
新古典主義様式のグロリエッテ Gloriette (1775) 前から見下ろしたところ。右後方にシュテファン大聖堂。

シェーンブルン宮殿 Palais et Jardins de Schönbrunn / Vienne (Autriche)

シェーンブルン庭園(宮殿)から新古典主義様式のグロリエッテ Gloriette (1775)を見上げる(60m)。
宮殿の庭園の高い位置に建造される「小さな部屋(四阿)」。規模最大。確かにでかい。

グロリエッテ Gloriette / Jardins de Schönbrunn / Vienne (Autriche)

フェルメールの<絵画芸術> 美術史美術館

L’Art de la peinture (Vers 1666) / Johannes Vermeer (1632-75) / Vienne,Autriche

   depuis  2001

ウイーンの美術史美術館所蔵のフェルメール Johannes Vermeer (1632-75) の寓意画<絵画芸術(1666頃) L’Art de la peinture (Vers 1666)>。

セントジョージとドラゴンのレリーフ

Saint George and the dragon relief / Saint George’s Gate / Windsor Castle

ウィンザー城のエドワード3 世タワー横の入城門セント ジョージ・ゲートに<セント ジョージとドラゴンのレリーフ>が見られます。
エドワード 3世(在位:1327-77)は騎士階級の規範奨励のためガーター騎士団(1348)とセント ジョージ礼拝堂(ガーター式典の場)を設立しました。
ガーター勲章の頸飾にも<セント ジョージとドラゴンのメダル>が付いています。
セント ジョージはイングランドの守護聖人。
右にエドワード3 世タワー、ゲートの向こうに上層 The Upper Ward のステートアパートメント。

 

中世後期の垂直ゴシック様式のセント ジョージ礼拝堂はロイヤル・ペキュリアー(君主直属の教会)で、ガーター騎士団の礼拝堂でもあります。下層 The Lower Ward にあります。

St George’s Chapel / The Lower Ward / Windsor Castle

King Henry VIII Gate(右)を入ったThe Lower Ward 辺りから。左にセント ジョージ礼拝堂、その右奥に Norman Gate、その右にThe Round Tower、The Upper Ward はその奥になります。

エリザベス2世女王の葬儀が終わって

ウインザー城に入る チャールズ2世の騎馬像

   depuis  2001

4月14日(金)早朝パリ・ノルドからユーロスターでロンドンの St Pancras International へ。ホテル Strand Palais Hotel に手荷物を預けた後ウインザー城に向かった。ホテルから徒歩で、
テームズ川左岸のウォータールー駅 Waterloo Station から South Western Railway を利用して 乗り換えなしで終点のWindsor & Eton Riverside へ。
ウインザー城の上層 The Upper Ward に置かれた<チャールズ2世の騎馬像 (1680)>。後方にエドワード3世タワー。その右下にセントジョージ ゲート。
チャールズ2世(在位:1660-85) はクロムウェルの共和制後の王政復古の国王。
エリザベス2世女王の葬列はザ・ロング・ウォークを通って画面中央のサウスウィング中央ゲートから入城し、下層 The Lower Ward にあるセントジェームズ礼拝堂 St George’s Chapel に入った。

The Upper Ward, The Quadrangle / South Wing / Private Apartments / Windsor Castle
Equestrian statues of Charles II (1680) / Edward III Tower / Windsor Castle

セントジョージ ゲート前から。チャールズ2世の騎馬像とステートアパートメント。

お茶に立ち寄る キュー・ガーデンズの外で

   depuis  2001

キュー・ガーデンズ Kew Gardens に沿うキューロードにある<オリジナル メイド オブ オナー The Original Maids of Honour> で一息つきました。
チューダー朝のヘンリー8世(在位1509₋47)が妃アンブーリンとそのメイド オブ オナー(女王に付き添った若い女性たち)が銀の皿に盛られたタルトを食べているのに出会い、そのおいしさにレシピを没収、発案したメイドを宮殿内に投獄して王だけに製造させたと伝わります。
その伝統を受け継ぐお店(1850)で、第2次大戦で被災しヴィクトリア様式からチューダー風に改築されています。

ラグビーの聖地にたつ トゥイッケナム スタジアム

The Lineout (Core Values) (2010) / Gerald Laing (1936-2011) / Twickenham Stadium / Twickenham

   depuis  2001

グレイターロンドンの街トゥイッケナムにあるトゥイッケナム スタジアムは<ラグビーの聖地 Sacred place for rugby>。
イングランド代表のホームスタジアムです。その前にある彫像<ザ ラインアウト The Lineout (Core Values) (2010)>。
ジェラルド・レイン Gerald Laing (1936-2011) はラグビー フットボール ユニオンの「コアバリュー:チームワーク、敬意、楽しみ、規律、スポーツマンシップ」を表現しました。
前後のリフトによりボールをキャッチする3人と、相手方2人で構成。     2023.04.16.

今秋フランスで開催されるラグビーワールドカップ 2023 Coupe du Monde de Rugby 2023 を追っかけます。

キュー・ガーデンズ Kew Gardens

Elizabeth Gate / Kew Gardens

早春のキュー王立植物園、キュー・ガーデンズ Kew Gardens (1759) を訪問しました(2023.04.16.) 。
ロンドンのエンバンクメンㇳから地下鉄Tube District line を使ってキュー・ガーデンズで下車、エリザベス門から入場。

The Palm House 前の花壇にはチューリップなど。
行燈造りの八重桜も満開でした。

Double cherry blossom
Palm House and Parterre / Kew Gardens

<シシ―博物館>から<ホーフブルグ王宮>へ

27日午前。ハプスブルグ家のウイーンの王宮、冬の居城ホーフブルグ宮殿を散策。
シシ― Sisi (エリザベート) 博物館>になっているミヒャエル広場前のミヒャエル宮殿 Michaelertrakt 。

シシ―博物館 Sisi Museum Hofburg / ミヒャエル宮殿 Michaelertrakt / ホーフブルグ王宮

ここを抜けると中央にナポレオンに勝利したカール大公の騎馬記念碑が置かれた英雄広場 Heldenplatz の左側に新宮殿 Neue Burg<ホーフブルグ王宮>が現れます。

ホーフブルグ王宮 / Neue Burg

オペラ <サロメ>を鑑賞する ウィーン国立歌劇場にて

   depuis  2001

26日はシェーンブルン宮殿や美術史美術館に立ち寄った後、ウィーン国立歌劇場 Wiener Staatsoper でリヒャルト・シュトラウス作のオペラ <サロメ>を鑑賞しました。ウィーン国立歌劇場管弦楽団(ウィーン フィルハーモニー管弦楽団)による演奏。

Wiener Staatsoper
画面に日本語の字幕が・・
Opéra d’État de Vienne

26日の夜は更けた。27日夕刻ウイーン国際空港 VIE 17:20発、19:25シャルルドゴール CDG 着でパリに帰ります。

ブダ城から ダニューブ川と鎖橋 を眺める

   depuis  2001

ブダ城 Château de Buda から眺めたダニューブ(ドナウ)川に架かる鎖橋とブダペスト(1873)の市街。右岸(西岸)がブダ、左岸がペスト。ゴシック リヴァイバル建築の国会議事堂が目立ちます。上流に、大きな中洲マルギット島。
仮設の舟橋等に頼っていた両地区を初めて結んだセーチェーニ鎖橋 Széchenyi Chain Bridge (1849) はアイバーチェーン吊橋でケーブル吊り橋以前の構造だそうです。
ダニューブの河口は黒海で、ウクライナとルーマニアの国境になってます。

セーチェーニ鎖橋(1849) / ダニューブ(ドナウ)川 / Budapest

ベルヴェデーレ宮殿 オーストリア・ギャラリー

現地時間24日22時。今朝プラハ本駅 8:24 発の列車で約4時間、ウイーンに着きました(12:49)。
オーストリア・ギャラリー Österreichische Galerie Belvedere を収容するバロック様式のベルヴェデーレ宮殿 Schloss Belvedere (1723) の上宮 Belvédère supérieur と庭園。グスタヴ・クリムトの<ジュディスとホロフェルネス (1901)>などを鑑賞した。

ベルヴェデーレ宮殿 Schloss Belvedere (1723) の上宮 Belvédère supérieur と庭園 / Wien

ベルヴェデーレ宮殿の上宮から庭園と下宮とその左にオランジュリー Orangerie。その奥にシュテファン大聖堂の尖塔が見えてます。

ベルヴェデーレ宮殿 Schloss Belvedere (1723) の下宮 Belvédère inférieur と庭園 / Wien

今日25日はバスツアーを利用してブダペストの1日観光をしてきます。

プラハのシャンゼリゼ <ヴァーツラフ広場>

国立劇場 (1883)と共にチェコ ルネッサンスを象徴するネオルネサンス様式の国立 博物館 (1900) の前にチェコの守護聖人ボヘミア公ヴァーツラフ1世(907₋35)の騎馬像。街路樹はプラタナスではなく、ボダイジュ。
ヴァーツラフ広場 Place Venceslas (1848) は人民の春(1848)、プラハの春(1968₋69)の舞台でした。
ウクライナの国旗を中央に掲げていました。

ヴァーツラフ広場 / 国立 博物館 / チェコの守護聖人ボヘミア公ヴァーツラフ1世(907₋35)の騎馬像 / ボダイジュ

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プラハの夕暮れ カレル橋からプラハ城を

現地時間はまだ22日(時差7時間)。ホテル近くの<カレル橋 Karlův most / Pont Charles / Charles Bridge>右岸詰めからの夜景です。
チェスキー・クルムロフを流れていたヴルタヴァ川の下流になります。ラべ川(エルベ川)に合流してハンブルグで北海に注ぎます。

プラハ城 Château de Prague Prague Castle / カレル橋 Karlův most / Pont Charles / Charles Bridge / プラハ Prague

チェスキー・クルムロフ城の塔 から城内を一望

   depuis  2001

チェスキー・クルムロフ城の塔 Tower of Český Krumlov Castle から城の奥を見ますと‥
ヴルタヴァ川に沿って、旧造幣所 Old Mint、Burgrave’s House、Churn が囲み古い噴水のある第2の中庭~上の城 Upper Castle (第3・第4の中庭)~(Cloak Bridge)~バロック劇場・ルネサンスハウス(第5の中庭)~城の庭園 Castle Gardens と続いています。
正門 Red Gate は後方第1の中庭にあります。

Český Krumlov Castle

6:00 チェスキー・クルムロフ発のバスに乗って、約3時間でプラハに戻ってきました。

チェスキー・クルムロフ城

バロックキャッスルシアターとルネサンスハウスのある第5の中庭辺りから見た<チェスキー・クルムロフ城 Český Krumlov Castle>です。
ヴルタヴァ川 Vltava 左岸の崖地に築かれています。
塔とその手前の赤屋根が最も古く、塔のある小さな城 The Little Castle with Tower と呼ばれているようです。
その手前川沿いの赤屋根は旧造幣所 Old Mint で New Burgrave’s House と共に第2の中庭を囲っています。
そして、左手前が上の城 The Upper Castle 、5層のプラーシュトヴィ橋 Cloak Bridge で劇場 Baroque Castle Theater と庭園 Castl Gardens に繋がっている大きなお城です。

Český Krumlov Castle / Vltava River / Český Krumlov