depuis 2001
潮が引いて(最大7mの干満差)テムズ川の河床が見えていました。バンクサイドのブラックフライアーズ橋(鉄道橋と道路橋)付近で、バンクサイドビーチ Bankside Beach といいます。
泥雲雀(マッドラーク) Mudlark (有価物を探して川の泥を漁るくず拾い) の活動場所だったそうです。
* 明日から年末年始お休みします。
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潮が引いて(最大7mの干満差)テムズ川の河床が見えていました。バンクサイドのブラックフライアーズ橋(鉄道橋と道路橋)付近で、バンクサイドビーチ Bankside Beach といいます。
泥雲雀(マッドラーク) Mudlark (有価物を探して川の泥を漁るくず拾い) の活動場所だったそうです。
* 明日から年末年始お休みします。
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ウォータールー橋からテムズ川左岸を見れば‥
右側、ビクトリア エンバンクメントにクレオパトラの針 Cleopatra’s Needle (1870) 。
エジプトから贈られた(1819)このオベリスク(BC1450頃)はアレクサンドリアでは<Les aiguilles de Cléopâtre クレオパトラの針>と呼ばれていたそうです。一対の片方はニューヨークのセントラル パークにあります。
左側に、チャリング クロス駅に入る鉄道橋 ハンガーフォード橋(1864)に併設された2本の歩行者用吊り橋 ゴールデン ジュビリー橋 Golden Jubilee Bridge (2002) 。エリザベスの即位50周年に因んで命名。
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ホワイトホールの真ん中に置かれている<第二次世界大戦の女性記念碑 (2005)>。裏側に<第二次世界大戦の男性記念碑>。
65万人が兵役に、700万人以上の女性が(男性に替わって)銃後を守ったとされています。
背後の建物は内閣府 Cabinet Office 。すぐ左が首相官邸 ダウニング街10番地のある Downing Street です。
2023.04.17.
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今年4月(2023.04.17.)、夜のウェストミンスター寺院の西正面。
手前に、クリミア戦争(1854-56)とインド反乱(1857-58)で亡くなったウェストミンスター学校の元生徒を偲ぶ記念柱 Crimea and Indian Mutiny memorial 。
ドラゴンを退治する聖ジョージの像が載せられています。
今年4月(2023.04.16.)、ロンドンから北へ74㎞の街<ベドフォード Bedford>で宿泊したエンバンクメント ホテル The Embankment 。ビクトリア朝後期(1891)の建物で、グレート ウーズ川 River Great Ouse に面しています。
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今年4月(2023.04.15.)ウインザー城で見た衛兵は<アイリッシュ ガーズ Irish Guards>でした。
正装の上着のボタンは4個ずつ2組で計8個、帽子の羽根飾りは右側に青です。
故エリザベス2世女王の<ロイヤルサイファー:EIIR の上にセント エドワードの王冠>はそのまま残されていました。
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3連泊した<ルネッサンス リバーサイド ホテル サイゴン>での朝食。
* JAL のラウンジもやっと「コロナ Covid-19 」前の<ビュッフェ方式>に戻りました。
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フランス領インドシナ時代 (1887-1954) にフランスのコロニアル(植民地)様式 Architecture coloniale で建てられた旧サイゴン市庁舎。現在はホーチミン市庁舎(ホーチミン市人民委員会庁舎)として使用されています。
泊ホテル、ルネッサンス リバーサイド ホテル サイゴンに並びの街並みをバクダン埠頭 Bach Dang Wharf 前から。
フランス領インドシナ時代からのコート ダジュール Côte d’Azur 風の名門ホテル:マジェスティック ホテル(1925)とビテクスコ・フィナンシャルタワー(2010 265m)。
暑くて暑くて・・
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ガリエラ宮のガリエラ美術館で催された<1997 FASHION BIG BANG>展のポスター。
卒業式に着用したコム デ ギャルソン COMME des GARÇONS のドレスも展示されていました。
今年の春は年金改革反対のデモが・・改装工事中のオペラガルニエ前のオペラ広場で (2023.04.13.)。
「憲法評議会が年金改革を検討」のプラカード。
モーリタニア
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カプシーヌ通りの<ル プティ ヴァンドーム Le Petit Vendôme>にて。2023.04.13.
シャルキュトリー Charcuterie (ハム・ソーセージ・ベーコン等)や田舎のチーズを扱う郷土料理 Cuisine de Terroir 店。
ウイーン分離派(アールヌーヴォー)・象徴主義の画家、グスタフ・クリムト Gustav Klimt (1862-1918) の代表作<接吻 Le Baisel (1908-09)>。
金箔を用いたキャンバスに油絵。アポロがダフネに接吻する瞬間を象徴的に表現したものと。
ウイーンのオーストリア ギャラリー ベルヴェデーレ宮殿 Österreichische Galerie Belvedere にて。
クリムト自身と生涯の伴侶だったというエミリー・ルイーズ・フレーゲ Emilie Louise Flöge がモデルとされています。
6135
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ウイーンのベルヴェデーレ宮殿上宮のオーストリア ギャラリーにあるグスタフ クリムト Gustav Klimt (1862-1918) の作品<羽飾りの付いた帽子を被った女性 Dame mit Federhut (1908)>。
紙にペンとウォッシュしたインク、鉛筆、赤のクレヨン、白の不透明絵具を使って描かれいる。
アルベルティ―ナ(美術館) Albertina 所蔵。
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トゥールーズ=ロートレック (1864-1901) による<ムーランルージュのイギリス人 L’Anglais au Moulin-Rouge (1892)>。
ロートレックの親しい友人だったイギリス人芸術家のウィリアム・T・ワーレナー William T. Warrener と2人の女性。
ウイーンのアルベルティ―ナ(美術館) Albertina にて
このリトグラフのための原画(ボール紙に油彩)はメトロポリタン美術館にある。
パリのグランパレで催された「トゥールーズ=ロートレック / 断然モダン展 Toulouse-Lautrec / Résolument Moderne 」にて
「スペイン王フェリペ4世 Felipe IV (1605-65)」と王妃(アンリ4世の王女エリザベート ド ブルボン)との王女で後のルイ14世王妃となる「マリー テレーズ Marie-Thérèse (1638-83)」と王妃マリアナ・デ・アウストリアとの王女で後に神聖ローマ帝国皇帝妃となる「マルガリータ・マリア・テレサ Marguerite-Thérèse d’Autriche (1651-73)」を描いたヴェラスケス Velasquez (1599-1660) の作品。
左から、<Philippe IV>、<L’Infante Marie-Thérèse (1652-53)>、<L’Infante Marguerite en robe rose (1653-54)>、<L’Infante Marguerite en robe blanche (1656)>、<L’Infante Marguerite en bleu (1659)>。
マリー テレーズ(マリー テレーズ ドートリッシュ)とルイ14世との孫はスペイン王フェリペ5世となり現王室に至る。
右側の3点は結婚の約束(許婚)をしていて後に神聖ローマ帝国皇帝となるハプスブルク家のレオポルド1世 (1640-1705) に送られた成長の記録。21才で亡くなり孫の代で血統は絶えた。
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<ナポレオンの略奪>にあって(1808)ナポレオン美術館に運ばれたが、ウイーン会議の前に取り戻した(1815)経緯のあるピーテル・ブリューゲル (1530頃-69) の作品<農民の踊り La Danse des paysans (1568頃)>。ウイーンの美術史美術館所蔵。
バグパイプ奏者とワインジョッキを差し出す男、駆け込んでくるスプーンを帽子につけた男とブロセロに鍵をぶら下げた女を大きく描いている。晩年の作品。
アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館 Musée Toulouse-Lautrec d’Albi (1922) 開設100周年記念ポスター。
同美術館が所有している<ムーラン通りのサロン Salon de la rue des Moulins (1894-95)>が使われています。
STH (Sports travel & Hospitality) の海外募集型企画旅行<キャッスルステイパッケージ (2023.09.09-13)>を使用して、「ラグビーワールドカップ2023フランス大会」の日本初戦:対チリ戦をトゥールーズの Stadium de Toulouse で観戦・応援し(2023.09.10.)勝利した後、アルビのトゥールーズ=ロートレック美術館にも立ち寄りました (2023.09.12.)。
上院議長公邸 Hôtel de la Présidence du Sénat ou Petit Luxembourg からの眺め。2023.09.16.
中庭 Cour de la Présidence du Sénat の左にリュクサンブール宮殿の西翼。
宮殿の南側はリュクサンブール公園(庭園)として公開されています。
フランスの上院 Sénat の議長公邸・プチ リュクサンブール Hôtel de la Présidence du Sénat ou Petit Luxembourg に置かれているラウル・ラルシュ Raoul Larche (1860-1912) の作品<草原と小川 La Prairie et le Ruisseau (1893)>。
オルセー美術館所属になっています。購入時はルーブル美術館所属でリュクサンブール美術館にありました。
上院の議長公邸はリュクサンブール宮殿内にあります。
第一統領ナポレオンの下、統領政府で制定された護憲元老院 Sénat conservateur(1799-1814) の徽章の付いた椅子。
「1802年に家具職人ピエール=ブノワ・マルシオン Pierre-Benoît Marcion (1769-1840) によって作られました。
黒檀とレモンの木で造作した模様<手鏡の柄に巻きついた蛇 (護憲元老院が徽章として制定した” 思慮深さ 慎重さ Prudence と真実 Vérité の象徴 ” ) があり、その上にオークとオリーブの小枝の冠を置いた背もたれのあるマホガニーの椅子。」と説明にありました。
フランス上院 Sénat のヴィクトル・ユゴーの間 Salon Victor Hugo 。
ユゴー (1802-85) は第3共和政の上院議員 Sénateur だった(1876-85)。
リュクサンブール宮殿のリュクサンブール庭園 Jardin du Luxembourg 側正面から宮殿に入ったところ。
上院 Sénat スペースの拡張のため、アルフォンス・ジゾール Alphonse de Gisors (1796-1866) が7月王政期に設計したもの。クエスターズ ギャラリー Galerie des Questeur と名付けられ、上院の議会事務局が入っています。1階は上院図書室 Bibliothèque du Sénat です。
庭園側からの日差しが入っています。
* 現地サポートした対チリ戦で勝利したトゥールーズスタジアムにおいて、日本時間早朝に行われた対サモア戦に28-22で辛勝。残るアルゼンチン戦に予選通過を賭ける。がんばれニッポン。
リュクサンブール宮殿 フランス上院の国家使者の間 Salon des Messagers d’État に置かれています。
ルイ16世がルイ=フィリップ・ムーシー Louis-Philippe Mouchy (1734-1801) に制作を命じた<沈黙の神又は秘密の神 ハルポクラテス Statue d’Harpocrate, dieu du silence ou du secre (1789)>。
外交上の秘密は口外するなの暗喩です。
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上院 Sénat の本会議場の壁に<真実の女神 ヴェリタス Veritas>のレリーフを見つけました。
手鏡を持った<裸の真実 vérité nue>(ヌーダ・ヴェリタス nuda veritas) として彫られていて、これは「見ることを躊躇してはならない」という事実を象徴しているそうです。
輝き輝く真実のパネルとトーチと地球。
「ラグビーワールドカップ 2023 フランス大会 Rugby World Cup France 2023」のクマのぬいぐるみ。
ラリック Lalique のランプの笠の上にのせてみました。
トゥールーズ スタジアム Stadium de Toulouse で現地サポートしたチリ戦には快勝したものの、イングランドに敗れ後のない日本。
サモア戦、アルゼンチン戦に期待を賭けます。
パリ・サンジェルマンFC Paris Saint-Germain Football Club のロゴ入り紙袋。
キリアン・エムバペ Kylian Mbappé の所属クラブ。
「2018 FIFAワールドカップ」ではフランス代表として2度目の優勝に貢献、「2022 FIFAワールドカップ」では同僚だったメッシのアルゼンチンに惜敗して準優勝だった。
アカデミー・フランセーズ Académie française のメンバーが毎週集まる会議室。創設者(1635)リシュリュ―の肖像画があり、「リシュリュ―の会議室」とも。フランス語の標準化・純正化が目的とか。40名の会員は終身、「不死の存在 les Immortels」との異名を持つ。
パリの商事裁判所の登記所 Greffe du Tribunal de Commerce de Paris を訪れました。
パリの南北軸、セバストポール大通り正面にドームが来るように設計された。ナポレオン3世のもとで「パリ改造」を実行したオスマン知事の意向によるそう。
8角形のドーム下のアトリウム。中央階段踊り場にナポレオン3世の<N> 、その真上(タンパン)ティンパン Tympan にパリの市章。そのうえで16体のカリアティード Cariatide がドームを支えています。
ドームから北方向の眺め。真正面樹木の位置にセバストポール大通り、左シャトレ広場のナポレオン1世の戦勝記念碑、右にパリ市立劇場。セーヌ川とシャンジュ橋。
大法廷で案内を受ける。
ヨーロッパ文化遺産の日 Journée du Patrimoine の9月17日、レジョン ドヌール宮殿に次いでお隣の<シャルル ドゴール財団 Fondation Charles de Gaulle>を訪れました。
ドゴールの私邸であり、執務室 Bureau du général de Gaulle でもありました。
シャルル ドゴールは自分が大統領(1959₋69)のときに行われた東京オリンピック(1964)で金メダルが一個しか取れなかったのでスポーツを教育課程にいれるようにしたなどスポーツの普及に貢献したそうです。
ドゴールの意思で遺品の多くが燃やされたそうです。自分の死後に物品が売買されるのを嫌ったそうなのでほとんど残っていないとのこと、なので、古文書で販売している偽のサインの手紙なども多いそうです。
財団が運営する「ドゴールの生家」にいったことがあるといったら熱烈に喜ばれました。
ドゴールが創設(1963)した<国家功労勲章 L’ordre national du Mérite>。ナポレオン1世が創設した<レジョン ドヌール勲章>が赤のリボンに対し青のリボン。<Desormais nous aurons deux ordres, L’un rouge, l’autre bleu, aux couleurs de notre drapeau.>創設宣言です。
レジオンドヌール宮殿:サムル館 Hôtel de Salm の丸屋根 Rotonde の天井のドームに描かれた天井画。
<レジオンドヌール勲章の創設 L’institution de l’ordre de la Légion d’honneur >、テオドール・マイヨ Théodore Maillot (1822-86) の作品。帝国の偉大な軍人と民間人に囲まれたナポレオン1世を描いています。
その周辺、ティムパン tympan には、ナポレオン1世と左へ(写っていないが)シャルルマーニュ、フランソワ1世、ルイ14世をアシル・シルイ Achille Sirouy (1834-1904) が描きました。
ヨーロッパ文化遺産の日 Journée du Patrimoine (9月の第3土曜日と日曜日)に(公開されたので)訪問しました(9月17日)。
本日夕刻、JAL046便で帰国します。ラグビーワールドカップ 2023 フランス大会、<日本対チリ戦>のサポートをメインにした18日間でした。
文化省 Ministère de la Culture が企画したスペクタクルはアクロバット (スポーツ) と芸術の融合を表現してたみたいです。とにかくパリの素敵な建物を背景に繰り広げられる劇に久しぶりに心底感動しました。2023.09.17.
文化省が入っているパレ ロワイヤルと<ビュランの円柱>のある中庭 Cour d’Honneur が舞台です。
今年の文化遺産の日 Journée du Patrimoine のテーマはスポーツでした。
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ドラクロワ Eugène Delacroix (1798-1863) がつてを使って制作の機会を得たリュクサンブール宮殿の天井画<ダンテの地獄 Enfer de Dante>。上院の拡張で増築された図書室の中央、ドームに(1841₋46)。
4シーンの内の主部(写真の下部)には、「ギリシャの詩人ホメロスが詩人オウィディウス、ステイチェ、ホラティウスに囲まれ、ウェルギリウスが連れてきたダンテを歓迎している。また、武器を身に着けたピュロスはハンニバルに同行している」、<ダンテの辺獄への降下>を描いています。
リュクサンブール公園にあるリュクサンブール宮殿に<フランスの上院 Sénat>が入っています。
上院の議場 Hémicycle du Sénat と会議室 Salle des conférences。「ヨーロッパ文化遺産の日」に公開される宮殿を見分してきました。2023.09.16.
演壇の後ろ、中央にジャン・バティスト・ジョセフ・ド・ベイ作のコルベール像。右下の写真、左奥にオーギュスト・デュモン作のサン=ルイ像。
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ヨーロッパ文化遺産の日 Journée du Patrimoine (9月の第3土曜日と日曜日)に公開されるリュクサンブール宮殿に行って来ました(9月16日)。
元老院(上院)でのナポレオン1世のための玉座 Trône de Napoléon Ier (1804)。
背もたれにナポレオンのN、皇帝の象徴である蜂が刺繍され、肘掛けは有翼のスフィンクスです。
ローマ時代の「ケレスの巫女の玉座 Trône d’une prêtresse de Cérès 」にヒントを得て、家具職人 François-Honoré-Georges Jacob-Desmalter (1770-1841) が制作したもの。
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メルケス Mercuès のシャトー ド メルキュエス Château de Mercuès での夜会を終え、翌日(9月12日)はトゥールーズ=ロートレックの生誕地、アルビへ。
ロートレックの生家、サント=セシル大聖堂 Cathédrale Sainte-Cécile、トゥールーズ=ロートレック美術館を見学。夕刻トゥールーズに戻りました。
☆☆☆☆☆ホテル プルマン トゥールーズ センター Pullman Toulouse Centre Ramblas ではラグビーボールのお菓子 Bonbons Ballon de Rugby がお出迎え。2023.09.12.
トラム1号線の車体にも。チーズのザビエル Xavier も特別メニューを用意。
トゥールーズはフランスでももっともラグビーがさかんな都市で代表選手の3割はこの辺りの地域出身。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼:フランスのサン=ジャックの道 Chemins de Saint-Jacques en France の一つ、ポディエンシスの道 Via Podiensis がガロンヌ川の右支流ロット川を渡る石橋、<ヴァラントレ橋 Pont Valentré>。
右側(右岸)がロット県の県庁所在地であるカオール Cahors の街。仏英戦争:百年戦争(1337₋1453)の最中に要塞橋として建設されました(1308₋78)。左右岸と中央のゴシック塔は監視塔。中央に6基のゴシック尖頭アーチ。世界遺産。
フランスの最も美しい村の一つ、魔法にかけられた村と呼ばれるサン=シルウ=ラポピー Saint-Cirq-Lapopie 。
この地の領主だったラポピーが礼拝堂として建てた(12世紀後半)サンシルウ=ラポピー教会 Église de Saint-Cirq-et-Sainte-Juliette de Saint-Cirq-Lapopie と村の風景。村人は55人だとか。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼:フランスのサン=ジャックの道 Chemins de Saint-Jacques en France の一つ、ポディエンシスの道 Via Podiensis上にあります。ガロンヌ川 La Garonne の右支流ロット川 Le Lot 沿いにカオール Cahors まで進みます。
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「ラグビーワールドカップ 2023」日本対チリ戦を観戦した(2023.09.10)トゥールーズに2泊して後、STHの専用バスでフランスの最も美しい村の一つ、魔法にかけられた村と呼ばれるサン=シルウ=ラポピー Saint-Cirq-Lapopie へ。
散策後、ロット県の県庁所在地 カオール Cahors で昼食と散策。
メルケス Mercuès のワイナリー(Château de Mercuès) を訪れてから本日の宿、☆☆☆☆シャトー ド メルキュエス Château de Mercuès にチェックイン。
夕食はホテルで。2023.09.11.
いずれも、ガロンヌ川 La Garonne の右支流ロット川 Le Lot 沿いのコミューンです。
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<ラグビーワールドカップ2023>、日本対チリ戦が行われたトゥールーズ スタジアム付近での光景。
オクシタニー地域圏 Occitanie の首都がトゥールーズ Toulouse 。車体にあるオクシタニー地域圏のロゴはトゥールーズ伯爵の紋章:オック十字とルシヨンの紋章を組み合わせたもの。
カップには来場する「日本、チリ、ニュージーランド、ナミビア、ジョージア、ポルトガル、サモア」の7ヶ国の国旗。日本は再びここでサモアと予選最終戦を戦います(9月29日)。
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「ラグビーワールドカップ2023フランス大会 Rugby World Cup France 2023」。
プールDでの予選第1戦、対チリ戦をトゥールーズのトゥールーズ スタジアム Stadium de Toulouseで応援・観戦しました。いきなりトライ・コンバージョンで先行されひやりとしましたが、その後順調に6トライ・コンバージョンを決めて <JPN42 vs 12CHI>と快勝しました。
<トゥールーズ スタジアム>はトゥールーズの中心部からやや上流、ガロンヌ川の中州<ラミエ島 Île du Ramier>にあります。
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「ラグビーワールドカップ2023フランス大会 Rugby World Cup France 2023」、9月8日、パリ郊外サン=ドニのスタッド ド フランス Stade de France, Saint-Denis で行われた開幕第1戦、ニュージーランド(2019日本・3位)対フランス戦(2019日本・ベスト8)は FRA27-13NZL でフランスが勝利。
トゥールーズに向かう前に、開会式と開幕第1戦の行われるサン=ドニ Saint-Denis へ行ってきました。
スタッド ド フランス Stade de France, Saint-Denis とサン=ドニ市庁舎。
RATP とサン=ドニ大聖堂。
プールD の日本はベスト4に勝ち残らなければここで試合はできません。
自転車専用道の整備が進むにつれて、パリは一段と「自転車の街」へ。
パリ市のレンタサイクル<ヴェリブ Vélib’ >の利用が目立ちます。ライム Lime の電動自転車も走ってますが、電動スクーターのレンタルは9月1日から無くなったそうです。
サンポール・サンルイ教会の前、リヴォリ通り Rue de Rivoli ~サン=タントワーヌ通り Rue Saint-Antoine の現在です(2023.09.06.)。マレ地区 Le Marais 。
ルーヴル リヴォリの交差点で信号待ちするリヴォリ通りの自転車群。交差点の向こうに反対車線の自転車群。自動車車線は左端に1車線のみで一般車両は通行禁止 (Plan Vélo)。2023.09.17.
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8月22日火曜日にオープンした、コンコルド広場のオフィシャルストア La Boutique Officielle (1,000㎡)に行って来ました。<Rugby World Cup France 2023>グッズをラグビーボールなど多種購入。
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9月8日オープンの Coupe du Monde de Rugby 2023<Village Rugby>Paris の設営準備が進行中でした(2023.09.06.)。
5200
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早朝に新宿を出て、JAL045便 8:25HND⇒16:15CDG でパリに向かいます。
4日間パリに滞在して後、STH (Sports travel & Hospitality) の海外募集型企画旅行<キャッスルステイパッケージ (2023.09.09-13)>を使用して、「ラグビーワールドカップ2023フランス大会」の日本初戦:対チリ戦をトゥールーズの Stadium de Toulouse で観戦・応援します。
日本 JAPAN はプールDに属し、ENGLAND、JAPAN、ARGENTINA、SAMOA 、CHILEの5カ国。JAPAN2019 でベスト4のイングランド(準優勝)とベスト8の日本が上位ですが、世界ランキングで日本より下位はチリのみ。
オーストラリア、メルボルンの「ヴィクトリア国立美術館」で初めて観たバルテュス Balthus (1908-2001) の作品<猫とヌード Nu au Chat (1949)>。
<夢見るテレーゼ Thérèse rêvant (1938)>のテレーゼと猫かと思ってしまいました。
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ヤラ川 Yarra River 右岸のフリンダーズ・ウォーク Flinders Walk から。エッフェル塔に触発された<メルボルン尖塔 Arts Centre Melbourne Spire>とレインボー橋 Southbank Pedestrian Bridge 。
メルボルン尖塔を含むメルボルン芸術センターは建築家 ロイ・グラウンズ Roy Grounds (1905₋81) の作品。
昨夕、セント・キルダ・ピア St Kilda Pier からメルボルンの夕暮れを見ました。メルボルンはポート フィリップ湾 Port Phillip の一番奥に位置しています。
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アメデオ・モディリアーニ Amedeo Modigliani (1884-1920) の作品<小さな農夫(百姓) Le Petit Paysan (1918)>を<テート・モダン>で鑑賞。2023.04.19.
モディリアーニの死の翌日に自殺した(結婚を誓約していた)ジャンヌ・エビュテルヌ Jeanne Hébuterne (1898-1920) を描いた背景に、ニースで若い農夫を描き込んだ作品とされています。
バンクサイド発電所 Bankside Power Station (1891-1981) を再生利用した<テート・モダン Tate Modern>。煙突もそのまま残されている。下流側に<シェイクスピアのグローブ座>、前に<ミレニアム橋 (2000)>、上流側に超高層住宅 One Blackfriars (2018)。
最終的に法令集に追加された<マグナ カルタ Magna Carta>は1215年のそれではなく、ヘンリー3世が発行した1225年のものだった。
国王が税金と引き換えに認めた憲章で、展示されているコピーは 1225 年にウィルトシャー Wiltshire に送られ、1940 年代までレイコック修道院 Lacock Abbey に保管されていたもの。
王発行を保障する刻印のある封蠟:王室大印 Great Seal of the Realm が添付されています。
No free man shall be seized or inprisoned … exept by the lawful judgement of his equals or by the law of the land (自由人は、同等の人々の合法的な判決またはその国の法律による場合を除いて、捕らえられたり投獄されたりしてはならない) など。
<ウィリアム・シェイクスピアの喜劇、歴史、悲劇 Mr. William Shakespeares comedies, histories, & tragedies>の初版本 The First Folio。
シェイクスピア (1564-1616) の俳優仲間であり友人であるジョン・ヘミンジ John Heminges とヘンリー・コンデル Henry Condell の二人によって編集され、ウィリアム・ジャガードとエドワード・ブラウントによって 1623 年にロンドンで出版されました。
シェイクスピアが書いた37の戯曲のうち36作品が収録されています。
初版本は約750部が印刷され、233部が現存しているとされています。
展示されていたのは、大英図書館 The British Library が所有している5冊の内の1冊で、前の所有者だったシェイクスピアの研究者 ジョージ・スティーブンス George Steevens (1736-1800) が紛失していたタイトルページを手描きのファクシミリで補ったものだそうです。
<シェイクスピアの肖像>は版画家マーティン・ドルーシャウト Martin Droeshout (1601-50頃) の作品ですが、左「読者へ To the Reader」の中で、同時代の劇作家 ベン・ジョンソン Ben Jonson (1572-1637) が良く似せて彫っていると述べています。
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イギリスの王立キュー植物園 Kew Gardens (1759) で見た<エンセテ ベントリコスム Ensete ventricosum>。
バショウ科エンセテ属の多年草植物。同科バショウ属の草本植物 バナナに似ていて、偽バナナなどと呼ばれますが 花は立派な葉状花序の中にあります。
果実は食べられませんが根がエチオピアでは食料源になっているそうで、<エチオピアバナナ>とも呼ばれます。
1853年にキュー・ガーデンズは種子を手に入れました。
ウインザー城 Windsor Castle でのお土産です。2023.04.15.
コーギー Corgi 模様のソックスもいいですね。
ブーローニュの森にある<フォンダシオン ルイ・ヴィトン 美術館>からのエッフェル塔。
ルネ・ラリック René Lalique (1860-1945) が自宅・仕事場としてアールヌーヴォー様式で自ら設計した(建築はルイ・フィーヌ Albert et Louis Feine)<オテル ラリック Hôtel Lalique (1903)>。
玄関ドアのステンドグラスはラリックの作品。「二本のモミの木」をドア縁の浅浮彫の彫刻とガラスの模様とで連続一体として描いています。
* 35℃以上の日が続いてひきこもっていたのだが、今日は31℃だったので外出した。
京王百貨店のB1階 on the Cornerで<燃える闘魂・アントニオ猪木展>が開かれています。
ヴァンドーム広場22₋24番地<ヴァンクリーフ&アーペル>の店内。春のお花がきれい。2023.04.13.
ロンドンからプラハへの空路は<ロンドン・ガトウィック空港>を初めて利用しました。
ヴィクトリア駅 Victoria station からガトウィック空港駅 Gatwick Airport Station へは ThamesLink で。
easyJet、London LGW 18:30 発、21:25 Prague PRG 着。時差1時間なので2時間弱のフライト。
ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港 PRG 2023.04.18.
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ウイーン モルツィンプラッツ Wien Morzinplatz バス停からバスでウイーン国際空港へ。
オーストリア航空 Austrian Airlines 、Wien VIE 17:20 発 19:25 Paris CDG 着。
4月14日にユーロスターでパリからロンドンへ向けて出発、英国、チェコ、オーストリア、ハンガリーへの旅は終わりました(4月27日)。
ラファエル Raphaël (1483-1520) 作の<草原のマドンナ あるいは ベルヴェデーレのマドンナ La Madone à la prairie ou La Madone du Belvédère (1506頃)>。
ウイーンの美術史美術館に収蔵される以前はベルヴェデーレ宮殿にあったことによる。
キリストの死を象徴する赤のドレスに教会を象徴する青のコートを着た聖母マリアの右側に、死んで復活するキリストの受難を表す芥子の花。
洗礼者ヨハネが持つ葦の十字架を掴んでいるのは来るべきキリストの受難を暗示しているとか。
ウイーンの美術史美術館 Kunsthistorisches Museum Wienのカフェにて。ワインは赤にしました。
ピーテル・ブリューゲル Pieter Brueghel l’Ancien (1525-69) が描いた<バベルの塔 La Tour de Babel (1563)>をウイーンの美術史美術館で観れました。
オーストリア大公レオポルト・ヴィルヘルム (1614- 1662) のコレクションでした。
ハプスブルグ帝国のアレゴリーとみられているようです。
BMW が表参道で、ポップアップ・エキシビション「FREUDE by BMW – THE GARDEN」催し中。
昨日も猛暑日37℃で、立ち寄ったところ観客ゼロ。
ウイーンのローワー ベルヴェデーレ宮殿のオーストリア・ギャラリーで開かれていた<ゴッホ、ロダン、マティスにインスピレーションを得たクリムト展 Klimt inspired by Van Gogh・Rodin・Matisse>に、豊田市美術館 Toyota Municipal Museum of Art 所蔵のグスタフ・クリムト Gustav Klimt (1862-1918) の作品が参加していました。
<オイゲニア・プリマフェージの肖像 Eugenia Primavesi (1913-14)>です。
元女優で妻のオイゲニアの肖像を依頼した銀行家のオットー・プリマフェージは、クリムト等が設立に協力したウイーン工房のパトロンでした。
<ゴッホ、ロダン、マティスにインスピレーションを得たクリムト展 Klimt inspired by Van Gogh・Rodin・Matisse>がウイーンのローワー ベルヴェデーレ宮殿のオーストリア・ギャラリーで開かれていました。
2023.04.25.
サンフランシスコ近代美術館 SFMOMA からアンリ・マティス Henri Matisse (1869-1954) 作<緑の瞳の少女 La fille aux yeux verts (1908)>が来墺していました。
イタリア旅行(ローマ・ナポリ・ポンペイ、1917)の影響を受けた第一次大戦後、ピカソ Pablo Picasso (1881-1973) の新古典主義の時代(1917₋25)の作品<立っている女性 Femme debout (1921)>。テンペラ画。
どっしりと量感のある、身体に比べて大きい手足、彫刻のような肉体、額から続く高い鼻。
モデルは最初の妻オルガ(1891₋1955、1918結婚)だと思われます。
プラハ国立美術館 Galerie nationale de Prague (エキシヴィジョン宮殿)にて
旧松方コレクションでポンピドーセンターの国立近代美術館 Musée national d’Art moderne 所蔵の<読書灯 La liseuse (1920)>。灰色の服を着た女性、座って本を読む女性とも。
オルガ・ピカソを描いた油絵です。
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アンリ・マティス Henri Matisse (1869-1954) がセビリア、コルドバ、トレドの旅(1910-11)でセルビア滞在中に描いた作品<ホアキナ Joaquina (1910)>。
彼女はセルビアのジプシーでダンサーのようです。
プラハ国立美術館 Galerie nationale de Prague (エキシヴィジョン宮殿)にて
現在パリのポンピドーセンター所蔵の作品を中心とする「マティス展」が東京都美術館で開催中です。
新宿区38℃。過去最高温度。
カレル橋からプラハの旧市街広場に至るカルロヴァ通りにある<BB Gelato>のジェラート。
プラハ城第3の中庭に入ると目の前に聖ヴィート大聖堂の正面、一対のゴシック尖塔とロゼット(バラ窓)(1873-1929)。
右側(南)に進めば、「聖ヴィート大聖堂の南塔(鐘楼)」のある南面。
中庭には、プラハ城のオベリスク(ムラコティンの一枚岩)(1928)と聖ゲオルギオス像(1373)があります。
南塔のゴシックの<黄金の門 Porte dorée>の上部に<最後の審判>のガラスモザイク(1370₋72)。
中央、マンドウラにキリスト、その下に聖ヴィート・聖ヴァツーラフ等の聖徒たち、その下にカール大帝(カレル4世)と妻。
<タイタン門>と<マティアス門>を通ってプラハ城第2の中庭から。第3の中庭にある聖ヴィート大聖堂正面の2基の尖塔と(大)南塔が見えてます。
中庭の右に、バロック様式のコールの噴水(1686)、左に井戸があります。
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プラハ城への入り口です。バロック建築に囲まれたフラッチャニ広場の東端です。
タイタン像(1761)の門柱を持つロココ調格子の<タイタン門>を入ると第1の中庭(名誉の中庭)、神聖ローマ帝国皇帝マティアス建立の<マティアス門 (1614)>を抜けると第2の中庭。
ウクライナ国旗を掲げている門柱はオーストリア帝国を象徴する王冠と笏を持つ鷲。反対側にチェコ王国を象徴する王冠と笏を持ったライオン。
プラハの旧市街広場隣接の「プチ広場 Petit Place」の井戸(手押しポンプ式)(1560) と古い家並み。
ボヘミアの紋章<白銀の起立ライオン>を戴いています。
手押しすると、2つの水盤の上にあるパイプから水が出ます。
ホワイトライオンの家(写真左、右端)
ウ・モドリー・ジェレナの家(写真中、左端)
その右、U ズラテ ユリの家と U ズラテホ オルラの家。
写真下、ロットの家。
プラハ旧市庁舎の天井に見る<聖ヴァーツラフ Sanct Wenceslaus (907₋35) のモザイク>。
ボヘミア公ヴァ―ツラフ1世で、チェコの守護聖人。
ボヘミア王の紋章、白銀の起立ライオンの盾を持っている。
ベドルジハ・スメタナ Bedřich Smetana (1824-84) はボヘミアの作曲家。
オーストリア=ハンガリー帝国下にあったチェコの国民学派の先駆者でチェコ音楽の祖とされていて、<わが祖国 Má Vlast (1874₋79)>が代表作。中でも、ヴルタヴァ(川)が有名。
アントニン・ドヴォルザーク (1841-1904) とともにボヘミア学派とも呼ばれます。
南仏モンペリエ産のワインを頂きました。
パリでアパルトマンが同じ方が来日された時のお土産です。モンペリエ在の御家族とご一緒でした。
ヴァンセンヌでは何かとお世話になっています。
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TBS 火曜ドラマ:福原遥&深田恭子主演の『18/40~ふたりなら夢も恋も~』の製作が行われている<TBS 緑山スタジオ>に行って来ました。
額縁(LARSON・JUHL)のある左下2葉はTBSのサイトから借用しました。
ストラホフ修道院図書館のあるストラホフ修道院の北東端、ストラホフ庭園からプラハ市街を展望しました。
左側に<プラハ城>内の<聖ヴィート大聖堂>、その右下にヴルタヴァ川と<チェフ(チェコ)橋(1908)>。ヴルタヴァ川は右に蛇行して眼下を流れていて、中央やや右に見えている3つの塔の内手前の2塔<マラー ストラナ橋塔>と<旧市街橋塔>を結んだ位置に<カレル橋>が架かっています。右奥にジシコフ・テレビ塔(216m)。
左岸のバロック様式の<聖ニコラス教会>のドーム、その斜め奥に旧市街広場近くのゴシック様式の<ティーン前の聖母教会>と<火薬塔>。
プラハ城の東側、レトナ公園に置かれている<巨大メトロノーム(1991)>をカレル橋の二つ下流に架かるアール ヌーヴォー様式のアーチ橋<チェフ橋(1908)>越しに見上げたところ。
ヴラチスラフ・カレル・ノヴァーク (1942-2014) の作品。
メトロノームの台座には世界最大のスターリン像を置いていた(1955₋62)過去があります。
プラハ最古のジャズクラブ<レドゥタ ジャズ クラブ(1957)>はチェコスロバキアの民主化への「ビロード革命(1989)」の中心地の一つナーロドニー(・トジーダ)通りにあります。
プラハ「王の道」の一部カルロヴァ通りのお店で本場のペストリー<トルデルニーク Trdelník>を・・
カレル・ゼマン博物館 Muzeum Karla Zemana (2012) に立ち寄って、チェコ(スロヴァキア)のアニメーション映画の創始者とされるカレル・ゼマン Karel Zeman (1910-89) の映画作品を見てきました。
<先史時代への旅(1955)>を撮影するカレル・ゼマンとサイン。
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<ミスター・プロクーク、動物の友達 (1954)>で使用されたオリジナルのおじいちゃんと馬の操り人形。
カレル・ゼマン博物館の外観
YouTube で、例えば Karla Zemana で検索すれば、彼の映画を見ることができるでしょう。
旧市街広場から火薬塔に向かうツェレトナー通りにある「Staroměstský pivovar U Supa」でのどを潤しました。1431創業の旧市街の地ビール U Supa が目に留まったので。2023.04.24.
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プラハ生まれのヴェレスラヴィン出身のダニエル・アダム Daniel Adam de Veleslavin (1546-99) が印刷出版した<聖母ヨーロッパ La Vierge Europe>の地図 (1592)。
頭部は”太陽の没することなき帝国”スペイン、胸はフランス、心臓がボヘミアです。英国は圏外にあります。
ストラホフ修道院図書館にて
原本はハインリヒ・ビュンティング Heinrich Bünting (1545-1606) による「聖書による旅行の本(1581初版)」という名の木版画の地図の本です(転載)。
<ムーラン・ルージュで踊る二人の女性 Deux femmes dansant au Moulin-Rouge (1892)>。トゥールーズ=ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) の作品。
女性同士で踊っている右側の女性が「チャ・ウ・カオ Cha-U-Kao 」 、その右後ろ向きの女性が「ジェーン・アヴリル Jane Avril 」。ロートレックお気に入りの女性です。
プラハ国立美術館(エキシヴィジョンパレス)に展示されていました。右から2点目。
アンリ・ルソー Henri Rousseau (1844-1910) が第6回アンデパンダン展(Paris 1884₋)に出品した作品<私自身、肖像=風景 Moi-même, portait-paysage (1890)>です。
背景をエッフェル塔(1889)のあるパリ万国博覧会(1889)として、手前にアーチ橋の(前)カルーゼル橋付近のセーヌ河岸に立つ巨大なルソーの自画像を置きました。
この万国博覧会に強烈な刺激を受けた彼がその思いを絵にしたと言われています。
日曜画家等と揶揄され、まだ画壇で認められる前の作品です。
プラハ国立美術館 Galerie nationale de Prague (エキシヴィジョン宮殿)にて
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韓流ドラマ「プラハの恋人」の「願いの壁」の場を設営した旧市街広場の<ヤン フスの記念碑>。
この裏側の台座を利用したようです。右に時計の塔、左にキンスキー宮殿が見えてましたから。
最後の願いは、ジェヒは「カプトルとカプスンはずっと幸せに暮らしました」、サンヒョンは「僕の心はいつでもミルユーテ」でした。
プラハの旧市庁舎(1338)の(時計の)塔(1364以前)に取り付けられた<プラハの天文時計(1410)>。
その左に後期ゴシック様式のエントランス。塔の右側に張り出して取り付けられた礼拝堂(1381)も見えてます。この部分が最古の部分です。
ゴシック様式のティーン前の聖母教会(1380₋)、バロック様式の聖母マリアの柱像(1650・2020再建)、左端にキンスキー宮殿(プラハ国立美術館)。
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プラハの旧市庁舎。旧市街広場にあります。カール4世の父、ヤン ルクセンブルグ第10代ボヘミア王(在位1310-46)治世下でボヘミア初の市庁舎として設立(1338)。
その東面、ウルフリン ドゥム部分が現存最古で、市庁舎の塔(1364以前)・ゴシック様式の出窓のある市の礼拝堂(1381)。
左に、バロック様式の聖母マリアの柱像(1650・2020再建)。右に、ルター、カルヴァンに先立つ中世チェコの宗教思想家ヤン フスの記念碑(火刑500周年の1915)、アール ヌーヴォー様式。
ネオ ゴシック様式の建物 <火薬塔(1475・1886)>。旧市街へ入る旧聖アンブローズ門の跡に建設された。ここから手前にプラハ城まで王の道が始まる。ただし、 1383 年から1485 年まではチェコ王の居城 (住居) はプラハ旧市街の(現)プラハ市庁舎の敷地にあった。
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旧市街広場を通り抜けてブルタヴァ川手前のゴシック様式の<旧市街橋塔>。
ボヘミア王国国王カレル1世(在位1342₋78)が神聖ローマ帝国皇帝カール4世(カレル4世)(在位1346₋78)となってその治世を祝す凱旋門として建設された。
ブルタヴァ川に架かるカレル橋(1354₋1402)から<マラー ストラナ橋塔>。
低い塔はカレル橋に架け替えられる前のチェコ最古の石橋ジュディス橋の橋塔(1172)、ルネサンス様式。
旧市街橋塔に倣って建設されたマラー ストラナ橋塔(1467)とゴシックアーチで接続されている。
これを潜って右上に見えているプラハ城へ至るのが王の道です。
カレル橋から<旧市街橋塔>を潜って旧市街へ入ったところ正面、バロック様式の聖救世主教会に「ウクライナから手を引け、プーチン!Hands off Ukuraine, Putin !」と‥ウクライナの国旗に。
左に<カレル橋博物館>と<カレル(カール)4世像 Socha Karla IV>。
マーネス橋から上流に架かる<カレル橋(1354₋1402)>を見たところ。
右岸詰めのゴシック様式の塔は<旧市街橋塔>。カール4世神聖ローマ帝国皇帝(在位1355-78) / カール1世第11代ボヘミア王(在位1346-78)の治世を祝う凱旋門として建設されました。カレル橋と共にロイヤルロードの一部です。
左側のドームはカレル橋博物館。右側は旧市街への水道給水塔。
プラハを流れるブルタヴァ川はラべ川(エルベ川)に合流し、ドレスデン・マイセンを通ってハンブルグで北海に流れ込みます。
マーネス橋の上からプラハ城(870)を見上げました。ゴシック建築の聖ヴィート大聖堂(1344₋1929)と聖イジー聖堂(920)の尖塔が突き出ています。右端にロマネスク様式の黒塔(1135頃)バロック様式のロブコヴィツ宮殿。
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イニャック・ロスコヴィッチ (1854-1915) はハンガリーの画家。
公共彫刻家・ミニ彫刻家ミハイロ・コロドコ Mihajlo Kolodko (1978-) が制作した(2011)。
ブダペストを流れるドナウ川河畔のエトヴェシュ広場に置かれています。トラムの向こうはセーチェーニ鎖橋。
現代ハンガリーを代表する彫刻家ラースロー・マルトン László Marton (1925-2008) の作品<小公女 Kiskirálylány (Little Princess ) (1990)>の像はこの少し左側(下流)に置かれています。
セーチェーニ・イシュトヴァーン(1791₋1860)広場の北端、ハンガリー科学アカデミー前に置かれているハンガリー言語学者<ガーボール・シャーヴァス(1832₋95)の胸像>。
少女が持つ栄光の月桂樹の小枝と不滅の椰子の葉がシャーヴァスを飾ります。足下に、アカデミーがシャーヴァス監修のもとに創刊した「マジャル語のニェルヴール」が。
両者ともにハンガリー民族愛者でアカデミーの創設・ハンガリー(マジャル)語の定着に貢献しました。
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ブダヴァリ(ブダ城)宮殿前のサヴォヤイ テラスからのドナウ(ダニューブ)川に架かるセーチェーニ鎖橋と新古典主義の建物にネオ ルネサンス様式のドームを持つ聖イシュトヴァーン大聖堂。河畔左端にハンガリー科学アカデミー 、右端に内務省の建物。
仮設の舟橋等に頼っていたブダとペスト地区を初めて結んだセーチェーニ鎖橋(1849)、大洪水(1838)の際、小高くて大勢の命を救った場所に建設された大聖堂(1851-1905)。
聖イシュトヴァーンはハンガリー王国の創設者(在位1000₋38)。
ハンガリー国立美術館として使われているブダヴァリ(ブダ城)宮殿前のサヴォヤイ テラス。
最高指揮権を与えられたゼンタの戦い(1697)に勝利して、オスマン帝国との長い戦いに終止符を打ち、ブダをトルコ支配から解放した軍司令官<イェニ・サヴォヤイの騎馬像(1900)>が置かれています。
彼は、サヴォイア家の血筋でパリ生まれ。ウジェーヌ ド サヴォイア Eugène de Savoie (1663-1736) です。神聖ローマ帝国に忠誠をつくしました。
美術館では、ラファエル前派の影響が強いハンガリーの画家ラホス グラシ Lajos Kálmán Gulácsy (1882-1932) の展示会が開催中でした。2023.04.26.
聖イシュトヴァーン大聖堂前のズリーニ通りに置かれている<警察官のブロンズ像 (2008)>。
アンドラス・イリエス (1968-) が(警察官ではなかった)祖父をモデルに制作した彫像らしい。
身に着けているのは祝祭服(冬服)(1909₋45)とズリーニのヘルメット(1909)。ヘルメットにはハンガリー王国の紋章が。
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スカラ座とオペラ座(ガルニエ宮)に次いでヨーロッパで 3 番目に優れた音響を誇る<ハンガリー国立歌劇場>。ブダペストがハンガリー王国の首都になって(1873)、ネオ ルネサンス様式で建設されました(1875₋84)。
正面地上階のニッチ左に、「ハンガリーのグランドオペラの父」と呼ばれ劇場の初代音楽監督を務めハンガリー国歌を作曲したフェレンツ・エルケル(1834-1874)、右に、「リサイタルの父」とも呼ばれるフランツ・リスト(1811₋86)の座像があります。
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ハンガリーの聖冠 (聖イシュトヴァーンの王冠) のもとにある国々の紋章を置いた大盾の上にハンガリーの聖冠、大盾の中央にハンガリー王国の盾が中盾として、さらに小盾としてハプスブルク=ロレーヌ家の盾(三国紋章)があります。
中央紋章と呼ばれるハンガリーの国章に三国紋章を入れ込んで描かれています。
大盾には、左上にダルマチア、その下にスラヴォニアの紋章、右上には クロアチア、その下にトランシルヴァニアの紋章、下部にはフィウメの紋章があります。
オーストリア=ハンガリー帝国(1867)時代のハンガリー国章(1880)部分。
ハンガリーの盾の左側はアールパード家の紋章、右側はキリスト教王権の象徴二重十字などから。
リボンにある「私は古代の美徳を信頼します」はフェレンツ ヨージェフ1世(フランツ ヨーゼフ1世皇帝)ハンガリー国王のモットーです。
ブダ城宮殿入口のクラーク アダム広場の城壁。
ゲッレールト温泉の起源は13世紀のハンガリー王国(アールパード朝)アンドラーシュ2世治世に遡ります。ゲッレールトの丘から湧き出る温泉です。
現在の建物(1912)はアール ヌーヴォー様式で、建設当時はヨーロッパでもっとも近代的なスパとされていたそうです。
ハンガリー伝説の鳥<トゥルル Turul>があしらわれた自由橋の右岸詰め、ゲッレールトの丘の麓にあります。丘のドナウ河畔はゲッレールトの丘の岩の教会です。
ブダ城の城郭の北端部分はその下ダニューブ川沿いに居住する漁師ギルドに管理をゆだねていました。7つの石造りの塔は征服時(895)のハンガリー人7部族の族長に因んでいるとか。
<漁夫の砦>は左奥に再建されたネオ ゴシック様式のマーチャーシュ聖堂 Mátyás Templom(1902)に関連してネオ ロマネスク様式で再建されました。いずれも、フリゲス・シュレック (1841-1919) による。
ダニューブ川左岸(ペスト)沿いの記念碑「ドナウ川遊歩道の靴」から。2023.04.26.
オーストリア帝国がオーストリア=ハンガリー帝国となって(1867)、ハンガリー王国はブダとペストを結ぶセーチェーニ鎖橋を買い取って国有化し(1870)、ブダペストを首都とし(1873)、国会議事堂を建設しました(1885₋1904)。
ロンドンのウェストミンスター宮殿を意識したネオ ゴシック建築です。ドーム(1896完成)の高さ96mはハンガリー建国の896年に因むらしい。
ブダ城宮殿から。ダニューブ川左岸ペスト地区に。